一昨日から、蛍の幼虫の餌となる貝の名前が思い出せなく(ふと何だったかと頭に浮かんだのだ)、ネットで検索せねばと思っていてそれも忘れ、やっと今思い出して検索すると「カワニナ」であった。何故、こんな有名なものをド忘れしてしまうのか。「ミヤイリガイ」(確か、日本充血吸虫の中間宿主)などというマイナーな名前はしっかり覚えてるのに。今回も「カワニナ」ではなく「ミヤイリガイ」ばかりが頭に浮かんでしまった。
過去に、同じような内容のことを何度か書いてるが、年とともにいろんなものの名前を思い出せない頻度は間違いなく増している。特に目立つのは、映画のタイトル、監督の名前、俳優の名前、音楽のタイトル、作曲者の名前、本の作者名などなどだ。このブログのタイトルで使ったものでさえ思い出せないことが多々ある。一番の代表が「ビュトール」だ。本そのものには相当刺激を受けたにも拘らずだ。「カワニナ」が「ビュトール」とすると、「ミヤイリガイ」にあたるのは「ブランショ」である。思い出せないときに間違いなく浮かぶのが「ブランショ」なのだ。こう書くとまるで「ブランショ」をよく知ってるかのように思われるかもしれないが、実は殆ど知らない。どういうわけか名前だけは強くインプットされているのだ。
こう考えると、忘れ易い名前とそうじゃないものの違いは、その内容ではなく語感の違いが大きいのかもしれない。それは、匂いのように、個人的に好き嫌いと意識とは関係ないところで決まる、そんな類のものかと思うのである。