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原作はかつて読んだが、パードレ(神父)という言葉を覚えてるくらいで、内容はすっかり忘れている。しかし当時、それなりに面白いと思ったことも事実だ。
映画はまずその長さ(162分)にちょっと躊躇するのではないか。三時間近くの地味というか真面目な内容、これは一般的にはハードルが高いと思われる。実際見てみると、確かに劇的な展開があるわけでもなく(信仰上は劇的だが)大丈夫かと思わせるが、監督の実力というか見終わってもそんなに長いとは思わせない。ショットの力が充満してるということなのだろう。長く感じさせないというのは、それだけでいい映画であると言える。
隠れキリシタン、踏み絵、転向と日本史で習ったことが題材で、日本人としては知ってそうで知らない事実を丹念に描いていく。トリックスターのようなキチジロウ(窪塚洋介)、良い人なのかそうじゃないのか判然としない通訳の浅野忠信と日本人の役者もはまっている。小松菜奈はあっという間に簀巻きにされて海に放り込まれたり、その旦那の加瀬亮(一言もしゃべらず)はもっと呆気なく斬首されたりと大胆な役者の扱いもスコセッシならではで面白い。
基本的に、殉教者が異教の国に布教することによって起こる異文化との衝突という、今日的な問題がテーマとなっている。絶対的な神を、八百万の神の国に持ち込めば弾圧される。八百万の一つになれば問題はないのだが、それでは自分たちの教義が否定されるのと同じ。日本からすれば余計なお世話なのだが、布教する側からすると親切心、この構造は今でも同じように続いている。映画ではその問題を投げかけるだけで、単純な結論を提示することはない。むしろ、今の世界は日本的な宗教に対する適当さが必要なのでは、と勘ぐってしまうような内容だった。