今朝消防車が盛んにサイレンを鳴らして通って行ったが、家から直線距離にして300メートルくらいの線路わきの家が燃えていた。そして直線距離にして700メートルの所には、映画「怪物」の冒頭で燃えてるビルがある。同じようなサイレンの音で映画は始まる。
映画は母親の視点、教師の視点、子供の視点で描かれるといった構造を持つ。それぞれの視点で怪物にもなればまともにもなる、誰もが怪物の要素は持っている、というのが映画の主題なのだろうと思う。面白いのは、自殺するだろうと思われる人間が最後に踏みとどまるところ。類型に陥るのを拒否している。そんな分かり易い物語にしてないところがカンヌ脚本賞を取った所以だろうか。それにしても色々な人間が登場するが、一番やばそうな人間はあまり出番のない中村獅童演じる友達の父親。再生の物語にも見えるし、更なる不幸を暗示しているかのような。
追記:かかってる音楽が何だかイーノに似てると思いながら見ていたが、最後に坂本龍一の名前が出て、これが最後の作品だったことを思い出した。
夜、松本にゴダール「カラビニエ」を見に行く。有志が開く映画会で、30年前くらいから活動していて当時は普通に行っていたが、今は行くだけで大分億劫。しかしこういった活動は賛同者がいてこそなのでなるべく協力したいという気持ちもあり、最近はちょっと鞭を打つ感覚で行っている。
映画は、戦争の不条理さを戯画化したと言った内容。馬鹿な兄弟が徴兵されて眠るように死ぬ(映画の中でそう表現されているが実際はそうでもない)のだが、その家族の名前がクレオパトラ、ユリシーズ、ヴィーナス、ミケランジェロとふざけた名前で、戦争の悲惨さは直に伝わらない。元々その点に関してはそういう意図はないだろうが、戦争の普遍的な構造は自然と見えてくる作りになっている。どうしても今だとウクライナを考えてしまう。そういう意味ではタイムリーな映画と言える。
終わった後、この前は知り合いのビストロワインバーで一休みしたがそれをやるとかえって疲れるので、直ぐ駅に向かい時間丁度の列車で帰ってきた。既に蒸し暑さだけは夏のよう。