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経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

尖閣問題は官僚を排除した民主党政権が招いた災禍・・・小沢・鳩山の置き土産

2012-09-17 16:44:00 | 時事/金融危機
 

■ 政治当用された重要国大使 ■

国民の多くが「官僚機構は日本の癌」と思い込んでいます。

しかし、外務省の意向に従って民主党が動いていれば、
今回の尖閣問題は防げたはずです。

民主党政権発足当時、小沢ー鳩山ラインは、
政治決定を標榜し、官僚の政策関与を大きく抑制します。
事務次官会議を廃止し、官僚機構を弱体化しようと試みます。

その流れを受けて、藤崎一郎駐米大使と丹羽宇一郎駐中国大使を登用します。

藤崎氏は外務省からの登用ですが、
従来の事務次官→駐米大使の流れとは異なり、
外務省の意向に沿った人事とは言いがたいものがありました。

藤崎氏の駐米大使としての働きはかんばしい物では無く、
米国との行き違いもしばし発生しました。

同様に丹羽駐中大使も、伊藤忠商事の出身者で、
中国大使任命後に、伊藤忠商事の取締役を退任しています。

■ 丹羽氏は石原都知事を牽制していた ■

丹羽前中国大使は、ビジネス界出身だけあって、
石原都知事の尖閣購入計画は、日中関係を損なう恐れがあるとして、
反対を表明していました。

前原政調会長などは、丹羽氏の発言は適切では無いと切り捨てましたが、
ビジネスマンとしての丹羽氏の判断が正しかった事は、
今となっては疑い様の無い事実です。

むしろ、前原政調会長などアメリカのポチが、
尖閣問題を重大な危機に仕立て上げたと見る事が出来ます。

丹羽氏は、正常な感覚から尖閣問題を論じていますが、
彼を本来援護するはずの外務省の官僚達は、
丹羽氏を援護しなかったのでしょう。

だから、尖閣問題はこんなにも拗れてしまった・・。

従来のチャイナスクールの出身者ならば、
中国政府との繋がりも深く、
誰にコンタクトすれば、情勢悪化を最小化出来るかも分かっていたはずです。

尤も、丹羽氏の後任の西宮中国大使もチャイナスクール出身者では無いので、
ここら辺の登用が、政治主導なのか、それとも外務省の主導なのかが気になります。

ところが、新任早々の西宮大使が死亡してしまった。
通勤途中に倒れて、亡くなった訳ですが、
これが自然死なのか、それとも謀殺なのか、真実は闇の中です。

■ アメリカの思惑通りに動く日中関係 ■

これまでの所、尖閣問題を巡る日中関係はアメリカの思惑通りに動いています。

石原都知事はロックフェラー系のシンクタンク、
ヘリテージ財団にわざわざ出向いて、東京都による尖閣購入をぶち上げます。

当然、都の独断専行は好ましく無いので、
日本政府が、尖閣国有化に踏み切らざるを得ないという状況が作られました。

ただ、外務省が主導権を握っていれば、
尖閣国有化は回避出来たはずです。

1972年の日中国交正常化の際に、
尖閣問題は「棚上げ」で、日中同意がされていますので、
これを国有化すれば、日本が一方的にこの合意を破棄したと見なされるのも同然です。

では何故、政府は尖閣国有化をこんなにも焦って決めたのか?
それは当然、アメリカの強い圧力に屈したからに他成りません。

多分、西宮新大使は、尖閣国有化に強硬に反対したのでは無いでしょうか?
だから、見せしめの為に消されてしまった・・・。

要は、外務省を代表する意見を、暴力でねじ伏せたのではないでしょうか?

■ 誰かがかなり焦っている ■

竹島問題にしても、尖閣問題にしても、誰かがかなり焦っている様に見えます。

どうにかして極東地域に紛争を引き起こしたい勢力が居るのでは無いか?
石原都知事が、ロックフェラー系のヘリテイジ財団で、
尖閣諸島の購入を発表した事や、
「第三次アミテージ/ナイ・レポート」がタイミング良く提示された事などから、
ジャパン・ハンドラー達が裏で暗躍している事は明確です。

バネッタ国防長官も重い腰を上げた様ですし、
ジャパン・ハンドラーの独走と言うよりは、
アメリカを挙げて、日本に圧力を掛けてきていると見るべきでしょう・

「中国をなだめてやるから、カネよこせ」

まあ、ヤクザまがいの揺すりなのでしょうが、
政権維持がままならない民主党は、アメリカに縋るしか無い・・・。

■ 小沢ー鳩山の官僚外しが招いた結末 ■

橋本大阪市長は、盛んに官僚を批判して、国民の人気を高めています。

官僚はそれに反論する術を持ちませんから、
国民は、メディアに踊らされて、
官僚こそが、諸悪の根源だと思い込みんでいます。

しかし、小沢ー鳩山ラインが、官僚の影響力を排除した結果どうなったかは、
今回の尖閣問題を見ても明確です。

結局、政治家は命を盾に取られれば、いう事を聞きます。
自らの命は顧みなくても、
妻や子供達、あるいは、孫の命が危険に曝されてば、
言いなりにならざるを得ません。

それに対抗する為には、さっさと権力を手放すしかありません。
福田氏、安部氏が何故、あっさりと政権を手放したか?
自分の首と引き換えに、理不尽な要求を撥ね退けたからに他なりません。

中川氏の様な犠牲者も当然出ます。

今回の尖閣問題は、ロスチャ系の小沢ー鳩山ラインの作った穴を、
ロックフェラー系が上手に利用したと見る事が出来ます。

一方、中国では、尖閣デモを中共青年団が利用している節もあり、
アメリカのコントロールが効くかどうかが、不明な点も多くあります。

結局、米中が適当な所で手打ちして、
日本政府がそれを飲まざるを得ないでしょう。

アメリカは日本に貸しが出来、中国はアメリカに貸しが出来ます。

ところで、手打ちの線引きはいったい何処になるのでしょうか?

尖閣に向けて、中国の大漁船団が出港すれば、
南沙諸島、西沙諸島と同様に、
漁船団の安全を守る為に、中国軍が乗り込んで来ます。

今の中国の世論の高まりを考えると、
漁船団が尖閣諸島に上陸した後に、尖閣放棄を中国政府が受け入れる事は
中国政府の敗北と国民に受け止められるでしょう。

結局、漁船団が尖閣に上陸してしまえばアウト。
アメリカが説得しても、尖閣は中国の実効支配下に置かれます。

尤も、自衛隊が上陸を断固阻止すれば、日本の実行支配は揺るぎませんが、
そうなれば、日中戦争に発展し、沖縄までが戦火に巻き込まれます。

私は漁船団が尖閣に到着する様な事態が生じた場合は、
中国に対して、アメリカの影響力が低下していると見ます。

適当に日本を脅して、カネを巻き上げるハズが、
中国が上手く立ち回って、尖閣を手に入れてしまったという図式。
この場合は、アジアにおけるアメリカの威信にキズが付きます。


さて、明朝には結果が判明しているでしょう。
大漁船団は、はたして尖閣に到着するのか・・・・。


いずれにしても、官僚制を否定した国民が自ら招いた災禍である事に疑いはありません。



<追記>

3000隻とも10000隻とも報道される漁船団ですが、
どうやら、尖閣諸島を目指すのでは無く、
尖閣周辺海域での操業の為に出港を予定している様です。

何故なら、中国政府が定めた禁漁期間が17日に開けるからだとか。
午前中のニュースで、赤旗を掲げた漁船団が尖閣を目指すと、
映像入りで報道していましたが、
あれは大漁旗みたいなものでは無いでしょうか?

どうやら、漁船団の目的は「漁」であって、
「反日行動」では無い様です。

これを、あたかも中国漁船団が尖閣諸島に押し寄せて来る様に報道する日本メディアは
単なる勘違いなのか、それとも意図的な煽り報道なのか?

デモが鎮静化する中、日中双方に冷静さが必要な様です。



・・・て、一番騙されたのは私ですかね。
反省!!


シンプルであるという事・・・「TARI TARI」は「普通」の素晴らしさを教えてくれる

2012-09-17 06:56:00 | アニメ
 



■ 5話目から「大化け」した『TARI TARI』 ■

「女子3人、男子2人の高校生の部活動」
この共通点だけで、どうしても比較してしまう
『ココロコネクト』と『TARITARI』。

私も以前、こんな記事を書いています。

「定型化された中でどうやって差別化するか・・・『ココロコネクト』に見る定型の活用法
http://green.ap.teacup.com/pekepon/843.html

シリーズ開始当初の数話を比較した限りにおいて、
『TARI TARI』は、『ココロコネクト』の足元にも及ばない感がありました。

ところが、このあまり期待できなかった作品が、
5話目を境に「大化け」しました。

■ キャラクターに血を通わせる脚本の力 ■

『TARI TARI』は声楽部を辞めた高3の女の子、宮本 来夏(みやもと こなつ)が、
自分を追い出した「声楽部」に対抗して「合唱部」を作るというお話。


譜捲りでは無く、自分にも歌わせてくれ」と教頭に詰め寄る「来夏」

高校3年生にもなって、寄せ集めの部員で部活を新しく作るなど、
設定に多少無理があるかと思われます。

脚本も纏まりが無く、ディテールは丁寧ですが、
ドタバタと、何だか纏まりの無い展開が続きます。

ところが、5話目で『TARI TARI』は「大化け」します。


5話は、バドミントンの応援という軽いタッチでスタートするのですが・・・
この応援シーン、結構カワイイ


音楽科から普通化に転科した坂井 和奏(さかい わかな)は、来夏の執拗な勧誘に辟易としています。
何となく合唱部に入りますが、乗り気ではありません。
・・・彼女はいつも憂鬱で、少し苛立っています。

しかし、5話目「捨てたり捨てられなかったり」で和奏の過去が明らかになります。

和奏が音楽科に入学したのは、かつて白浜坂高校の音楽科で学んだ母の意志を継いだからです。
しかし、和奏の母は当時癌(多分)で、死亡宣告を受けていた様です。
和奏の両親は、娘にその事を和奏には内緒にしています。
受験に支障が出る事を心配したのです。

和奏は反抗期の真っ盛りらしく、病床の母に優しく出来ません。
受験当日も、母と口喧嘩してしまいます。


受験の朝、お守りを手渡す母に、和奏の言葉は冷たい・・

すると、受験の面接の最中に、母の容態が急変したとの知らせが入ります。
病院に着いた時、母の意識は既に無く、和奏は母に謝る事すら出来ませんでした。

音楽を教えてくれた母と、後悔の残る別れ方をして、
和奏は、音楽を楽しむ余裕を失います。
そして、音楽を続ける事の意味を見失い、和奏は普通科に転科します。

和奏の部屋には、母との思い出のピアノや譜面、CDが今でも残っています。
しかし、それを毎日見る事が、母に辛く当たった和奏を責め続けます。
どうして自分に病気の真実を伝えてくれなかったのか・・・
自責の念と共に、彼女は自分と母親の関係のわだかまりを解決出来ないで悩みます。

終に決心した彼女、は父親に、部屋の物を捨てる様に頼み、学校へ行きます。
帰ってきた部屋は、もぬけの殻、床にピアノの跡が残るだけでした。
大切な母との思い出を失って、和奏は喪失感に打ちひしがれます。


空っぽの部屋で一人、和奏は・・・

6話「笑ったり 想ったり」は和奏が母の思いに気付くストーリー。

熱を出して寝込んだ和奏を、合唱部の仲間や知人との交流が癒してゆきます。
その過程で、和奏は母との思い出と、もう一度向き合って行きます。

音楽の楽しさを教えてくれた母、いつも朗らかで明るかった母・・・
そんな折、父親が「何故病気を隠していたか」、その真実を告げます。

「和奏と悲しい別れの歌を作りたく無い、いつも笑っていた欲しいから・・」
そんな母の思いと共に父から手渡されたのは、母の楽譜。
和奏と一緒に作りたいと書き溜めた楽譜・・・。
そして父親が手渡したのは、捨てたはずのマスコット。
そして、「ピアノは母さんがオレにプロポーズした時のピアノだから
捨てるはずないだろう!」と告げる父。

父親、グッジョブです!!


父親から手渡せれる亡き母の譜面、そして捨てられなかった品々。


文章で書くと、何でも無い青春ドラマですが、
この回から脚本に加わった「佐藤梨香」の女性らしい視点が存分に生かされています。

第四話までは、総監督の「橋本昌和」が脚本も担当していますが、
キャラクターがいかにもアニメ的で厚みに乏しく、
アニメキャラが言いそうなセリフの連続で見るに耐えない状態でした。

ところが「佐藤梨香」が脚本に加わった5話からは、
セリフの量が減る代わりに、ひとことひとことのセリフの背景に、
思春期の少女の複雑な思いが滲み出して来ます。

母親が大好きなのに、どうしても生理的に母親に反発してしまう中学生の心境や、
父親を気遣いながらも、同時に父親を煙たく感じたり、
おせっかいな友人に感謝しながらも、心を完全に開けなかったり、
そういった女の子の気持の揺れ動きを、脚本は見事に表現しています。

4話までと、セリフの口調が変わった訳では無く、
ただ、今までセリフで語らせていた内容を、
ほんのちょっとの表情の変化や、部屋の風景や、窓からの景色に代弁させます。
そして、和奏の心が曇ってゆくに従い、天気は荒れ始め、台風が到来します。

こういう細かな演出と脚本がガッチリとかみ合った5話以降、
『TARI TARI』のキャラクター達に血が通い始めます。

そして、合唱部の敵として立ちはだかっていた教頭先生と和奏の母のかつての交流が、
物語の隠れた主題である事が次第に明らかになってゆきます。

周囲のキャラクター達の彫り込みが深くなるにつれて、
天真爛漫で、ちょっとわがままな来夏のキャラクターも引き立ってきます。

■ 普通の日常を描きながらドラマを成立させること ■

『TARI TARI』は、普通の高校生の普通の日常を丁寧に描いています。
今時の高校生が楽しめるような演出はされていますが、
そこで描かれる事は、等身大の高校生の日常です。

面白いのはウィーンからの帰国子女である「ウィーン」(あだ名)をメインとした回。

学園祭の発表の為に資金稼ぎの為に、
商店街の「戦隊物」のイベントに借り出された合唱部の5人。

戦隊ものの衣装に恥ずかし気な4人のメンバーを他所に、
「ウィーン」だけばハイテンションです。
日本のおじいちゃんが送ってくれた戦隊物のビデオを見て育った彼は、
戦隊物の大ファンだったのです。

彼は脚本を考え、振り付けを指導します。
その熱血ぶりたるや、他のメンバーを圧倒します。
普段のウィーンはもの静かなちょっと不思議ちゃんだからです。

しかしウィーンの熱意は、少しずつメンバーを動かして行きます。
商店街でのパフォーマンスもだんだんと人気が出て、
本人達も、悪役を演じる商店街の人達もノリノリです。


戦隊の格好で人前に出る事を躊躇するメンバー


ノリノリの悪役達(商店街の人達) 

そんな折、パフォーマンス中に来夏の鞄が置き引きされます。
自転車で闘争する犯人を、ウィーンはひたすら走って追いかけます。
入り組んだ坂道の街ですから、ウィーンはとうとう自転車を追い詰めます。


「ボクは諦めない。何故ならボクはヒーローなのだから!!」
ヒーローモード全開のウィーン


しかし、犯人の反撃に合い、あわやピンチのその時、
ウィーンは歌い始めるのです。大好きな戦隊物の主題歌を。
あたかも、自分を鼓舞するがごとく、悪を弾劾するがごとく!!
すると、歌声が呼応します。
他のメンバー4人が追いついたのです。
見事なコーラスで歌われる戦隊物の主題化に、
犯人は完全に戦意を喪失し、一見落着。


戦隊物のコスプレで、さらに主題歌を合唱されたらかなりビビリます


何と犯人逮捕!!お手柄です。


なんだかアニメの様なお話ですが、いえ、アニメでした。
しかし、キャラクターに血が通っていれば、
こんな話でも、手に汗をにぎって見入ってしまいます。

高校生の日常に、起こりそうで起こらない事。
この微妙な匙加減が、この作品を見る高校生達をワクワクさせるのでしょう。

実写でやったら、臭くて見ていられないストーリーでも、
アニメの世界では成立してしまう好例ではないかと思います。

日常を描きながらもドラマを成立させる事は難しい事です。
ともすれば、単調でツマラナイ作品になり勝ちです。

そこで、ちょっとした非日常を加えると、
アニメというジャンルでは、話がドライブし始めます。
これこそが、日常アニメの魅力とも言えます。
現実のほんの少し隣に、「面白い」は、幾らでも埋もれているのです。

■ 伏線の回収も丁寧で、『TARI TYARI』は良作となった ■

教頭の過去や真意、
学校の廃校という非常事態。

これらの伏線が、見事に最終回の見所に繋がって行きます。

来夏の個人的ワガママで始まった合唱部は、
廃校が決まった白浜坂高校で、最後の花を咲かせる事が出来るのか?

来週の最終回は見逃せません。


教頭の涙は破壊力抜群。
最終回で教頭はデレルのでしょうが、最強のツンデレキャラとの呼び声も?



高校時代の教頭と和奏の母。
高校時代の和奏母が一番カワイイと評判。