人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

東アジア問題で目を逸らされていますが・・・・確実に進行する世界経済危機

2012-09-19 09:19:00 | 時事/金融危機
 

■ サブプイライムショック以降、下がり続けるアメリカの住宅市場 ■

FRBはQE3に踏み切りました。

内容は毎月400億ドル(3兆円強)の住宅担保証券(MBS)をFRBが購入するというもの。

つい先日まで、アメリカの住宅市場は底を脱した報道されていたのに、
結局、アメリカの不況の原因は、住宅市場がガタガタな事。

これって、サブプライムショックからの流れが、全く改善されない事を示しています。

FRBはTARPで購入したMBSをゴールドマンなど民間に売却して
資金供給で放出した資金を回収しています。
これを又もや買い戻すのですから、結局、状況は何も変わっていません。

■ 実体経済を刺激するには、住宅価格の上昇が不可欠 ■

アメリカの消費は、購入した住宅の値上がりに伴う個人の信用の増加に支えられて来ました。
サブプライムショックで、個人消費の原資となる住宅価格の上昇がマイナスになったままなので、
アメリカの消費は停滞し、実体経済が回復する兆しは見えません。

FRBは量的緩和で湯水の様に資金供給をしていますが、
民間に資金需要が無いので、供給された資金が実体経済を潤す事無く、
金融市場に停滞して、プチバブルを作り出している状況は日本と同様です。

アメリカの個人消費を喚起する為には住宅市場の回復が不可欠です。

■ FRBのMBS買い入れは、住宅市場の回復に繋がるのか ■

はたしてFRBのMBS購入は、住宅市場回復の糸口になるのでしょうか?

ご存知の様に、アメリカではフレディーマックやファニーメイが
金融機関から、住宅ローンの債権を買上げます。
金融機関は、ローンのリスクが低減できるだけでなく、
資金回収が直ぐに出来るので、新たな貸し出し余力が生まれます。

一方、ファニーメイやフレディーマックが買い上げた住宅債権は、
バラバラに分解され、住宅担保証券(MBS)という金融商品になります。
このMBSを金融機関が買う事で、フィレディーマックやファニーメイに資金が還流し、
その資金が新たな住宅債権の購入資金として、住宅ローン市場に流れ込みます。

要はMBSの販売が滞れば、住宅市場への資金が枯渇します。

ですから、FRBのMBS購入は、住宅市場に資金を提供し、
住宅市場の活性化から、アメリカの実体経済を回復させる試みと言えます。

■ ゴールドマンなどは既にMBSを買い貯めていた ■

FRBはリーマンショック直後、不良債権化したMBSを金融機関から大量に購入しました。

今年の2月くらいにFRBは金融機関から買い上げたMBSを売却しています。
ゴールドマンを初め、主だった金融機関が入札に参加しました。

これだけを見ると、MBS市場が安定を取り戻したので、
FRBが民間にMBSを売却して、資金を回収した様に見えます。
売却の過程で、利益が出れば、FRBのMBS購入は成功したと言えます。

その頃、ゴールドマンサックスを始めとする金融機関は、
MBSへの投資を再開していました。
投資信託の運用先を見ても、MBSの比率が国債に比べて拡大しています。

この様に、今年の初め頃は、MBS市場は回復の兆しがある様に見えました。

ところが、今度はFRBがMBSの購入を発表しました。
これは、MBS市場の回復を装う為にゴールドマンなどが購入したMBSが
再び、ダブ付いている事を示すのでは無いでしょうか?

MBS市場の回復を演出したが、結局は失敗してFRBが尻拭いをするのでしょう。
再びMBSの暴落が発生しない様に、MBSを買い支えるとメッセージを発しているのです。

■ 極めて消極的なQE3 ■

実体経済刺激の為には、政府支出を増やす事が近道ですが、
共和党が議会を支配している状況で、財政の拡大は望めません。

それどころか、2012年末には、強制的に財政を縮小する「財政の壁」が迫っています。

ですから、月額400億ドルでMBS市場を支えるという、
かなり消極的な量的緩和しか、FRBの取れる手段は無かったとも言えます。

「財政の壁」が現実化して、米経済の失速が明確になれば、
住宅市場が下落して、MBSに再び暴落圧力が掛かるかも知れません。

ですから、FRBは先手を打ってMBSの防衛を行い、
ショック状態に備えているのでは無いかとも思えます。

■ 円高に量的緩和では無く、為替介入で対抗する政府と日銀 ■

QE3でアメリカのマネタリーベースは拡大しますので、
当然、ドル安円高が発生します。

安住財務大臣は「円高には為替介入で対抗する」と発言しています。
本来、日銀が、FRBやECBに足並みをそろえて量的緩和を行えば、円高は是正されますが、
日銀も大幅な量的緩和をしない予定です。

「為替介入=米国債購入」という従来の流れであれば、
日本は、アメリカの財政を支えるATMの役を続けるとも言えます。

■ 日中緊張で、円安圧力が生じている ■

中国での反日暴動が過激化した9月13日頃から、
為替相場の円高は、一段落しています。

それでも79円台というレートが維持されています。

ユーロ危機、アメリカのQE3、東アジアの緊張が同時に発生しているので、
為替相場が大きく動くことはありません。

ここら辺は、どうもタイミングを合わせているとしか思えない節もあります。

■ 表面上に現れない危機が高まっている ■

量的緩和によるユーロやドルの下落は限定的で
投入された資金で、株式や商品、債券市場は一時上向きます。

表面的には成功と思える量的緩和ですが
そのストレスは、どこかに溜まっているはずです。

それは、穀物価格の上昇であったり、原油価格の上昇として、
確実に各国の国民の生活をい圧迫します。

中東や中国に限らず、世界中の人々の間にストレスが高まっています。

アメリカ国民の目を暫くは、大統領戦に釘付けです。

そうしている内にも、アメリカでは「財政の壁」が着実に近づいています。
さて、世界は、アメリカの議会は、どの様な選択をするのでしょうか?

派手な事件に気を取られているうちに、
世界経済は重大な局面を迎えるのかも知れません。





<再録シリーズ> 「ミサキラヂオ」・・・終わらない物語

2012-09-19 06:19:00 | 
 




最近、殺伐とした記事(事件)が続いています。
心に余裕が無い時は、ゆっくりと読書でクールダウンも良いのでは。
2010年に紹介した本ですが、当時、このブログを訪れるのは一日5人とか10人でした。

それから2年余り。
原発事故をきっかけに、このブログを大勢の方が訪れてくれる様になりました。
その一方で、当時の、独り言の様なブログの内容も変化して、
最近は、肩に力の入った記事が多くなってきました。

しかし、日韓、日中関係が緊迫した今、
実は、両国国民に必要なのは「余裕」なのかも知れません。

大東亜戦争当時と比べると、日本も韓国も中国も、物質的には圧倒的に豊になりました。
しかし、心ははたして豊になったのでしょうか?

物質的豊かさを追い求めるばかりに、精神のゆとりを無くした私達は、
今こそ、マッタリと読書でもして、心を静めるべきでは無いでしょうか。

本日は、過去の記事から、「ミサキラヂオ」という本を紹介します。
決して読み易い本ではありませんが、
ゆったりとした日常が、そして人々の普通の繋がりが、
どれだけ貴重なものなのかを、思い出させてくれる内容です。

Amazonを検索したら、在庫が1冊ある様です。
「入荷予定在り」にもなっています。
マイナーな本ですが、日本には、埋もれた良作が沢山ある事を知らしめる一冊でもあります。


<以下、2010年5月1日の「人力でGO」より再録 >


■ 「本と私の物語」の始まり ■

「CDはジャケ買い、本は題名買い」をモットーとする私。最近は近所の小さな古本屋さんがお気に入りです。増えすぎた子供のマンガを売りに行くついでに、ハードカバーが並んだ小さな書棚を覗くのが最近の楽しみです。

チェーンの大きな書店に、本があるのは当たりまえです。検索機で書名を検索して目的の棚から、目的の本を探す事が出来ます。便利このうえ無いシステムですが、そこには本との出合いがありません。

平積みされた本の山や、林立さた書棚をザっと眺めて、目に付いた本を手に取る事もありますが、そこには「本と私の物語」が希薄です。

小さな街の古本屋の、小さな書棚をゆっくり眺めて、そこに並ぶ本に「誰が読んだんだろう?」などと想像を巡らしながら、意外な一冊と出会う楽しみは、大規模書店では味わえない「本との出会いの瞬間」に溢れています。子供のマンガを売り払った時に手にした千円札は、こうして私の本に姿を変えます。

■ JOZZ3RC-FM 82.8MHz こちらはミサキラヂオ ■

「ミサキラヂオ」。この不思議な題名の本ともそうして出合いました。

太平洋に突き出した「ミサキ」は東京からそう遠くない土地です。ミサキには小さな漁港があって、その一画にポツンと建つ小屋から、ミニFM局の「ミサキラヂオ」は放送されています。電波は周囲10Kmに到達する程度の小出力。誰が聞くとも無く流される電波は、しかしミサキの人たちの生活にさり気なく浸透しています。

文化人かぶれの水産加工工場の社長が、東京での夢やぶれて家業を継ぐ傍らで、「ミサキに文化の息吹を植えつける為」に始めた小さなラヂオ局、それが「ミサキラヂオ」です。

■ ラヂオ局に集う普通で異能の人々 ■

ミサキラヂオの番組は、地元の様々な人達の手作りです。

観光案内所に勤める元プータローのDJ。
ミサキを舞台いした歴史小説を朗読する土産物店主。
演歌をこよなく愛する怪しい実業家。
タレントに手を出して都落ちした録音技師。
詩を朗読する農業青年。
近現代音楽を愛する童貞音楽教師。
過去の音楽と化したROCKを愛する生物学研究者。
ちょっと尻軽な女子高生アルバイト。
内気な女子高生詩人。
6年間引きこもりを続ける女性音響作家。
老人ホームからブランティアで通う老人たち。

そんな、どこにでも居そうな人たちがミサキラヂオに集ってきます。そして意外な事に、それぞれの人たちが、水準以上の能力の持ち主です。「ミサキに文化を」と始めたラヂオ局は、ミサキに埋もれていた異能の人達を見出して行きます。ただ、それに気付くのは社長だけで、それぞれは自分の能力に気付く事無く、しかし内側の静かな衝動に動かされてミサキラヂオに集ってきます。

■ 電波がズレるラヂオ局 ■

ミサキラヂオが普通のラヂオ局と少し違っているのは、「電波が遅れて届く」事。
5分、10分、1時間、時には何ヶ月も何年も前の電波がラヂオから流れてきます。それも場所によってランダムに。原因は分かりません。人々は始めは不思議がりますが、今では自然にそれを受け入れています。

録音技師は職業柄、島に住む高校生の「第三の猫」は科学的興味から原因を探りますが
結局原因は分かりません。

■ 永遠に続く物語 ■

「ミサキラヂオ」は不思議な小説です。ほとんど改行も無く文字でページが埋め尽くされています。会話もカギカッコ無し、改行無しで交わされていきます。代名詞もほとんど無く、人物は「土産店主人」や「ワタナベユミ」や「録音技師」と一貫して呼称されています。何故なら、会話文ですら区切られていないので、彼や彼女では誰が誰だか分からなくなってしまうのです。

多くの人々が、ぎっしりと埋め尽くされた文字の中で、息づき、考え、生活している本・・・それがミサキラヂオです。

個々の人々の短いエピソードが、会話が、行動が積み重ねられて、いつしか本の中にミサキの街が生まれていきます。

はじめは違和感を覚えながら読み始めた読者も、埋め尽くされた文字の中に「整理さない連続性」という日常を見つけるにあたり、自分自身が本の中に取り込まれてしまったような錯覚を覚えるようになります。

ページを開くと、直ぐに港の魚臭さや潮の香りが漂ってきます。喫茶店アジールのコーヒーとカビの混じった匂いが鼻腔をくすぐります。ほとんど人物の描写だけで埋められた本からは、ミサキの自然や街並みが幻視されます。いつしか、ミサキの人々は読者の隣人として息づき始めます。本から目を上げたら、登場人物の誰かが傍らに立っているような錯覚さえ覚えます。

本は346ページで一応の終焉を迎えますが、読者の中に生成したミサキの街で、今日もミサキラヂオは放送され、社長は喫茶店アジールに顔を出し、DJタキは職場で軽口を叩き、録音技師と音楽教師は居酒屋でビール酌み交わします。

ミサキラヂオは「永遠に終わらない物語」を今日も多くの読者の中に紡いで行きます。

■ 柔らかな密度感・・・マルケスの世界 ■

ミサキラヂオは柔らかな密度感に満ちた小説です。ミッチリとした文字が鼻腔や毛穴から浸透して来る感覚は、南米の幻想小説に通じるものがあります。ガルシアマルケスやマニエル・プイグの小説に見られる冗長性と同質のものを感じずにはいられません。

電波のズレるラジオという設定が、あまりにも普通に存在してしまう世界は、納屋に「翼の生えた老人」が普通に転がっている世界に通じるものがあります。

あるいは、描写の積み上げの中で、何処にも無いトポスを現出させる手腕は、ジョナサン・キャロルの「死者の書」の様でもあります。いずれにしても、今まで日本には存在しなかったタイプの作家である事は確かです。

最近の人気作家が、マンガやアニメを想起させるのに対して、瀬川深の文章は、あきらかに80年代~90年代の海外小説を想起させます。

作者の「瀬川 深」は、1974年岩手県生まれで、東京医科歯科大学の医学部を卒業しています。世界50カ国を旅した旅行愛好家でもあります。「チューバはうたう」という短編集で太宰賞を受賞しています。

日本文学の枠を超えて、世界の文学に直接シンクロする感覚は、作者の経歴に起因するのかもしれません。

■ 影の主役は音楽 ■

ミサキラヂオの主役は人ではありません。ラヂオ局らしく音楽が主役です。それも流行歌などでは無く、現代音楽であったり、ラテン音楽であったり、過去の音楽となったROCKであったり、さらにはコラージュされた「音響」だったりします。

文字で埋め尽くされたページから様々な音が響いてきます。セイゲン・オノのCDを掛けた時にスピーカーの奥に広がる景色と同じ景色が、この本のページの向こうに透けて見えます。

■ ゆっくり読みたい一冊 ■

簡単な本ですが、私はこの本を読むのに半年掛かりました。もったいなくて1日3ページ以上読めないのです。いつまでもミサキの人々の中に身を置いておきたいと思わせずにはいられない一冊です。