ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

錦糸町2

2007年09月13日 | Weblog


「PUMA」のバッグを掛け丸井を出る。
まだ一時間ほどある。
ということで、喫茶店で最後の時間調整をしようと思
い、周辺を探る。
さすが錦糸町。
スターバックス以外は「カフェ」系などという「こ洒
落た」ところはない。
一軒のこれぞ「純喫茶」という風情の喫茶店に入る。
でかい。
7、80席はあるんじゃないか。
多分、競馬時間には、近くの「ウィンズ」にきた親父
どものオアシスになるのだろう。
今は、閑散としている。
メニューに「ナポリタン」があった。
涙が出るほどの「正しき純喫茶」也。
最近、こういうタイプの喫茶店はなくなる一方だ。
准絶滅危惧種。

そして本日の目的(ある集まり)の会場に行く。
ホルモン焼きやだ。
実は、ホルモン焼きも初めて。
焼肉やも数年に一度の頻度なので、ましてホルモン焼
きやに行く機会などあるはずもない。
要するに、内臓中心の焼肉やということになるが、果
たしてどうなのだろう。

集まりの方は、和やかに楽しく進んだ。
ホルモンも、ミノ、ハチノス、タンその他を炭火焼き
で順調にこなした。
この手のものは特に鮮度が命だと思う。
その点はまったく問題なかった。
但し、「ハツの刺身」を「レバーの刺身」と思って食
べていたのは余計だった。
レバーにしては色が薄く、独特の柔らかいスポンジ状
の物を崩したぐじゅぐじゅした感触がないので、ちょ
っと不思議に感じたが、ここのレバーはこういうもの
なのかと普通に食べていた。
そんなホルモン探索も、「あずさ」の最終が迫ってき
て、途中で退席となった。
身体にしみこんだ煙を引きずり、車中の人となる。

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錦糸町

2007年09月11日 | Weblog


「長江哀歌」が終わったのは4:00頃。
今度は電車で「有楽町」から「錦糸町」に向かう。
「錦糸町」に行くのは生まれて初めて。
まさか今頃になってこんな機会が来るとは。
「錦糸町」のイメージは飲み屋街、そのくらいしかな
い。

駅に降り立つ。
駅前の風景は、中央線沿線の駅と大差ない。
しかし、どこか違う。
その理由は、そにいる人間の違い。
学生(大学生)が少ないのだ。
水商売関係(そう見える)が、やはり「錦糸町」には
多いように感じる。
中央線でも当然飲み屋街があるが、それらは裏通りに
まとまって、という感じだが、ここは裏通りではなく
駅まで迫っている。
全体が、飲み屋街の匂いで覆われている、といった感
じなのだ。

そんな駅前にも「スターバックス」はあった。
本当、東京にはどこにもあるなと思い、ここで時間調
整でも、と仔細に見るとちょっと狭そうなのだ。
「丸井」の一階部分に入っているようだが、「スター
バックス」はやめて、涼みがてら、「丸井」に入るこ
とにする。
帰りの電車で、また冷房にやられるのはなんだと思い、
何か長袖でもという気もあったのだ。

ちょうど「GAP」があったのでそこに入る。
「GAP」も初めてだ。
「ユニクロ」と同じように、廉価な品揃えの店ばかり
と思っていたが、見てみると結構良いお値段ではない
か。
当初の目論見は撤回。
ざっと見てそそくさと出る。
次にその上の階に行くと、靴売り場があった。
買う気も無いがちょっと見る。
すると、同じ売り場でバッグも売っていた。
スポーツバッグ系というジャンルか。
アディダスとかナイキで良く見かけるあれだ。
そこのは「puma」。
基本的にバッグは持たないが、肩掛けで気軽に携帯で
きあまり大きくはないバッグはあった方が便利かな、
と思うとしたらその条件に合いそうなバッグで、色合
いも中間色で悪くなく、値段もそれ程高くなく、ハー
ドユースにも耐えられそうで、要するにちょっと使え
そうかなと思ったのだ。
もともと「ブランド」はどこでも良いし、色合い大き
さ値段が合致すれば良いわけだ。
というわけで「puma」を買ってしまった。
「丸井」で何かを買うのはこれが初めて。
しかも錦糸町だ。
梱包はせずに、そのまま肩にかけてポケットに窮屈そ
うに収まっていた文庫本を早速いれ、颯爽と(気分的
には)店を出た。
「スポーツバッグと錦糸町」。
一生忘れないような気がする。
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長江哀歌

2007年09月10日 | 映画


「日比谷シャンテ」に着いて、取り敢えずチケットを
購入。
ここは全入れ替えの、指定だ。
次回が始まる1:50分にはまだ一時間以上ある。
周辺を探索するか、とぶらぶらするが、直ぐに後悔し
た。
という割には、銀座まで行ってしまったが。
そのお陰で、「泰明小学校」を改めてじっくり見たと
いうおまけは付いた。
でも、やはり、ぶらぶらには暑過ぎだった。
どこかでお茶でもしたいと、適当なところを探すが、
こういう時に適当なところが見つからないという経験
は、数知れず。
今回もすっかり「彷徨えるオランダ人」状態となって
しまった。
近くの「スターバックス」は狭そうだし、後はファス
トフード店ぐらいしか目に付かない。
参った参った、などと言ってるうちに上映時間が迫っ
てきた。
シャンテ方向に歩いていくと、あるはあるは適当なカ
フェが。
探してる時にはどうして見つからないのか。
ここで見つかってもねえ。

「シャンテシネ2」に入り、飲み物を買い席に着く。
結構入ってるぞ。
9割の入りではないか。
しかしここで不思議に思ったのはその客層。
お婆さんと言って良いくらいの女性がいやに多い。
5割くらいがそんな人達だ。
明らかにおかしい。
ジャ.ジャンクーの映画って、そういう層に受ける映
画ではないはずだ。
どういうことだ。
そのお陰で、窮屈な状態になってしまったので、最後
まで見るのがちょっと辛かった。

「長江哀歌」というタイトルからすると、なんだか情
緒的な映画を想像してしまうが、これがまた見事に違
った。
個人的にも「初恋の来た道」「あの子を探して」「北京
バイオリン」の系列かなと(つまり、予定調和的な物
語)思っていた。
そういう映画だったら、わざわざ見に来ることもない
な、と映画館を出たと思う。
しかし、「長江エレジー」(ルビがエレジーと振って
ある)は「湯の町エレジー」ではなかったのだ。

舞台は三峡ダムによって沈む、何とかという町。
そこに一人の男が、いなくなった嫁を探しに来る。
嫁は、突然生まれたばかりの娘と共に、16年前に故
郷であるこの町に帰ったらしいのだ。
手がかりを見つた男は、仕事先から時たま帰るという
嫁を、この町で仕事をしながら待つことにする。
筋からするとこれだけのことだ。
もう一つ並列で、これはある女性が、2年音信不通の
旦那を探しに来るという話しも描いている。
一応、主人公はこの二人と言える。
しかし、この二人が直接交わることはない。

その探す様子を描くなら、殆ど「あの子を探して」と
同じだが、映画はその物語よりは廃墟のような町の風
景を中心に、というより廃墟そのものを描いている。
時代は、今の中国なのだが、どこか近未来的廃墟。
様々な生活の痕跡としての廃墟。
その廃墟とゆったり流れる長江、映画はこの風景だけ
で成立っている。
昔と今が同居している中国の現実、前近代的解体作業
員が同時に使う道具が携帯電話であるなど、それなり
の仕掛けはあるが、全体では、今の中国の厳しい現実
を描くというより、その風景の後ろの見えないものを
描いているように感じる。
物語としては、きれいな落ちもないし、収まりが良い
わけではないから、一般に言われる「分からない映画」
の部類の映画となると思う。
実際、例のおばさん達は「良く分からないわ、これっ
てSF?」とかの会話を交わしていた。
アンゲロプロス(特に「霧の中の風景」)に似ている
と感じるその神話的な世界は、魅力であると同時に分
りにくさでもある。
誰かに似ているというのは、必ずしも褒め言葉にはな
らないが、最近のチェン.カイコーやチャン.イーモウ
の作品よりは、遥かに魅力的であることは間違いない。

ところで、あのお婆さんと言っても良いおばさん達が
来た理由だが、多分中国旅行で「長江船旅」などをし
たからではないか。
それで長江を懐かしみ、しかもエレジーだし、もう一
度あの旅を反芻しようなどと思ったのではないか。
それしか考えられまへん。
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日比谷

2007年09月09日 | Weblog


用事があって急遽東京に行く。
用は夜なので、昼間は時間がある。
久しぶりに映画館でも行こうかと考えた。
色々検索し、探し、結果唯一個人的に引っかかったのが
「日比谷シャンテ」。
ジャ.ジャンクーの「長江哀歌」をやっていた。
この監督の作品は見たいものだったので、非常に良いタ
イミングであった。

時間は充分にあるので、立川行きの普通電車で行った
のだが、前回冬に乗った時は寒さでとても快適とはい
えなかったが、今回は大丈夫だと確信して乗ったら、
今度は冷房が強すぎて、すっかり冷え切りなんだか風
邪っぽい状態になってしまった。
今の普通電車は、長距離客を想定していないことが良
く分かる。
これだけ冷えて、立川で乗り換えると多分暑さでどか
んとやられるぞ、と予想通りの状態で、東京駅に着い
た時はもうぐったりだった。
しかし昼飯時間なので、近くの「カフェ」でというの
は考えていたので「Viron」という、パリのパン屋がやっ
ているカフェに行く。
場所は、ちょうど「はとバスツアー」の発着所の前で、
各種ツアーのバスが止まっていた。
外人さんが一杯集まるあの有名なところはここか、と、
「東京駅」周辺は殆ど知らないので、完全にお登りさ
ん状態で周囲に目が行くこと。

カフェまでは2百メートルもない距離だが、直射日光
はきつい。
さっさと店内に入る。
まるっきりパリのカフェだ。
しかも、大きめな有名店といったタイプの。
入り口も徹底して「poussez」などと表示している。
「押す」って直ぐ分かる人のほうが少ないと思うが、
コンセプトが「パリ」では仕方ないのか(内側からは
「tirez」、もっと分からない)。

ランチは魚、肉の二種類。
オードブルとか飲み物は付いてこない。
魚を頼む。
パン屋がやってるだけあって、バゲットは食べ放題、
ってそんなにいらないか。
白身魚(確かに、過去食べたことがあるのだが特定で
きない)と鮭のポワレ、ポロ葱ソース、所謂「ブール
ブラン」でオーソドックスなソースだ。
やや味は薄かった。
付け合せにヌイユとベビーコーン、インゲンなど。
全体の味からすれば、平均点は越えていると思う。
白身魚はかなり鮮度が良く、この辺はやはり田舎とは
違ってちゃんとしてるなあと感心した。
但し、量は物足りない。
もうちょっと豪快さがほしいところだ。
ビストロ的料理を想像していたので、その点が違った。
パリでも有名通りのカフェはこんなものか、と最近の
事情は良く知らないのでそう考えたのだが。

そして店を後にして、徒歩で日比谷に向かう。
途中帝国ホテルの近くの劇場周辺になにやら人だかり
が出来ていて、そのおばさん中心の集団の熱気から、
「ひょっとして宝塚か」と思ったら案の定、これが有
名な「出待ち」というやつであった。
面白そうだからそのおばさん達を見物しようかと思い、
遠くから暫く眺めていたが、いつ出るか分からないし、
「宝塚スターを待つおばさん達を見物している自分」
という構図が、急に馬鹿馬鹿しくなってその場を去っ
た、やや後ろ髪は引かれた。
勿論こういう光景を眼にしたのは初めてだった。
今日はいろいろ初体験がありそうだ。
それにしても「暑い」。

つづく
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WC

2007年09月07日 | Weblog


いよいよ「ワールドカップ」が始まる。
しかし、マスコミの扱いは冷めたもの。
やはり、ラグビーじゃしょうがないか。
実際、日本も一勝できるかどうかの実力だし、兎に角
オーストラリア相手に80対3とかのスコアーだけは
やめてほしい。
せめて50対0くらいで。
とか何とか言っても、殆どラグビーには興味がないの
だが、それでも、野球のWBCよりは遥かにこちらの
方が価値があると思っている。
実際、オーストラリア相手に良い試合をするのは、サッ
カーでブラジル相手に良い試合をする以上に難しそう
だ、ではなく難しい。
フィジカルの差はサッカーの比ではない。
目標は2勝らしいが、1勝でも御の字ではないか。
最多負けスコアーの記録だけは作らないでね、これが
一番のお願いだ。

このところ、著名人の訃報が目に付く。
今日は「ナンシー梅木」と「パヴァロッティー」。
尤も「ナンシー梅木」に関しては、今年になって著名人
になったと言ったほうが良いか。
アカデミー賞で、日本人の第2号がでるかどうかで完
全に埋もれたなかから、1号として、再び脚光を浴び
た形なのだから。
顔を知ってる人さえ殆どいないのに、名前だけが一人
歩き。
同じナンシーだったら、思い出すのは「ナンシー関」の
方だ。

もう一人の「パヴァロッティー」だが、こちらはあの容
貌がどうにも印象的で、忘れられない。
歌がどうのではなく、どうしてもグリーナウェーの「コッ
クと泥棒、その妻と愛人」の泥棒役とかぶってしまう
のだ。
「パヴァロッティー」があの役をやっても、全く違和感
ないとずっと思っていた。
むしろ、より良いのではと思うくらいだ。
好色、健啖家が彼のイメージなのだが、これって自分だ
けか?
膵臓癌ということだが、これもグリーナウェーつながり
で「建築家の腹」の主人公と同じで、なにやら自分の中
では一つの物語が完結したように感じてしまった。


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土砂降り

2007年09月06日 | Weblog


例の如く「クリヨー.ド.ヴァン」で、「鶏の香草パン
粉焼き」などを食べ、コーヒーを飲んで、ある雑誌の
「フランス美術館特集」などというのを読んでいた。
コートダジュール周辺の「コクトー」「マチス」「ピカソ」
「シャガール」「セザンヌ」「ルノアール」関連の美
術館の説明をはじから読んで、この辺りには本当に多
いんだ、と感心しつつ、このくらいの規模の美術館が
見るには良い、しかも空気は良いし風景も良いし、食
べ物は美味しいし、行く予定もないのに想像ばかりが
膨らむ。
ちょっと、金持ちの避暑地というイメージが強いから、
それなりに余裕がないと楽しめないのが辛いところだ。

南仏で、行ったことがあるのは「アルル」までだ。
「アルルの女」の「アルル」。
「闘技場」(縁に上って歩きました)或いはゴッホの
「夜のカフェ」があるところだ。
ここは避暑地というより完全に観光地といった雰囲気
で、いたるところで「ゴッホTシャツ」(私も買いま
した)などを売っている。
そんな南仏体験しかないので、地中海沿いの街はある
種の憧れで見てしまうのかもしれない。
「美術館で巡るコートダジュール」、こんなツアー
いかにもありそうだ。
ちょっと知的で、一ランク上のイメージ。
フランスリピーター狙い。
年齢層は30才以上。
しかも女性のみ、ってところか。

雑誌は、パリの美術館も紹介していた。
「ユトリロ」「ザッキン」「モロー」など。
待て、「ユトリロ」は美術館だったか個人の紹介だった
か、良く覚えてない。
「ユトリロ美術館」なんて聞いたことないし(後で調
べたらパリ郊外にあった)。
「モディリアーニ」も個人か。
この辺りになると、かなり雑な読み方になっている。
ただし、「モディリアーニ」の名前が「アメデオ」で
あるということだけは頭に入った。
そうか「アメデオ」か(それだけのことであるが)。

ここで唯一行ったことのある美術館が登場した。
「モロー美術館」。
パリの、庶民的なエリアにあったと思う。
こじんまりとした、3階建てだったか四階建てだった
か。
しかし、作品の量は凄い。
この雑誌で知ったのだが、モローの殆どの作品はここ
に収蔵されているということだ。
絵のタイプは全く違うが、「ルオー」の師匠としても
有名だが(一般的には師匠よりルオーの方が知られて
いるのか)、団体観光客は間違っても行かないし、本
当に作品をじっくり見たい人であれば(デッサンなん
てそれこそ千枚近いのではないか、それが全部見られ
るようになっている)絶対行く価値のあるところだ。
そういえば、ここに入った時、まるで一般の家に入っ
たような雰囲気で、受付らしきところには誰もいない
し、勝手に二階に行こうとしたら奥から出てきたおじ
さんに呼び止められた覚えがある。
こういう場合、大体「ムッシュー」と言われる。
こちらはちょっとばつが悪く、ああ、やっぱり払うの
ね、といった感じであった。

雑誌を読み終える前辺りから、天気は急変し、雨がぽ
つぽつ来たかと思ったら、一気に激しさを増し土砂降
りとなった。
テラスのテントではしのげないほどの激しい降りで、
始めは涼しくなってちょうど良いなどと思っていたが、
それどころではなくなり、とうとう中に移動した。
「土砂降りのカフェ」、なかなか良い雰囲気であった。


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運動部

2007年09月04日 | Weblog


「でぶや」一歩手前のS君は、汗かきだ。
周りの人間が汗一つかかないときにも、彼だけはびっ
しょりずぶ濡れという、所謂「一人熱帯雨林状態」で
ある。
そんなS君は、大学運動部出身だ。
「剣道」をずっとやっていたらしい。
しかし、見かけは体育会系という感じはしない。
なにしろ「でぶや」系だから。
昨日たまたま話す機会があったが、話題は当時の部
活のこととなった。

「やっぱり体質は所謂体育会系?」(私)
「そうなんですよ、もう本当いじめられました」(S君)
「4年生が天皇とかいって、威張ってるあれ?」(私)
「そう、その通り」(S君)
「一年生は、完全に人格なしの使い走り、滅私奉公、
直立不動の世界だろう?」(私)
「良く知ってますね」(S君)
「典型的な、軍隊方式だよね」(私)
「剣道とか武道は、精神的な部分を鍛えるというのが
大きいですが、あれは単なるいじめですからね」(S君)
「伝統とか勝手な理屈をつけて、いじめられた人間が
今度はいじめる人間になる、謂わばいじめの再生産、
制度化されたいじめ構造が体育会系の本質ってところ
か」(私)
「どう考えても、いじめたいからいじめている、なん
ですよね」(S君)
「復讐の世界とも言える」(私)
「僕はやらなかったですけどね」(S君)
「結局人間性の問題だよね、さすがでぶや」(私)

「そんな人間が今度は体育教師になって、荒れた学校
で活躍するんですよね」(S君)
「武闘派が武力で鎮圧の世界だね」(私)
「軍隊が、無秩序な民衆を黙らせる、ような」(S君)
「確かに、それなりの効果はあるんだよね、結局力が
あることが彼らを黙らせる、核抑止力の論理と一緒」(私)
「荒れた生徒が北朝鮮、ってところですか」(S君)
「しかし、彼らが武装すると収拾が付かなくなる、こ
こが一番の問題なんだよね、かれらが成長して覚醒し
たわけではないから問題の本質は解決されてない」(私)
「それって、北朝鮮のことですか、それとも荒れた生
徒?」(S君)
「どっちでもいいけど、武力は使い方次第で効果もあ
るが、最終的な解決手段ではないということ」(私)
「しかし、体育会系から核抑止力、えらいところまで
飛んじゃいましたね」(S君)
「本当だよね、ちょっと尤もらし過ぎだね、話を戻そう、
最近の体育界系は、以前と比べればしごきという名の
いじめは少なくなってきたんじゃないの」(私)
「今は、親がうるさいですからね、それにマスコミも
直ぐ騒ぐし」(S君)
「まあ、良いのか悪いのか、いじめがないのは良いと
思うが、親がうるさいからというのはそれはそれで問
題か、体質が変わった故だったら良いけどね」(私)
「なかなか上手い具合にいかないですよね」(S君)
「でも、体育会系は、会社の中で実労部隊として重
宝されているという事実はあるよね」(私)
「なにしろ根性と忠誠心は鍛えてありますから」(S君)
「確かに、でもね」(私)
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花火

2007年09月03日 | Weblog


近所に無類の花火好きがいて、8月に入ってから連日
夜の8:45分に上がる花火を、毎晩通りから見てい
たらしい。
30日程やっていたので、それと同程度見ていたこと
になる。
それが昨日で終わった。
さぞかし残念だったろう。
本人にとっては、今年は終わった、という感じなので
はないだろうか。
夏最後の「ミンミンゼミ」も鳴いてることだし、「夏
が過ぎ風アザミ...」のメロディーが一緒になって
頭の中をこだましていることだろう。

そんな花火好きもいれば、方やもう何年も見てないと
いう地元の人間もいる。
そんな代表格の「映画少年Y」が、この前来た。
早速購入したビデオ「アンダルシアの犬」のことを言
うと、しきりに羨ましがって、「売ってくださいよ」
とまで言った。
「保存用で買ったのだから、そりゃあ出来ない相談だ
よ」と言うと「じゃあ、貸してください」と言った。
ということで貸すことになったが、ビデオ屋の隅で、
買い手が現れるかどうか分からなかった「アンダルシ
アの犬」も、多分こちらが買わなければ廃棄の運命だっ
たと思う、それが少なくとも価値あるものとして取り
扱われているのだから、きっと喜んでいることだろう。

「もう一つ買ったんだけど」(私)
「何ですか?」(Y)
「セシルB.ザ.シネマウォーズ」(私)
「ええっ、誰のですか?」(Y)
「知らないの?(ちょっと馬鹿にしている)」(私)
「ジョン.ウォータース」(私)
「ピンクフラミンゴの?」(Y)
「そう」(私)
「そんなのあったんですか?」(Y)
「割に最近のやつで、メラニー.グリフィスなんかも
出てるよ」(私)
「どういう映画ですか?」(Y)
「ハリウッドを馬鹿にした映画で、馬鹿パワー炸裂」(私)
「じゃあ、ケネス.アンガーみたいなものですね」(Y)
「ルシファーライジングの、でもケネス.アンガーって
見たことないんだよね」(私)
「ええっ、見たことないんですか」(Y)
ここでちょっと立場が逆転。

「ビデオもないし、見る機会がないもの」(私)
「高円寺かなんかの小さなところで初めて見たんですけ
ど、衝撃を受けましたよ、こんな世界があるんだと」(Y)
「ああ、それで道を踏み外しちゃったんだ」(私)
ここで再び立場は逆転。

後で「ケネス.アンガー」を確認してみると、「ジョン.
ウォータース」よりは「デレク.ジャーマン」に近いの
ではないかと思われた。
「ジョン.ウォータース」は、下品な馬鹿パワーが魅
力なのだが、「ケネス.アンガー」はもっと耽美的な
もののようだ。
いずれにしろ、現物を見てないので、想像の域なのだ
が、大体においてYの解説は、思い入れが強く今ひと
つ客観性に欠けるので、あてにならないところがある。
それよりこの「ケネス.アンガー」の最初の作品が、
なんと(と言うほどでもないか)「花火」というタイ
トルだった。
全く予期してなかったが、上手いこと本日のタイトル
に結びついた。
こういうことってあるんだね(これは本当)。
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世界遺産の旅

2007年09月02日 | Weblog


元々旅好きではない人間が、世界遺産がどうのという
のもちょっとおこがましいのだが、そもそも「世界遺
産」というのは何の為の認定なのか。
貴重な歴史的価値或いは自然を守るため、というのが
主な理由だと思うが、現実的には、観光的価値を上げ
るため、になっていないか。
それらを保全するためにはそれなりの費用がかかる。
観光客が集まれば収入がアップし、地元の経済も潤い、
その費用を出す環境が整う。
注目されることにより、積極的にそれらの施設自然を
守る機運は高まるし、何にも増してそれらに対する誇
りが生まれる(そういう点は理解できるが)。
と、良いことずくめなのであるが、大体が観光地化す
ると所謂観光地の顔になるのが現実だ。

つまり、土産物屋がずらっと並び、呼び込みがうるさ
く、入場料を取られ「はいっ、どうぞ」の世界なのだ。
名所嫌いの理由は、こういうのが厭だからだ。
どこに行っても、名所は(日本であろうが世界であろ
うが)同じ匂いがする。
どうも好きになれない。
海外で興味を引かれるのは、現地の普段の姿。
例えば、地元客が集まるカフェだとかそういうところ
で、地元の人間の姿を見るのは好きである。
現地の生活を垣間見る、というのは面白い。
食べるものも現地のもの。
そうやって、現地の文化に触れるのは、確かに旅の醍
醐味であると思う。
この点だけ取れば、旅好きになってしまうが、想像で
は色々行っているが、現実的には今は決して能動的で
はないので旅好きとはいえない。
それより、個人的に考える旅と言うのは、もっと日常
に横たわってるもので、たとえばいつもと違う道を歩
く、それがすでに旅の始まりなのである(嘘)。
ここで「遠くへ行きたい」がかかれば万全だ。
ついでに、人生とは旅である、というのもある。
出会いと別れ、その部分を取り出せば、「人生と旅」
そりゃあ共通点はあるわな、ということになる。
解釈の仕方で、いかようにも、である。

一般的に「旅」というものにロマンを感じるのは、そこ
で日常から開放されたい、もっと言えば現実(普段の
生活)を捨てたいという願望が根本的にあるからでは
ないだろうか、つまり想像力が開放されるように感じ
るのだ。
「自由の幻想」か?
たとえば昔の俳人などは、イメージ的に世捨て人で、
旅そのものが人生であったわけだから憧れの存在とな
りやすい。
例えば「山頭火」が人気あるのはそのためだろう。
できれば全てを捨てたい、結構思ってる人は多いので
はないか。
実際出来ないので、擬似捨て行為としての旅、という
ことになるのではないだろうか。
まあ、多くは単なる娯楽の一つであると思うが。
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世界遺産

2007年09月01日 | Weblog


何故か突然、家のテレビの映りが悪くなった。
全体に、砂嵐のような吹雪のようなものが映る状態で、
新しいものなので寿命ということではないし、一体何
が原因だろうか。
症状としては、アンテナの方向が悪い時に起こるのと
一緒だ。
しかし、有線だからそれもない。
ということは、そのコードに問題があるのではないか
と確認すると、ああこれか、と誰もが納得する原因が
みつかった。
鼠がコードを齧っていたのだ。
殆ど千切れかかったコード。
これじゃあしょうがないわ。
ということで、その部分を切り離し、きっちり繋ぐこ
とにした。

しかし、切って気付いたのだが、このコードは普通の
電気コードとは違い、中の線を束ねて結べばいいとい
う構造ではなかった。
二重構造になっているのだ。
中心には、別のビニールに守られている線が通ってい
てその外側に毛細血管のような線がつながれていると
いうものなのだ。
つまり、中心は中心でつなぎ絶縁して、外側は外側で
またつながなければならない。
結構面倒だ。
何とかつなぎはしたのだが、今ひとつ外側の線が頼り
ないという出来だ。
これは、専用のコードを買ってきたほうが良いか。
とりあえず、それで接続すると、やはり、接触が完璧
ではなく、コードを動かすと微妙に映りが悪くなる。
まあ、暫定処置暫定処置と納得させる。

それでテレビを付けたら、世界遺産のプロが選ぶベス
ト30だか40だかという番組をやっていた。
プロってどういう人なのかは知らないが、多分旅に良
く行く人たちなのだろう。
挙げられたそれらの「世界遺産」は、殆ど行ったこと
がないところで(殆どではなく全部だった)、ほうこ
んなところが選ばれるのか、と感心して(本当は感心
もしてないが)見ていた。
「イグアスの滝」とか「ヴィクトリアの滝」とか、結
構滝は人気あるな、流石に「ナイアガラ」は入らない、
プロとしての意地が垣間見えるな、などと思いながら
見ていて、ベストワンは一体どこだろう、と関心は高
まってきた。
まさか「万里の長城」なはずないし「法隆寺」なんて
ことはもっとないしと思っていた。

そして発表した時、なるほどねと納得した。
「マチュピチュ」。
天空の街か、確かにね。
簡単に行けるところは選ばない。
それなりに苦労してその先に感動が待っている、とい
うのが趣旨のようだから、選ばれるのは納得だった。
実際、選ばれた全体を見ても、行ってみたいと思うの
はここくらいか。
しかし、車で九時間もかかるとなると、実現性は0.1
パーセントもない。
いや、100パーセント。
全般に言えるのだが、「世界遺産」だからと言って行
きたくなるところは一つもないし、基本的に名所とい
うものには興味がなかった。
つまり、もともと旅好きではなかったのだ。
そんなことは最初から分かっていたことでした。
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