NHK教育の夜10:30からの番組(タイトルが分
からない)で、グレン.グールドを取り上げていた。
知識としては、コンサートを止めたピアニスト。
或いは、孤高のピアニスト。
或いは、変人ピアニスト。
その程度の、謂わばステレオタイプの知識があるだけ。
CDは、バッハの「イギリス組曲」を持っている。
そんなグレン.グールドを、ある専門家(研究家とか専
門職の場合が多い)が掘り下げていくという番組なの
だが、その対象はその都度変わり、番組では過去いろ
んな人間を取り上げている。
そう言えば、大田光が「向田邦子」を解説していたこ
ともあった(興味がなかったので見てないが)。
「黒澤明」もやっていたような。
で、今回はグレン.グールドだったわけである。
ちょっと興味があったので見たのだが、改めて、グール
ドの考え方には多く共感できることが分かった。
一番有名なコンサートを止めた理由、普段感じている
ことを、グールド自身が言っている。
つまり、観客の反応が演奏の邪魔であるとか、毎日同
じ演奏をやってたらやる方も惰性になり、良い演奏を
やり続けることなど出来ない。
スタジオ録音で納得いくものを残し、それを聴くのが
一番良い方法である、ということがその内容だと思う。
反面、生の魅力は、たまたまの出会い、観客の反応が演
奏者にある影響を与え、思わぬ演奏が実現、そして感
じる一体感、なのだろうが、ジャズと違ってクラシッ
クは、インプロビゼーションが重要なわけではないか
ら、殆ど決まりきった予定通りの演奏で終わる、よう
に見える(関係ないが、儀式化されたアンコールとか
やめてほしい)。
中には、微妙な変化を見つけることに喜びを見出すう
るさい人間もいるが、初心者程度の私にはその辺の違
いの大きさは分からない。
しかし、たまに、奇跡的演奏というものが存在するの
も事実だ。
生好きは、そんな奇跡の瞬間を求めてせっせと通うの
かもしれない。
後、独特の場の雰囲気。
お祭りの現場のような。
しかし、これこそがグールドの嫌ったところであると
思う。
つまり、その場の雰囲気で盛り上がるというのは、飽
くまでも雰囲気の力で、決して音楽性によるものでは
ないとグールドは考えたのではないか。
要するに、情緒的な要素が影響しすぎると。
この辺の、自分の作品にアプローチする姿勢は、昨日
のブレッソンにも通じるところだ。
自分の作品に関しては、どこまでも禁欲的で周りに合
わせることはしない。
こういう考え方の人間は、必然的に、孤高という称号
を与えられる。
結果的に、大衆から離れてしまうのも致し方ない。
しかし、個人的には、それだからこそ惹かれるのだ。
これもまた致し方ないことである。
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