■ 例え3000億円であっても政治家にとっては屁みないな金額 ■
迷走する新国立競技場問題ですが、2520億円、将来的には3000億円になるかも知れない建設費が問題の中心となっています。まあ、日銀の為替介入で小泉時代の40兆円、民主党時代に一回で7兆円をアメリカにプレゼントした事を思えば屁みたいな金額です。
「ナニナニ、アメリカが金をくれってって?3兆くらい渡してやれば黙るだろう?」
こんな感覚で居る政治家だけに、「3000億円のどこがいけないんだ。日本の国威を世界に示すオリンピックなのだから、特別税でも作って国民に広く浅く負担させたらどうって事ないじゃないか!!」って感じで建設費はどんどん増大していったのでしょう。
「先生、建設費がいくらになったっていいじゃないか。大きければ大きい程、ゼネコンも俺らも潤うんだからウィンウィンの関係だよ。一番高そうで立派なプランにしてくれたまえ。君だってお世話になっているゼネコンに恩返しが出来る。」
こんな会話が頭の中にモワモワと浮かんできてしまいます。
「先生、このキールアーチは金が掛りますよ。大丈夫ですかね?やって出来なくは有りませんが、合理的ではないですよ・・・。エ!?金ならいくらでも有るって言われてるんですか?足りなければ増額しても良いって言われた・・・。本当ですかね・・・まあ最初は適当に見積もっときますが、後から膨らむ事は覚悟しておいてくださいね。まあ、我々もこれに決まれば儲けは大きいですから、先生、ここは一つ頑張って下さい」
いかん、妄想の歯止めが効かなくなってきた・・。
■ 「コンパクト五輪」のコンセプトは何処へ? ■
今回のオリンピックのテーマの一つが「コンパクト・オリンピック」でした。晴海や都心中心の狭いエリアに競技施設を集中させ、既存施設を上手に活用しながら、低コストながらも観客の利便性も追求する事がテーマでした。
東京都は五輪を利用して晴海を中心とする臨海部の開発や、都心種変の再開発や道路整備で大都市東京の魅力を高める狙いがあったと思われます。
しかし、いざ実際的な検討に入ると、晴海は風が強くてメインスタジアムでの競技には使えない事が分かります。
ヨットは空撮のヘリコプターが航空路と干渉する為に、トライアスロンは水質問題で他地域への変更を余儀なくされ、地理的なコンパクトには破綻が生じていますが、これは大した問題ではありません。
問題は、既存施設をなるべく活用して低コストなコンパクト五輪を目指すという指針が、途中から消えてしまった事です。
五輪決定時期の政権は民主党政権で、財政再建を掲げていました。五輪も東京都が誘致したイベントなので国費をそれ程投入する予定は有りませんでした。
晴海に建設予定のメインスタジアムも建設費は都が捻出する予定だったと思います。
■ アベノミクスでタガが外れたコンパクト五輪 ?■
晴海の代替え地として候補に挙がったのが代々木の国立競技場です。老朽化が進み、耐震補強もされていなかったので、いずれは建て替えられる予定でした。この旧競技場は収容人数や施設の点から、既に陸上の国際大会やサッカーのワールドカップの会場では使用できない施設でした。
ザハ・ハディドの案が決定したのは民主党政権時代でしたかが2次審査は2012年11月7日。衆議院の解散が11月16日でしたので、次の自民党政権が確実視されていた時期になります。
関係者の心中では、自民党政権になったら予算増額は容易だから、なるべくコストの掛るプランを選ぼうという息しが働いたかも知れません。(妄想)
■ アベノミクスという集団暗示 ■
アベノミクスの暗示効果もあったかも知れません。311地震以降、委縮していた日本人の心にアベノミクスは希望の灯をともしました。
「日本はこんなもんじゃない」「日本はまだまだ世界と戦える」「日本の力を世界に見せつけてやる」少なからぬ日本人はアベノミクスの雰囲気の呑まれた事は確かです。
「アンビルドの女王」と呼ばれ、実現が困難とされるザハ・ハディドのプランを日本の建設業界の技術力と人材の総力を挙げて実現して世界をあっと言わせたい。
槇文彦氏らが、神宮外苑の景観を壊すとして巨大なザハ案に反対した時、私は「どうせやるならザハ案の様にモニメンタルの案の方が、今後の東京のランドマークとして相応しい」のでは無いかと思いました。
建築業界の末席に居る私としては、ザハの提案した線路をも跨ぐような巨大は構造物が出来上がるのならば、それは是非見てみたいと思いました。
■ 計画縮小で価値を失ったザハ案 ■
しかし、基本設計の段階で著しく予算がオーバーし、さらに線路を超えるなどコンペの要件を規模的に逸脱していたザハ案は縮小を余儀なくされます。
小山の様な、ランドスケープ的な規模を持っていた計画案は、自転車のヘルメットを伏せた様な、あるいは海底に眠るガメラの様な形がポンと置かれた「単なる建築物」に成り下がってしまいました。この時点でザハ案は次点以下の案にも劣るものに劣化していまます。
■ 不完全な物を高いお金で作る意味は無い ■
私は建築物は美しくあるべきだと思います。その点、東京都が1600億円を投じて都庁跡地に建設した東京国際フォーラムは、「建築物のフェラーリ」とも言える価値を持っています。
ザハ案が当初のプランのまま建設されたら、「建築物のランボルギーニ」になったかも知れません。ちょっと成金主義的な所もランボルギーニ的かもしれません。
しかし、プラン変更されたザハ案に高額の資金を投入する魅力は有りません。不完全なものは美しく無いからです。
■ スパン400mの橋梁を陸上に建造するナンセンス ■
ザハ案はスパン400mの巨大橋梁=キールアーチを陸上に建造するだけで1000億円近くのコストが掛ると見積もられています。これは土木建築のスケールなので、橋梁工事などに長けているゼネコンが落札すると思われましたが、意外にも竹中が受注しています。他のゼネコンがもっと高い額で入札したとすると、キールアーチの施工費はもっと膨らむ可能性も有ります。
ところでこの巨大アーチ、どうして必要なのでしょうか?
一般的にスタジアムの屋根は軽量に作られます。グランドの中に柱を建てられないので、屋根はスタジアム周囲の構造によって支えらます。体育館の屋根の様にアーチ構造にする事で、大スパンの屋根を、屋根事態の強度で支える事が出来ます。
丹下健三氏の東京オリンピックプールの屋根は面白い構造で、長辺方向に貼られた太いワイヤーによって屋根の荷重を支えています。吊り橋にテントが張られている構造を創造して下さい。
ハディドのプランでは、屋根は二本の巨大なキールアーチで支えらています。橋梁の様な頑丈の構造でなかりの荷重に耐えると思われますが・・・そもそも論としてスタジアムの屋根が重たい必要があるのか・・・。むしろ屋根を軽く設計する事こそがスタジアム建設の醍醐味では無いのか・・。
もっともキールアーチがスタジアムの屋根を支える構造として問題があるわけではありません。
アテネのオリンピックスタジアムでも採用されています。
シドニーのオリンピックスタジアムもキールアーチ構造です。様なキールアーチはスタジアム建築の屋根を支える構造としてそれ程特異な構造では無いのです。
では何故ザハ案のキールアーチは建設コストが高いのか・・・それはキールアーチが鋼管やトラス構造では無く複雑な形状を持った立体だからでしょう。多分鋼板と鋼材を溶接して作って行くので、橋梁の鉄骨部と似た構造になるのでしょうが、複雑なだいに値も張る。さらにオリンピック・プレミアムでゼネコンも思いっきり乗っけているカプコン、カプコン・・。
私個人としては、「何故2600億円になったか分からない」という安藤忠雄氏の記者会見での発言は彼の本心に近いのでは無いかと思います。どうしてこんな高いの?って。
■ 合理性の対局にあるムダの美学 ■
建築という物は構造的、コスト的制約と、デザイン的な自由度の制約の上に成立します。
モダニズムの建築では合理性や経済性が優先され、無機質で幾何学的な形状がほとんどでしした。
その反動で生まれたポストモダンですが、従来の構造や形態を折衷する事で、表層的にモダニズムに対応しようとした事で、建築の本質を揺るがす様なムーブメントとはなりませんでした。
一方、ザハ・ハディドを代表とする「脱構造出」の建築家達は、建築物の既成の構造や形態を破壊する事に存在意義を求めています。柱が真っ直ぐ立っていたり、壁が真っ直ぐ立っている事に疑問を呈しているのです。
柱が真っ直ぐだったり、壁がまっすぐなのは、経済的である事と同時に構造の強度計算がやり易い事にも起因した形状です。しかし、コンピューターの進化により構造シミュレーションの技術が向上した結果、様々な建築形態を実現出来る様になります。
日本でも伊藤豊雄氏や妹島和代氏らを始めとする建築家たちは、自由な構造の生み出す新しい建築デザインを追求しています。しかしザハ・ハディドなどの脱構造派と一線を画すのは、自由な中にも合理性の追求を忘れてはいない事です。ミニマムな構造のモジュールの連続と組み合わせで無限の拡張性を獲得しようとする試みはスリリングです。
一方、ザハ・ハディドやフランク・ゲーリー らの脱構造主義は「西洋文化の合理性に否定」に重きが置かれているので、その形状や構造は非合理的でラディカルである方が好ましいのでしょう。結果的に、「設計が難しく、建設が難しく、使い難く、コストが掛る」事が婉曲的に肯定される事になります。
脱構造主義の建築において無駄こそが大切であり、彼らにしてみれば、キールアーチの構造的合理性などを議論する事こそがナンセンスなのです。
ザハ・ハディドの建築デザインは「合理的には建設するメリットが無い」から価値が有るのであって、だからこそ彼女は「アンビルドの女王」なのです。
ザハ案が採用された時、多くの日本の建築家達は驚きを隠せなかったでしょう。ミニマムな日本の美意識を評価されて有名になった安藤忠雄が、彼の建築のポリシーの対局にある「西洋的な合理主義の破壊を、西洋的物量主義で実行する」するハディド案を選んだのですから。
■ 無駄の議論をするならば、ザハ・ハディドの案は中止すべき ■
私はザハ案が縮小された時点で価値が無いと思っていますが、ある意味、デザイン的に陳腐になった物を巨額を投じて建設するという行為も、合理性を欠いており、ある意味行政の脱構造主義なのかも知れません。
そうは言っても私達の税金でカッコ悪い物は作って欲しくありません。
ですから、同じコストを掛けるならば、予算の中できちんとデザイン的に完結するプランに変更する方が建築業界の未来の為にも有意義です。
コンペの第2位のプランはSANAA(妹島知世+西沢立衛)と日建設計のコラボレーションした案です。次点はCOX案でした、SANAAは3位。
こちらも脱構造主義的ですが、建築的合理性に逆行するのではなく、合理性を研ぎ澄ませた先の自由を追求しています。
上の写真はSANAAが設計したローザンヌ連邦工科大学の施設ですが、複雑な形状は単純な構造に組み合わせによって実現されており、それによって実現した局面が屋根の構造的な強度を生み出すという、実にスマートで合理的な設計思想が見て取れます。
コンピューターによるCADが存在しなければ図面化する事が難しく、同様にコンピューターによる強度計算の進歩が生み出した建造物だともいえます。
本来であれば、日本で開催されるオリンピックであるのですから、日本の建築設計のレベルを世界に知らしめる良いチャンスだったはずですが・・・どうしてSANAA案が優勝しなかったのか不可思議に思っている建築関係者は山程居るはずです。
ただ、SANAA案は「迫力」が無いので、一般人受けし難く、国際的にも玄人受けは良いのですが、「ドーダダダァーー!!」といったインパクトに欠けると判断されたのかも知れません。
<追記>
槇文彦氏が開閉式屋根が必要無い事を明確にしています。コンサートでの音漏れ対策として採用される開閉式屋根ですが、天然芝のピッチを維持するために、ピッチを利用するイオベントの回数は年間12回程度。
そもそも旧競技場の時代から、この規模の会場を一杯に出来るアーティストは嵐ぐらいかと思います。AKBはガラガラ、モモクロでそここ・・・。
膜構造の開閉式屋根のコストは高く、維持費も掛かります。一方で遮音性には問題があります。ザハ案でも一番最初にカットされたのが開閉式屋根でしたが、これはイベントの開催に問題があるとして復活してしまいました。
SANNA+日建プランでも、この開閉式屋根の詳細は不明で、もしかしてこちらの案を採用しても屋根で足が出る可能性があります。
天然芝の維持と育成という観点からは、天井開口面積を制限してしまう開閉式屋根はデメリットの方が大きく、これを中止する事で得られるメリットは大きい。
ただ、周辺住民はオリンピックのリハーサルやコンサートで騒音で悩む事になるのでしょうが、毎晩、花火の騒音に悩まされる某テーマパークの周辺住民の事を思えば・・・・。