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個人の利益と相反する全体の利益・・・民主主義の根源的矛盾

2015-07-22 10:28:00 | 分類なし
 

ガッチャマンの記事から抜粋します。アニメ記事だと華麗にスルーされる方も多いと思いますので。


■ 「国民の選択」を反映出来ない民主主義 ■

民主主義は尊いものだと学校で教わります。国家の主権者は国民一人ひとりであり、国家の意思決定は国民に委ねられているのだと。

ところが民主衆議は現代の世界で上手く機能していません。例えば「安保関連法案」問題で揺れる日本で、もし国民投票でこの法案の是非を問うたならば、過半数の国民が「NO」という選択をします。民主主義的には「安保関連法案」は否決されるのです。

ところが、先の選挙で国民は圧倒的な支持を自民党に寄せましたので、国会において自民党が安定過半数を確保しています。この状態では、自民党が強硬採決を選んだならば、国民はこれを止める手立てがありません。国民が選んだ代表が、国民の意思に反する決定をするという議会制民主主義の矛盾が露呈しているのです。

何故、この様な事が起きるのでしょうか?

■ 共通の利害の一致を亡くした世界で民主主義は正しく機能しない ■

昔のムラ社会という小さな共同体においては、黄道帯内の人々の利害は一致しています。たとえ個人的に意見対立が有ったとしても、共同体の利益が個人の利益に優先されます。村人同士の話し合いで決着しない場合は、村長(むらおさ)がムラの利益を最優先で決定を下しました。この決断に異を唱える者はムラを出て行くか、村八分にされるかしか選択肢が残されていませんでした。

時代と共に共同体はどんどん大きくなり、国のレベルにまで拡大します。

ところが共同体が巨大化すると「共通の利害」の関係で共同体を纏める事が難しくなります。どこかの村に資金を投入すれば、別のどこかの村が困るのです。ある世代を優遇すれば、別の世代が損を被ります。

共通の利害を失った民主主義において人々が取った行動は、自分の利益を最大化させるという行動です。この変化の中で、人々は義務を嫌い、権利のみを主張する様になります。義務を負った結果の利益が、自分や身近な共同体に還元されるとは限らないからです。

共同体の拡大と共に、負担とトレードオフの関係にある利益は見えにくい物になっていったのです。

ネトウヨを始めとする保守の一部の人達は、「日本の為に」という言葉を好みます。これは一見個人の利益よりも国家の利益を優先している様に聞こえます。しかし、彼らは「日本の為に財政を拡大せよ。」とか「日本の為に量的緩和を拡大せよ」と主張する一方で、自分達の負担が拡大する「消費税増税には反対」します。結局は個人の利益追求のカモフラージュ、あるいは自己欺瞞に過ぎないのです。それに気づいていない所が彼らのイタい所であり、恐い所でもあります。

■ 議会制に民主主義という調整機構 ■

民主主義には「直接民主制」と「間接民主制」という二つの手法が存在します。

あるテーマに対して有権者一人一人が投票を行い多数決で決める方法が直接民主制。これは古代ギリシャで行われていました。現代のスイスでも伝統的に直接民主制による採決が行われています。国民投票も直接民主制です。最近話題に上る事の多い「ネット投票」もこの一形態です。

直接民主制には、共同体の規模が大きくなると集計に時間と労力が掛るという物理的な問題点が存在しました。細かな議題で毎回国民投票をしていたのでは国家運営が滞ります。しかし、ネット投票を用いればこのハードルはクリアー出来ます。スイスの直接民主制に世界が注目し始めている理由は、ネットの発展で直接民主制が可能になった事と無関係では有りません。

一方、直接民主制は物理的制約の他に、制度的な問題も抱えていました。小さなムラ社会ででは議題は直接有権者全てに関係のある事がほとんどです。有権者の皆が当事者なのです。ところが共同体が大きくなると、全ての有権者に関係の有る議題は減ってきます。さらには、先にも述べた様に「全体の利益」と「個人の利益」の相反が生まれます。例えば、増税しなければ財政が破綻するケースにおいて、国民の多くは増税を拒否します。

この様に直接民主制は共同体が大きくなると機能不全を起こします。そこで代わりに用いられるが「間接民主制」です。これは、選挙によって代表を選び、その代表の話し合いと投票によって決定するシステムです。

代表者は少なくとも一般の有権者よりも見識の優れた者が選ばれます。結果的に全体の利益と個人の利益のバランスを判断できるので、大きな共同体を維持する為には「間接民主制」が適していると考えられています。日本が採用している「議会制民主主義」は「間接民主制」の代表的ばものです。

■ 強い物がが支配する議会制民主主義 ■

一見合理的に思える「議会制民主主義」にも欠点が有ります。

それは議員が特定の者の利益を代表する存在であるが故に、結局は公正性が保てないのです。議員に影響を与える最たる存在が有権者です。選挙で勝たなければ議員にはなれませんから、議員は有権者の利益を最大化する様にふるまいます。地方政治などが良い例で、市議会議員などは、「道路に信号を設置して欲しい」などという有権者の利益を実現する為に活動します。

国政クラスになると状況が少し変わって来ます。確かに有権者は国民一人ひとりなのですが、選挙区が広いので、バラバラな個人の利益は相殺されます。一方、企業や労働団体など政治献金などで議員に直接的利益を提供できる存在の要求に議員は応える様になります。

結局、国民に選ばれながらも議員は、自分に利益を供与してくれる企業や団体の利益を最大化するようにふるまうのです。

現代の「議会制民主主義」には根本的に公正性など存在しないのです。この問題を解決する為に政治資金を禁止する動きなども有りますが、法案を作るのが政治資金を貰う立場の議員なので、法律に抜け穴が有ったり、あるいは法律が緩く改正されたりします。

この様な議会制民主主義の根本的も問題を解決する手段として、「直接民主制」に注目が集まっているのです。

■ 「官僚主権」や「政党主権」という実態 ■

日本の法律は立法府である国会が作ります。しかし、多くの国民が「日本は官僚支配の国だ」とか、「自民党の一部の政治家が国家の方針を決めている」と言います。これは間違った認識では無く、むしろ日本の現状を正しく捉えていると言えます。ただ、これらの言動の中には「民主主義の原則が踏みにじられている」という否定的な感情が込められています。

では日本において官僚機構は私利私欲に染まった悪なのでしょうか?財務省は私達の財産をかすめ取ろうとしているのでしょうか・・・。答えはNOでしょう。

安倍首相を始めとする一部の政治家が、日本を私物化してアメリカに利益を誘導し、その見返りに私服を肥やしているのでしょうか・・・答えはNOでしょう。(多分・・・)

日本の官僚の方々の先祖を辿ると、平安時代の公家まで遡れるという話はネットで散見します。(闇株新聞さんなども)太平洋戦争へと日本を導いてしまった近衛文麿首相の近衛家と言えまば「藤原四家」の一つ藤原北家の末裔です。

明治維新成立史では幕末の志士達ちがフューチャーされますが、一方で岩倉具視ら公家も倒幕の内乱に深く関わっています。長く続いた武士の政権で公家達は権力の座から遠のいていましたが、明治政府が樹立した後は公家達は天皇を旗印に立て、政治の表舞台に復活して来たと考える事が自然です。派手な政府の要職を薩長が独占する中で、公家達は官僚組織に浸透する事で、暗然と日本の行政に支配力を伸ばしていったのでしょう。

では、官僚達は私利私欲の集団か?昌益の為なら日本の利益を軽んじる存在か・・・答えはNOでしょう。

ECを仕切るのはユーロクラートと呼ばれる高級官僚ですが、彼らの中にもヨーロッパの貴族の子弟達が多いという噂が有ります。EUを見て分かる様に、彼らは50年、100年というスパンで世界を見ており、これは日本の官僚とて例外では無いでしょう。恵まれた彼らは、国民の様に目先の損得に振り回さえっる事無く、一つ高い視点から日本の未来を展望しているはずです。

同様に政治家も多少利益に敏感であったとしても、大物に成れば成る程、日本の未来を見据えて行動していると思います。それがたとえ安倍総理だとしても・・・。

■ 国家よりも世界が重視される時代 ■

官僚や政治家が国家や国民の為の政治や行政を行っているのならば、何故、日本はアメリカの属国的な立場に甘んじれいるのか?

これは当然の疑問です。

しかし、現代のグローバル化が進んだ正解においては、一国の利益は世界の利益に相反するケースが増えています。例えば、アメリカの単独覇権が行き過ぎると、世界の富はアメリカに集中してしまい、世界全体の成長力を低下させてしまいます。

アメリカは世界経済を拡大する為に資本家達が作った人造国家です。いわばアメリカ合衆国というのは世界システムの中核なのです。基軸通貨であるドルを発行して、世界的な経済の循環を作る事がアメリカに与えられあ使命です。

ですから、リーマンショック以降、日本が全力でドル基軸体制を守ろうとする事は、日本だけを見れば損失になりますが、世界全体で見ればプラスに働きます。そして、その恩恵は日本に戻って来ます。

この様に、現代においては国民国家の権利が制約される事で、世界経済の成長が促進される時代になりました。国家よりも世界が優先されるのです。

日本の官僚も政治家もこのルールに則って行動していますから、国民から見れば「裏切者」に見える場合も発生します。


■ 「国民の味方」を演じる事で国民をリードするマスコミ ■

マスコミは往々にして国民の味方を気取ります。「安保法制」でも、安倍政権に批判的報道を繰り返しています。しかし、これに実効性は有りません。強硬採決は止められませんが、マスコミ各社は「自分達は国民の側に立って反対した」というアリバイだけが残ります。

そもそもアベノミクスを熱烈に煽って自民党独裁を作り上げたのはマスコミ各社です。彼らは安倍首相が「安保法案の改正」に積極的な事は知っていますから、現在の状況は2012年には見越せていたはずです。でも、それを記事にする事は有りません。

私はマスコミは官僚や政府のプロパガンダ機関だと思っていますから、マスコミの役割は国民世論をある目的に沿ってリードする事と、国民のガス抜きにあると考えています。

一部「マスゴミ」呼ばわりする人達も多いですが、彼らはマスコミの手の平の上に居る事に気づく事は有りません。

■ 空気に支配される民主主義 ■

私達は自分の信念を持って投票を行っていると考えています。しかし、意外にも報道や時代の空気に大きく影響を受けている事には無自覚です。

民主党政権が成立した時の選挙では、「民主党が日本を変えてくれるに違いない」という期待という「空気」が世の中を支配していました。

一方、自民党が政権を奪還した選挙では「やはり民主党には任せておけない」という失望という「空気」に支配されていました。

この空気は国民が何となく醸し出している様に得ますが、実はマスコミが上手に作り出したものです。

ジャニーズやAKBが何故人気が出るかと言えばマスコミの露出が高いからです。庶民はTVに出れる事はスゴイ事だという思い込が有ります。だからTVに沢山出ているタレントは人気が有ると錯覚します。ダメダメのタレントでもTV出演の頻度が高くなれば次第に人気が出て来ます。プロダクションは所属するタレントを雑誌の表紙にタダで貸し出してもオツリが来るのです。

同様の事が政治の世界でも起きています。ワイドショーが政治に大きな影響力を持つ様になっていますが、ワイドショーが映し出されるTVの前に居るのは中高年の女性達でしょう。彼らは若者よりも投票率が高いので、彼らの投票行動は無視できない力を持ちます。ワイドショーで小沢一郎はケシカランとやれば、知らず知らずの内に小沢一郎は悪人だと思い込みます。

同様のトリックはニュースや夜の報道番組などでも使われます。それなりの社会経験を持つ男性でも、ニュースがウソをついているとは考えません。実際にニュースは嘘をつきませんが、その報道に仕方が少しずつ偏向しています。それによって良識或る大人もだんだんと洗脳されてしまいます。

この様にマスコミはアカラサマに何かを主張するというよりは、ちょっとずず情報を操作する事で上手に「空気」を熟成させて行きます。

結局はこの空気が選挙結果を左右し、そして日本の政治をコントロールしているのです。


民主主義は、力を持つ者にとっては最良の政治形態です。国民は「選ばされている」事に気づかずに「自分達が選んでいる」と思い込んでいるのです。結果的に自分達の不利益になる決定も、「仕方無い」と受け入れてしまいます。


これが現代の民主主義の実態ですが、「個人が権利を主張するだけの完全なる民主主義」よりも余程マシなので、偽りの民主主義は続いて行くのでしょう。