人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

「資本家の利益」と「国家の利益」が一致しない時代・・・「愛国心」というノスタルジー

2012-09-26 09:50:00 | 時事/金融危機

■ 初期の「国民国家」では「資本家の利益」と「国家の利益」は一致していた ■

昨日の記事は多分の「舌足らず」だったので、少し捕捉してみます。

「近代国民国家」が「封建的」な前近代国家を凌駕するには、
それなりの合理的な理由が存在するはずです。

その最大の原因は、産業革命による「生産性の飛躍的増大」と、
「国民が国家を守る」という「愛国心」の高揚です。

「封建性」の時代、領主によって領土に縛られていた人々は、
産業革命による旺盛な労働力需要によって都市に移動してゆきます。
都市は豊富な労働力を得て、飛躍的に生産性を拡大してゆきます。

労働の対価は「貨幣」で支払われるので、
「貨幣経済」も同時に発達して、
銀行によって集められた預金が、資金を必要とする資本家に投資される事で、
経済のスピードも飛躍的に向上します。

「資本家」と「労働者」の間には、「賃金の妥当性」に関する対立が常に発生しますが、
「収益性の向上」は、「賃金の上昇」として、労働者に還元されました。

「植民地時代」は植民地での企業収益が国内経済を拡大しました。
「植民地」は宗主国に原料を提供すると共に、
産業革命で拡大した生産物の消費を支え、
その対価を宗主国に原料の提供という形で支払います。

帝国主義の国々が、植民地の獲得に凌ぎを削る時代に、
「国家」の力とは「植民地を獲得し、そして防衛する力」でした。

ですから、第二次世界大戦前の世界において、
国民の生活の豊かさは、資本家の利益の拡大と比例し、
それらは、「国家の力」によって支えられて来ました。

「国民が国を支える」という「愛国心」は、
国民にとっても、「合理的選択」だったのです。

この流れは、第二次世界大戦後も、グローバル化の時代が始まるまで続きます。

■ 「愛国心」に支えられた「帝国主義支配」 ■

「帝国主義」の時代は「力」が全てを決める時代です。
列強間でも、度重なる戦争が発生し、
本国のみならず、植民地においても、争奪戦が繰り広げられます。

封建時代の戦争は、職業軍人同士が戦うとおう至って小規模の戦争でした。
しかし、「近代国民国家」の戦争は、規模が拡大して行きます。

戦力の基本は兵士ですが、「国民国家」では徴兵制によって
「国民」が「兵士」として徴用されます。

「徴兵制」事態は、封建時代やそれ以前の時代にもありましたが、
「国民が自分達の国家を守る為に、自発的に戦う」戦争は、
やはり、「近代国民国家」の成立後の戦争の形です。

この戦争を支えたのは「愛国心」です。
「愛国心」の強さが、戦争の結果を左右したと言っても過言ではありません。

日清戦争で日本が清国に勝利した理由の一つに、
兵士の士気の高さの違いが指摘されています。

国民国家の意識に目覚めていた日本軍の兵士に対して、
清国軍兵士は、「戦わされている」という意識が強く、
戦況が不利になると、清国兵士達は、戦場を放棄して闘争したと言われています。

日露戦争も同様で、日露戦争と平行してロシアでは社会主義革命が進行していました。
戦場の兵士達は、ツァー(皇帝)を愛する純朴な心は持っていまいしたが、
一方で、農奴性など、前時代的な社会システムに対する不満も鬱積していました。

戦力と物量において圧倒的な優位を誇るロシア軍が
戦争を維持出来なくなったのは、ロシア国内で帝政ロシアが国民に否定された事が原因です。

この様に、「帝国主義」の時代の戦争は、国民の「愛国心」に支えらており、
日本においても「愛国教育」に力が注がれました。

■ 「人」と「資本」が軽々と国境を「越境」する時代の「愛国心」 ■

「国家」と「国民」そして「資本家」の利害の一致が崩れるのは、
「人」や「資本」が軽々と国境を「越境」する時代になってからです。

一般的には「グローバル化」と呼ばれる時代の始まりです。

例えば、資産を米ドルで保有している日本人が居たとします。
彼にとっては、円が力を失い、ドルの価値が円に対して高まる事は喜ばしい事です。

これは企業にも言える事で、
輸出企業の多くが、本来なら国力の衰退を意味する円安を望んでいます。

さらに、企業の国際化が、国家と企業のあり方をも変化させています。

アップルは生産工場を中国に構えています。
アップルの売り上げの向上は、米国内での雇用を生み出しません。(工場労働者に限定)

さらに一部の企業は、タックスフリーの地域に本社を構え、
納税の義務を回避しています。

グローバル化は、人の動きもダイナミックにします。
より高い賃金を求めて、多くの人々が国境を越えています。

日本で働く中国人達は、短期的には自分達の職を失うような日本の衰退を望みません。
同様に、中国に進出した日本企業は、中国社会の混乱を望みません。

■ グローバル化の時代に、突然噴出した「愛国心」の不思議 ■

日本の尖閣国有化に端を発する、今回の日中対立で、
日本国民の多くが「愛国心」を刺激されています。

李 明博大統領の「天皇発言」は、進歩的な知識人と呼ばれる人達をも
「愛国心」に目覚めさせるキッカケとなりました。

日本人は戦後、「愛国心」に後ろめたさを持って過ごして来たのですが、
「愛国心」発揚の大義名分が生まれた途端、多くの国民が「愛国心」の発露に酔っています。

グローバル化の現代では、国家の利益と、国民の利益は必ずしも一致しないのですが、
国民は「愛国心」という言葉に弱いようです。

■ 「愛国心」は「民族意識」では無く、「群れへの帰属意識」 ■

「愛国心」は「民族意識」と絡めて語られる事もあります。

しかし、合成国家であるアメリカ人の「愛国心」は世界屈指です。
むしろ帰属する民族が希薄が故に、アメリカ人は「愛国心」を心の拠り所にしています。

人間は「社会的動物」なので、本能的に「群れへの帰属意識」を持っています。
「家族愛」や「愛社精神」、「郷土愛」などは、
帰属する「群れ」への「忠誠心」の表れとも言えます。

一方、現代の社会において、私達を規定する「群れ」の拘束力は弱まっています。
「家族」や「地域」や、「学校」や「会社」への愛情は薄らいでいます。

個人主義の浸透は、自由を保障すると同時に、
「群れたい」とい人間の根源的欲求の充足の妨げにもなりました。

特に、「ネット」に居場所を求める若者達は、
一見自由に見えて、「帰属意識」の充足をココロの底では求めています。

日中、日韓の間に生じた軋轢は、
「愛国心」という分かり易くて、
それでいて「日常的な煩わしさ」の無い繋がりを提供しました。

ネットに溢れる「反韓・反中」の声は、
私には、「日本人に帰属している」と気付いた若者達の「喜びの雄叫び」の様に聞こえます。


■ 分かり易い「敵」を攻撃する事で、現実の「敵」から目を背ける人々 ■

「他人に対する罵詈雑言や誹謗中傷」は、本来なら恥ずかしい行為です。
ところが、「愛国心」という「免罪符」が、これらの行為を正当化してしまいます。

現在の日本において、若者の未来を抑圧しているのは
「日本政府の政策」であったり、「世代間格差」であったりします。
しかし、日本の若者達は、怒りの矛先を裕福な老人に向けたりはしません。
「老人を敬うもの」という儒教的思想が、深層にまで刷り込まれているからです。

「オレたちが貧しいのは、政府が悪いからだ!!」と概念的には考えても、
では、「どうしたら現状を打開できるか」という発想を持つ知力もありません。

■ 「右傾化」を巧みに操る人達 ■

「愛国心」を政治利用されるという点で、
今の日本人は、自分達が馬鹿にしている中国人や、韓国人と何ら変わりありません。

日本人を非難する韓国人や中国人の姿は、そのまま鏡に映った私達の姿です。

一方で、韓国や中国の「反日」は極めて政治的です。

韓国では李 明博大統領の人気取りや、
低迷する国内経済への不満の捌け口に、反日が利用されています。

中国でも、政権交替の時期を控え、
軍部や共産党幹部への影響力強化の為に反日暴動が利用されていあます。

この構図は日本国内でも全く変わりません。

民主党政権は、政権を維持出来る状態ではありません。
しかし、竹島問題で強硬姿勢を示したり、
尖閣国有化でワザワザ中国の反日感情を刺激する事で、
国民の支持を回復しようとしています。

野田政権への支持率は回復しなくとも
現在進められている「外国人参政権」や「人権保護法案」や「消費税増税」から、
国民の目を逸らす効果は絶大です。

■ アメリカの甘言に乗せられた日本と韓国 ■

今回、先に事を起したのは日本と韓国です。

本来、実効支配している国から、領土問題を荒立てる事は不自然です。

日本や韓国が単独で、アジアの安全保障に重大な影響を与える決断をするとは考えられません。
では、誰が?と考えたら、やはりアメリカが背後に居るのは明確です。

日本に至っては、時期を同じくして第三次アミテージ・ナイ報告書が提出され、
今回の騒動の裏側がバレバレの状態です。

■ 中国で暴動を扇動したのは、習近平副主席? ■

ここに来て、中国の暴動を扇動したのは習近平だとの情報が出始めました。

比較的、日本との関係を平穏にしておきたい胡錦濤に対して、
対日強硬派の姿勢を明確にする事で、軍部や対日強硬派を取り込もうとしたと言うのです。

中国は10月にも胡錦濤主席が退任し、その後任に習近平副主席が就くと目されています。

この二人の対立は、中国の保守派と、上海閥の戦いでもあるのですが、
先日までは、胡錦濤派の優性が噂されていました。
胡錦濤主席は、上海閥の上層部を失脚させるなど、
胡錦濤派の権力維持を確実に進めていました。

ところが、ここで勢力逆転の事件が起きたというのです。
胡錦濤の腹心である、令計画の息子が、フェラーリで事故死するという事件が発覚します。
本人は半裸、同乗者の女性は全裸と言うスキャンダルです。

この事件を胡錦濤派が隠蔽した事をネタに、
上海閥が反撃を開始したと言うのです。

今回の反日暴動やデモでは、毛沢東の肖像画が目に付きました。
ですから、私などはデモの首謀者は、中国の保守勢力である胡錦濤派だと思っていました。

しかし、尖閣事件の発端は、ヘリテージ財団で発表された、
売国奴、石原都知事の尖閣買上げ発言です。

ヘリテージ財団は、ロックフェラー系のシンクタンクですから、
アメリカの軍産複合体や、ジャパンハンドラー達と繋がりが深いと思われます。

さらに、習近平副主席は上海閥に近く、上海閥はロックフェラーの息が掛かっています。

アメリカ本国では、高齢のD・クフェラーの影響力は縮小しています。
しかし、アメリカの利権を二分するロックフェラー派や、
軍産複合体である、兵器産業が軍部が、大人しくししているとは思えません。

特に、中国での利権である上海閥の衰退は、彼らには死活問題です。
そこで、石原都知事を使って尖閣問題を荒立て、
さらにはノーと言えない野だ内閣に、尖閣を国有化させたのでしょう。

当然、中国軍部は強く反発しますので、
それに乗じて、習近平一派と軍の絆を深めさせたと見る事が出来ます。

これなら、アメリカの狙いが、実は中国の内政である事に合理性がもてます。

■ 習近平政権は、反日、反米政権になるのでは? ■

アメリカのクリントン国務長官の論文では、
アメリカは太平洋の国々と協調して、環太平洋地域での繁栄を築くと書かれています。

この動きに呼応するのがTPPです。

TPPには中国は含まれていません。
アメリカの描く、近未来のアジア連合には、中国は含まれないのでしょう。

中国と日本や韓国、東南アジア諸国の間の領土問題を、
ヒラリーは事ある毎に煽り立てて来ました。

一旦はフィリピンから撤退した米軍は、
再び、フィリピンに駐留しています。

海兵隊をオーストラリアに駐屯させるなど、
中国と経済的に繋がりを深めるオーストラリアも牽制しています。

これらの政策の向う先は、「中国封じ込め」以外に考えられません。

■ アメリカ人の新たな「愛国心」の源泉である「反中国」 ■

アメリカ人の「愛国心」の源泉は、「外敵」です。

911以降、米国民は「反イスラム」で結束していました。
しかし、アメリカは中東での影響力を決定的に後退させています。

そして、アメリカが選んだ、近未来のアメリカの姿が環太平洋地域のリーダー。
環太平洋国家群と、アメリカ国内の結束の為には、分かり易い「敵」が必要です。

そこで、アメリカが選んだ、新たな「敵」が中国なのでしょう。

これは、ロックフェラー一派の描くシナリオです。
しかし、欧州からアメリカを支配するロスチャイルドやイギリスが
好んて用いてきた、地域支配の方法でもあります。


中国がアメリカと敵対すれば、中国の市場はヨーロッパに開放されませす。
これは、ロスチャイルドとしては、悪くない選択です。



これは私の完全な妄想ですが、
もしアメリカとドルが次なる金融危機を生き延びたならば、
こんば、アジアの未来もあり得なく無いと思います。


さて、その中で日本に振られて役割とは何か?
「愛国心」を刺激され、踊らされるだけというのも情けない・・・。

だから、「愛国心」について、今一度考えてみたかったのです。

「近代国民国家」と「愛国心」・・・「愛国心」で得をするのは誰?

2012-09-25 11:40:00 | 時事/金融危機
 

■ 日中韓の若者達が競い合っている「愛国心」て何? ■

尖閣・竹島問題は、その領有の歴史的正等性において、
両国国民の目を、アジアの中世以降の歴史に向けさせています。

一方、日本の国民は、久しく忘れていた「愛国心」を
一連の事件によって、呼び起こされ、
日夜、ネットで中国や韓国の若者と「愛国心」の強さを競い合っています。

ところで、この「愛国心」とは、いったい何なのでしょうか?

「愛国心」という名称が一般化したのは、日本では明治維新以降の事と思われます。
近代以前は「郷土愛」や「主君に対する忠誠心」はありましたが、
「愛国心」を傾ける、「国家」という存在はありませんでした。

「愛国心」とは何かと考えた時、
「近代国民国家」の成立と無縁には語れません。

そこで本日は、ヨーロッパとアジアの歴史的繋がりから、
「近代国民国家」とは、一体何なのかを、
「東インド会社」や「資本家」という視点で考察してみたいと思います。

■ 植民地支配と東インド会社 ■

イギリスはスペイン無敵艦隊を破って、海洋覇権国家の道を歩み始めます。
インドを初め、世界各地を植民地化し、
植民地からの富を搾取して繁栄を謳歌します。

植民地時代の当初は、軍人は「職業」でした。
しかし、植民地の拡大と共に、多くの「兵士」が必要となります。
そこで、イギリスやオランダ、その他の国々で、
植民地経営を代行する会社が作られる様になります。

それが、「東インド会社」です。

1602年、「東インド会社」はオランダで世界で始めての「株式会社」として発足します。
東インド会社の巨大な利益は、「株主」に配当されると同時に「国家」の上納されます。

「東インド会社」は、国王(国家)から、「交戦権」と「交易権」を与えられ、
「私兵」を募集して、世界の海に出発して行きます。

オランダやイギリスの東インド会社は、
スペインやポルトガルが先に築いた権益を、
戦闘によって、奪って行きます。

日本においても、最初に日本の利権を開拓したのはポルトガルです。
ポルトガルの植民地支配は、イエズス会の布教活動と表裏一体でした。
ポルトガルが占領した地域に、カトリックを広げて行く事は、
国王が神の僕であるスペインやポルトガルでは
神に対する義務であったとも言えます。
ですから、日本でもイエズス会の神父たちはカトリックを布教して行きます。

ところが、江戸幕府はキリスト教を「脅威」と捉えていました。
一向宗を見ても明らかな様に、中世においける大きな宗教組織は、
必ず武装して、為政者達と敵対する存在に成長します。

ですから、徳川幕府は、キリスト教の布教を禁じます。
幕府はキリスト教の布教と、植民地支配が表裏一体である事に気付いていたのでしょう。

島原の乱で、キリスト教徒達が反乱を起した時、
幕府の要請で、島原城を海上から艦砲射撃したのは、
オランダ東インド会社の船でした。

カトリックと異なり、プロテスタントのオランダでは、
殖民地開拓とキリスト教の布教は切り離されていました。
ですから、オランダ東インド会社は、
幕府に取り入って、日本の交易権を得る為に、
島原のカトリック教徒を攻撃する事を、何ら躊躇しません。

この様にして、ポルトガルやスペインが築いたアジアの利権は、
東インド会社によって、オランダやイギリス、フランスの利権へと変わって行きます。

■ 「阿片」を売り物にした東インド会社 ■

東インド会社の貿易は、イギリスとインド、そしてアジアの三角貿易でした。

1) イギリスで作られた綿織物がインドに運ばれます
2) インドの阿片が中国などの運ばれます
3) 中国の陶磁器、お茶、絹などがイギリスに運ばれます

この様にして、習慣性のある阿片は、中国に瞬く間に浸透して行きます。

■ 阿片の専売権を獲得したサスーン商会 ■

イギリス東インド会社から阿片の専売権を獲得したのは
中東出身の商人、デビット・サスーンです。
彼は1832年に「サッスーン商会」を設立します。
サスーン商会は「阿片」の他に「紅茶」も支配していました。

サスーンは上海に本拠地を置き、
インド阿片の70%を独占ます。

サスーン家は後にロスチャイルド家と縁戚関係を結んで行きます。

その頃、サスーン商会と並んで中国貿易を支配していたのは、
トーマス・グラバーの親玉の、「ジャーディン・マセソン商会」です。
「シャーディー・マンセン商会」は坂本龍馬が長州藩に手配した武器を提供しました。

■ 阿片の利益をイギリスに送金する為に設立された「香港上海銀行」 ■

サスーン商会やシャーディー・マンセン商会が阿片や武器の売買で稼いだお金を
イギリスに送金する為に作った銀行が、「香港上海銀行(HSB)」です。
創業は1865年でした。

■ 阿片禁止と資本家としての発展 ■

阿片中毒者の増加に手を焼いた中国政府は、
1920年に阿片を禁止します。

阿片商人達は、手持ちの阿片を清国政府に買い取らせ、
清国政府はこれを公開で処分しますが、
その後も密輸が絶えず、そこでも阿片商人達はあら稼ぎします。

一方、サスン家は、阿片貿易で得た資金を上海の不動産投資に投入し、
そこでも財を成します。

インドでは、多くの工場を操業するなど、
次第にサスン商会は資本家として成長して行きます。

一方、「シャーディー・マンセン商会」は現在もバミュウダ諸島に本拠地を構え、
最近は中国との取引も盛んに行われています。

■ 「国民国家」の成長と、「東インド会社」の終焉 ■

この様に、東インド会社とその周辺で蠢く資本家達は、
アジアやその他の地域の利権を独占して行きます。

一方で、植民地では次第にヨーロッパ諸国の搾取に反発する動きが活発化して行きます。
インドではムーア人達の大規模な反乱が起こり、
東インド会社の植民地経営は次第に陰りを見せ始めます。

一方、この頃、ヨーロッパ諸国では、「国民国家」の思想が浸透して行きます。

ナポレオンの台頭以降、ヨーロッパの王国は、市民の台頭に頭を痛めます。
そこで、国王達は、それまで独占していた権利を、徐々に国民に移譲して行きます。

こうして「近代国民国家」が誕生して行きます。
国家は、徴税権と検察権を持つ一方で、国民を保護します。
各国で軍隊が組織され、国民が徴兵の義務を負うようになります。

それまで、職業軍人が果たした役割を、
多くの国民が担う様になったのです。

これら、国民から徴兵された兵士達は、
国家の財産を守る為、殖民地へと派兵されてゆきます。

この段階で、「東インド会社」は、植民地の経営権を国家に移譲します。
オランダ、イギリス、フランスなどの東インド会社は、その使命を終えて解散します。

■ 資本家の権利を守る国民国家の兵士達 ■

この時点で、非常に不思議な状態が発生します。

植民地の利権の多くは、資本家達に握られています。
しかし、その植民地を防衛するのは、国民から徴兵された兵士達なのです。

本来、東インド会社は「私兵」によって、植民地支配のコストも支払っていました。
ところが、資本家達は、そのコストを国家に付け替えてしまったのです。

軍隊を維持する資金は、国民が税金という形で負担します。

「近代国民国家」とは、「国家とは国民の物である」という幻想の下に、
国民の富と労働と命が、資本家達の利益に還元されるシステムでもあったのです。

■ 尖閣問題で改めて浮き彫りになる、資本家と国民の関係 ■

さて、長々と書いてきましたが、尖閣問題について考えて見ましょう。

私達は「日本の資本や企業が危機に曝されている」と捉えます。

しかし、私達の多くは、中国に直接投資している訳でも無く、
中国の株式を持っている訳でもありません。

トヨタや日産、パナソニックの工場が中国にあるだけです。
ただ、これらの企業は確かに日本企業です。

多くの国民が、これらの日本企業で働き、賃金を得ています。
これらの企業も、本社を日本に置き、利益の一部を日本国に納税しています。

一方で、納税額より多くの利益が、
株主に還元されています。
確かにトヨタや日産の株主の半分以上は日本人で。
しかし、現在の日本の巨大企業の多くはでは、
株式の半分近くを外国人投資家が握っています。

外国人投資家とは、個人の集団では無く、
海外の多くの銀行やファンドでしょう。
そそて、それらの金融機関の大元を辿って行くと、
ロスチャイルドやロックフェラー系の巨大銀行に辿り付きます。

国民の労働と税金、場合によっては命によって守られるのは、
突き詰めれば、国際金融資本家達であるという事実は、
近代国民国家の成立期から、何ら変わっていないのです。

さて、日本の大企業は円高の影響を避ける為、
本社の海外移転を模索しています。

法人税が値上げされれば、日産は香港に本社を移すと言われています。
パナソニックはシンガポールで本社物件を探していると言われています。

■ 「愛国心」という罠 ■

近代国民国家は、国民の「愛国心」に支えられて来ました。
しかしその「愛国心」によって利益を得るのは、金融資本家です。

今、尖閣や竹島問題を契機として、
日本でもネットを中心に「愛国心」が盛んに鼓舞されていあます。

「近代国民国家」と「愛国心」は切っても切れない関係の様に思われています。
はたして、それは「自明の理」なのか、
それとも、巧みにプロパガンダされた「錯覚」なのか?

日本と中国の間で緊張が高まる現在、
私達の「愛国心」は、誰に利益を生み出すのか、
少し、頭を冷やして考える事も必要かもしれません。

図らずも「ポスト近代国家」に突入したと言われる日本と、
「限りなく資本主義国に誓い社会主義国家」である中国の対立は、
「近代国民国家」というシステムの本質を考える上で、非常に興味深いものがあります。

ジャイアンツ、優勝おめでとう!!・・・でも涙目なのはナゼ?

2012-09-24 17:04:00 | 時事/金融危機
 



巨人ファンの皆様、優勝おめでとうございます。

そんな訳で、各球団のマスコットキャラを何の気無しに置いてみたら、
ジャビット君、ナゼか、涙目・・・。

多分、感涙ですね。


各球団のファンの方、ゴメンなさいね。

おっと、アメリカは鷹では無くて、鷲が正解だって!?



スミマセン、ツマラナイ小ネタを思いついてしまって、
ついつい・・・。

高校生の日常アニメが面白かった・・・今期アニメを総括する

2012-09-24 02:36:00 | アニメ
 


■ 僅差で『TARI TARI』をベスト1としたい ■



毎度お馴染み?となりました、「今季アニメのベスト5」。
今期は地味な作品が多かったのですが、
一方で、高校生の日常を描くアニメに良作が2本揃ったのが特徴でもありました。

『ココロコネクト』と『TARI TARI』のどちらを1位にするか迷ったのですが、
オリジナル作品という事で『TARI TARI』をベスト1としました。
・・・最後の教頭のデレにヤラレタだけとも言えますが。

シンプルであるという事・・・「TARI TARI」は「普通」の素晴らしさを教えてくれる 



一人の少女の「歌いたい」という強い思いが、
ほんの少しだけれど、大人も含めた周囲に影響を与えて行くという
シンプルなストーリーを、丁寧に描いた作品です。

出だし4話は、話が散漫で、「駄作?」かとも思いましたが、
5話目から、見違える程、生き生きとした作品に「大化け」しました。

アニメ的な派手な設定が無くても、
あるいは、独特な演出という強い作家性が無くとも
オーソドックスな作品で、人は感動できる事をあらためて示す作品だと思います。

5話、6話の完成度は、
そのまま劇場アニメにしても耐えられるクォリティーではないでしょうか?

充分にセリフをそぎ落とし、その分、画面にじっくり語らせる演出。
過去のエピソードを、主人公の現在の心に揺れ動きに合わせて細かく挿入する上手さ。
実写の映画やドラマを撮る人達にも、参考になる内容だと思います。

最終回の演出も心憎いものがあります。
空港で男子が告白すると思しきシーンは、
歌を被せて、セリフは聞こえません。
男子が告白して、女子がそれに応えているらしい事は分かるのですが、
内容は、視聴者の想像に任されています。
尤も、ほぼ全ての人が、ハッピーな結果を想像するのでしょう。

物語の本筋としては、高校生5人の日常なのですが、
むしろ、心を閉ざしていた中年音楽教師(教頭)が、
生徒との関係の中で、過去の自分と再び向き合うという
大人の物語に、むしろ共感する作品でもあります。

とかく大人の存在が排除されがちなアニメというジャンルで、
しっかりと、親や近所の人、教師や、敵対する大人が描かれているというのも
ベスト1に選んだ理由の一つです。

■ ベスト1でも良いのですが、重いテーマの『ミチランダム』を見てから判断したい『ココロコネクト』。 ■



僅差で第二位は『ココロコネクト』。

定型化された中でどうやって差別化するか・・・『ココロコネクト』に見る定型の活用法
自分が演じるキャラクターとは自分自身では無いのか?・・・庵田定夏「ココロコネクト」

実は、ベスト1でも構わない作品ですが、
原作が見事なので、アニメの良さは原作の延長線という事で2位にしました。
さらに、17話構成という事で、未完の作品でもある事も2位の理由。

TVアニメは、過去に退行するという『カコランダム』編が来週終わりますが、
この後に重いテーマの『ミチランダム』が控えています。
他人の「思い」が勝手に頭に流れ込んできてしまうという設定を、
どのように映像表現するのかで、作品の出来栄えが大きく左右されます。
さらには、ヒロインの一人が、徹底的にダークサイドに落ちるという
これまた、ファンには辛い内容を、どう描くのか・・・
見事にこれを乗り切れば、来期のベストに成るかも・・・。

■ 3位、4位は空位。5位は『ソード・アート・オンライン』 ■



今期は上記2作品と、他作の差が激しいので、
3位、4位は空位とします。

そして、辛うじて5位に『ソード・アート・オンライン』を押したいと思います。

ゲームとしてのアニメ、或いはラノベ②・・・『ソードアート・オンライン』VS『アクセル・ワールド』

オンラインゲームの世界に閉じ込められた人々を描くこの作品、
ゲームネタのラノベやアニメの新しい視点を提供しています。
それぞれのエピソードはそれなりに面白いのですが、
ゲームをクリアーして現実世界に返りたいという思いが
回を追う毎に希薄になっているのが少し残念な所。

しかし、よく考えると、ゲーム三昧の生活は、
オンラインゲーム好きにとっては夢の様な生活な訳で、
現実世界に帰りたく無くなるのも当然かなとも思えます。

そうなると、SAOというゲームの世界での現実感は、
ライフポイントを失うと、現実世界での「死」が訪れる事だけになります。
しかし、ゲーム内の死は、消失という淡白な表現が取られているので、
「死」の恐怖が伝わり難くなっています。

キリトとアスナの繋がりが深くなるにつれ、
話しが二人を中心とした関係に限定的になるのも、
物語の広がりに欠ける感じが否めません。

■ ワーストでは無く、「残念賞」の『輪廻のラグランジェ』と『夏雪ランデブー』 ■



「ワースト」では無く期待が大きかった故に、
期待以上に達しなかったと言う意味で、「残念賞」が2作品。


(本当は3位、4位でも良いのですが・・)

先ずはこのブログ「一押し」だった『輪廻のラグランジェ』

アニメ的日常とは・・・「輪廻のラグランジェ」

とにかく「予想のナナメ上」を行く事には定評のある異色ロボットアニメ。
第一期第一話で、日産デザインの流麗なロボットがジャーマンツープレックスを決めるなど、
もう見ていて口がアングリしてしまうシーンの連続のこのアニメ、
一方では、千葉県鴨川市とのタイアップ企画のアザトさが災いして、
「オタクなめんなよ!!」の名言?も生み出してしまいました。

第一期は、鴨川というローカルな街と学校を舞台に、
宇宙人と地球人の異文化交流のギャップと、
少女達が友情を深めるまでのエピソードが
時にコミカルに、時にシリアスに、
緩急付けてた演出と、さらには七色の変化球を繰り出すぶっ飛び演出で
とても楽しめた作品でした。

ところが、第2期は完全に「オタクに妥協した」感在り。
第一期のノリで突っ走ったのは第三話の『鴨川エクスペリメンツ』だけ・・・。

元々、「輪廻」というセカイ系と、星間戦争、
さらに日常コメディーをミックスした作品だけに、
話が綺麗にまとまる方がオカシイのですが、
これを見事に昇華させなければ、名作とは言えません。
だから、意欲作止まりかなと・・・。あるいは「迷作」認定。

結局失敗の元凶は、「鴨川」。
尤も、「鴨川」とタイアップした事自体は新鮮で、
作中の「鴨川押し」も、私には楽しみの一つでした。

ただ、第2期の後半に掛けて、話が宇宙規模に拡大するに従って、
鴨川色が薄くなってしまったのが残念。

画面が宇宙空間や宇宙船の内部に限定されると、
この作品は途端に「出来損ないのSF」になってしまう・・。

私としては、もっと鴨川の人達を描けば、名作認定も出来たのでは無いかと・・・。
例えば、戦闘で記憶を失ったディセルマインが
漁師の家に匿われるなんて設定もアリでは無いかと。

あるいは、ディセルマインがお忍びで、
ランの普段の生活を見に来て、鴨川で珍騒動を起こすなんてのも楽しそう。

女子3人組と男子3人組、さらにはビラジュリオは鴨川に絡む事で、
上手にキャラクターの魅力を引きしているのに対して、、
ディセルマインは、結局、星の王子様のまま。
彼の魅力的な人間性を確立出来なかった故に、
彼の個人的憎悪によって輪廻を開くといいうクライマックスが、
何だかご都合主義的にしか見えないのが残念。

「ディセルマインって、イイヤツじゃん」と思わせていおいて、
そこから視聴者ともども奈落に突き落とすといった、落差が足りなかった。

悪役のモイドに魅力が無さ過ぎなのもイタイ所。
モイドは初めから、「何か怪しい」キャラだったので、
彼の正体が分かっても、「やっぱり」としか思えないのが残念。
むしろ、「エー!!コイツがラスボス!?」的な驚きが欲しかった。

モイドが輪廻を開く目的も、「神の声が聴きたい」といった、
極々ありふれた内容。
これでは、「輪廻」という概念自体が実に薄っぺらになってしまいます。

むしろ、「輪廻」の設定を「人間の集団深層心理」とでもした方が面白かったかも。

「星間戦争」による相互憎悪こそが「輪廻」の扉を開く、
そこには、戦場となった鴨川の人達の、宇宙人への憎悪も含まれる・・・
こんな設定にでもしておけば、
マドカ達による救済も、「鴨川の人達との信頼関係」などを基点として、
深みを増す事が出来たかもしれません・・。
(今まさに、尖閣と竹島で「輪廻」が開かれようとしていますが・・・。)

『輪廻のラグランジェ』の失敗は、第一期で培った「鴨川」との絆を、
「オタクなめんなよ!」発言で捨ててしまた事にあると私は思います。
鴨川が舞台でありながら、最後まで鴨川が活躍出来ない・・・・
そんな中途半端さが、残念でなりません。



もう一作の残念賞は『夏雪ランデブー』。

会話劇の真髄・・・ 松尾衡「夏雪ランデブー」

花屋の若後家に恋をしたフリーターの若者。
だけど、彼女の死んだ夫が、ストーカー宜しく幽霊となって纏わり付いていたという話。

前半は、幽霊の夫と、フリーターの会話が面白く、
さらに、そこに花屋の若後家との恋愛も絡んで、
我が家の家内も、ヒャーヒャー言いながら楽しんでいました。

ところが、若者が幽霊に体を貸した途端、
若者は、絵本の世界に閉じ込められてしまって、
死んだダンナとの掛け合いが無くなってしまいました。
これは、マンガ原作のストーリーがそうなっているから・・・。

しかし、監督の松尾衡の面白さは、
プレスコという「セリフ先録り」の会話劇の妙。
それが、無くなると、極めてツマラナイ。

原作に文句を言っても始まらないのですが、
アニメ的には、幽霊と若者が入れ替わった時点で、
若者が幽霊的存在になって、二人の近くでヤキモキする設定の方が面白かったハズ。
まあ、原作ものですから仕方無いのですが・・。

一方、松尾衡は「紅」では、原作を全く無視してアニメを製作しています。
こちらは、会話劇の真骨頂発揮といった所で、
マンガ原作とアニメの面白さは別なのだという事が良く分かります。

きっと「夏雪ランデブー」の原作のマンガは
マンガとしては、面白いのだと思うのですが・・・。

■ 番外編 ■

今期はワーストを選ばない代わりに、
番外編をいくつか・・・。



先ずは鍛冶屋さんお薦めの『人類は衰退しました』。

人類が衰退した未来、何故か「妖精さん」が普通に存在する世界のお話。
一見、ファンタジーに見えるこの作品、
実は、相当に奥が深い。

「妖精さん」という「不思議発動機」の存在で、
作品的には、どんな展開も可能。

マンガの中に入り込んで、マンガ文化論を展開したり、
妖精さんマジックで、時間の堂々巡りを実現したり、
さらには、ボイジャーなんて探査衛星を擬人化したり、
まさに好き放題の内容。

ただ、その取り上げる内容が、いちいちマニアックで、
そこら変が、どうしても作品が閉塞的になる原因。
ちょっと、同人的ノリというか・・・・。
それ故に、コアなファンにはクリティカルヒットする作品とも言えます。



こちらは、先週暇潰しに見たら、面白かった作品の『じょしらく』。
一見、落語マンガに見えますが、
実際には5人の女性落語家の楽屋でのドーでも良い雑談が延々続く。

例えば、「宝クジで1億円当たったら」なんてネタ振りで、
女子5人の会話が膨らむ、膨らむ。

「あるある、こういう会話」的な内容から、
「お前ら、そこまでヤルカ!!」といった会話の暴走まで、
結構面白く見れてしまいます。
ちなみに監督は『イカ娘』の水島努。
1回、3話つずの小品になっているの『イカ娘』と同じ。
アニメオリジナルの話が結構あて、
マンガ原作でありながら、アニメならではの面白さも味わえます。



上の方で、『輪廻のラグランジェ』を「予想のななめ上を行く」と評しましたが、
『境界線上のホライゾン』は、「大気圏外」までぶっ飛んでいます。

ゲームとしてのアニメ、或いはラノベ①・・・「境界線上のホライゾン」

この作品を見ていると、『輪廻のラグランジェ』ごときで喜んでいる私などは、
とっくに、アニメ視聴者の「オールドタイプ」なのだと思い知らされます。

原作ラノベは、もの凄いページ数なのだそうで、
世界の設定も複雑で緻密です。
それをアニメで見せると、どうしても未消化になる様です。

ただ、戦闘シーンは、「さすがはサンライズ」と思わせるものがあります。
魔女と巨大ロボットのガチバトルを、これ程までにエキサイティング表現出来るとは・・・。

とにかく、この作品について来れる方は「ニュータイプ」かも知れません・・・。



番外編最後は『貧乏神が』です。
マンガ原作の、他愛の無いコメディーですが、
こういうキャラ立ちの良いコメディーって、
どんな演出をしても、何となく成り立ってしまう所が面白い。
昔ながらのドタバタ劇ですが、
喜怒哀楽がはっきりしていて私はこういう作品は結構好きです。


さて、今期アニメも一通り終了です。
問題作が一本も無いという意味では寂しいシリーズでしたが、
その一方で、『TARI TARI』の5話、6話の様に、
TVアニメでも脚本と演出の重要性を知らしめる作品が出てきた事は特筆に価します。



あれ、『氷菓』は? と、お思いの方も多いのでは無いでしょうか?
私、あの作品、苦手なんです。

さすが京アニと思える作画クォリティーですが、
事件とも言いがたい何でも無い事柄を、
大げさに解決するという原作の設定に無理を感じます。

ヒロインがカワイ過ぎるのも、ちょっとダメかも・・・。
ウルウルした瞳で「私、知りたいんです」って、反則だよね。

あれで、ヒロインが地味子で、性格に難があれば面白いのかも知れませんが・・・。

QE3を利用して米株を売り抜ける人達・・・そろそろ潮時なのでしょう

2012-09-23 15:24:00 | 時事/金融危機
 

■ ウォーレン・バフェット、ジョン・ポールソン、ジョージ・ソロス ■

アメリカの著名投資家3人の共通点は何?

答えは、「米株売却」

http://www.moneynews.com/Outbrain/billionaires-dump-economist-stock/2012/08/29/id/450265?PROMO_CODE=FE8A-1#ixzz26hPYLAkh

QE3でFRBは毎月400億ドルずつMBSを無期限で購入すると発表しました。

ジョン・ポールソンは、失業率が6%を切るまで、
FRBはMBSを買い続けるだろうと予測しています。

本来であれば、ドルが大量にばら撒かれるのですから、
その多くは過剰流動性として、米株市場に流れ込んで来るハズ。

しかし、大方の予測に反して、米国投資家のビックネーム達は、
米株を売却し始めています。

■ リーマンショック以前の水準を回復したダウ ■

アメリカのダウ平均はリーマンショック以前の水準を回復しています。

これをバブル後の日本に当てはめれば、この事の異常性が際立ちます。
日本はバブル崩壊前の日経平均4万円が、
現在では9000円前後を行ったり来たりしています。

アメリカ経済は、リーマンショック後回復していません。
確かにショック症状は見られなくなりましたが、
失業率は高止まり、住宅価格は下げ止まりません。
アメリカの実体経済は、全く回復していないのです。
だから、FRBだって、QE3を実施せざるを得ないのです。

なのに、ダウ平均は、リーマンショック以前の水準に回復しています。

これが異常と言わなくて、何と言えば良いのでしょうか?

多くの投資家が、QE3で株式投資を積極化させる中、
投資の神様達が、米株を大量に売り抜けている・・・。
その先に訪れるのは、単なる株価の下落か、それとも暴落か?

■ 米株バブルでは無く、単なるインフレ ■

一見、QE3による景気回復を期待した株高の様に見える現象ですが、
これは、ドルや各国通貨の過剰発行による単なる「株価インフレ」に過ぎません。

ただ、株式市場はリスク市場です。
何かのきっかけで、いつ相場が暴落するかは予測も付きません。

8500円あたりをターゲットに日銀が直接買い支える日本株は
低調ながらも、安定していて、先読みもし易いのですが、
完全に「バブル状態」の米国株は危険がイッパイ。

尤も、ダウが崩れたら、日本株もお付き合いで暴落するのはいつもの事。
米株に投資していないから大丈夫と思っていると
足元をすくわれるかも知れません。