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経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

王道の日本アニメ・・・『ウィッチブレイド』

2014-04-20 04:35:00 | アニメ
 




今回はネタバレ全開です。ご注意を!!



■ 一番好きな作品は何かと聞かれたら・・・ ■

50歳も近くなって未だにアニメオタクを抜け出せない私ですが、「一番好きな作品は何か」と聞かれたら、迷わずこの作品の名を挙げます。それは『ウィッチブレイド』

2006年にGONZOが製作した全24話のオリジナル作品です。

■ アメリカンヒロインの日本版リメイク ■



『ウィッチブレイド』のオリジナルはアメコミです。「古来から伝わるウィッチブレイドを装着した選ばれし女性は最強の力を手に入れる」という単純な設定で多くのスピンオフを生み出しました。

その如何にもアメコミヒロイン的なウィッチブレイドを日本を舞台にリメイクしたのが本作です。シリーズ構成と脚本は『進撃の巨人』や『ジョジョの奇妙な冒険』のシリーズ構成で現在押しも押されぬ地位を確立した小林靖子。

大震災で水没した東京に二人の母娘が引っ越して来ます。母親は天羽雅音(あまは まさね)、娘の名前は梨穂子(りほこ)。6才です。

実は天羽親子は児童福祉庁から逃げています。児童福祉庁は震災で減ってしまった子供達の保護育成の為の役所で、生活力が無いと見なされた雅音から梨穂子を保護して施設で育てる決定が下されたからです。

実は天羽親子は震災の中心地で7年前に保護されます。その時、雅音は一切の記憶を失っており、残された母子手帳から二人が親子である事が判明します。その後、雅音は梨穂子の母親になるべく努力します。出産の記憶の無い雅音にとって、母親の自覚を持つ事ですら容易な事ではありませんでした。しかし、7年という歳月は、二人の間に強い絆を生み出しました。

一度は児童福祉庁に娘を預ける決心をした雅音ですが、あきらめ切れずにパトカーを盗んで梨穂子を追います。結局、事故を起こして留置所に入った彼女を、謎の怪人が襲います。その時、彼女の腕のブレスレットが輝いたと思うと、彼女は最強の女戦士に変身します。

彼女の腕のブレレットこそが、ウィッチブレイドだったのです。宿主の命の危機を感じたウィットブレイドが覚醒したのです。

■ ウィッチブレイドを巡る争奪戦 ■

ウィッチブレイドは古来から伝わる伝説の兵器です。その力を得た者はこの世をも支配するとも言われていますが、誰もがそれを装着出来る訳ではありません。ウィッチブレイドがっ装者を選ぶのです。選ばれた者は「適合者」と呼ばれています。

実はウィッチブレイドは世界的兵器企業である導示重工が所有し研究していました。しかし7年前に紛失し、その行方を導示重工の鷹山局長が追っていました。鷹山らはウィッチブレイドの他に自律型兵器のアイウェポンを開発して輸出しています。

実は留置所で雅音を襲ったのは7年前の震災で流失したアイ上ポンの不良品、エックスコンでした。アイウェポンは人の死体から作られ、エックスコンは通常は人の姿をして社会に紛れて生活しているので発見が難しいのです。

留置所の戦いで気を失った雅音を鷹山の部下が保護します。目覚めた雅音に鷹山は「導示重工の為に働かないか」と持ちかけます。ウィッチブレイドの力に引かれて集まって来るエックスコンを捕獲する仕事です。娘との生活の為に雅音はこの話に乗る事にします。

一方、ウィッチブレイドを手に入れる為に暗躍する組織がもう一つ存在します。ナソエフと呼ばれる子供の為の財団ですが、その裏の顔はバイオ技術を駆使して究極の人間「ネオジーン」を作り出す事を目的としています。

エックスコンだけでは無く、ウィッチブレイドを狙うネオジーン(女性)達とも戦闘を強いられる雅音ですが、ウィッチブレイドの力と、子を思う母親の力でこれらを退けます。

■ 母親を求める者達 ■

ナソエフがウィッチブレイドを手に入れようとする目的は、究極の女性を作り出す為です。遺伝子操作によって作り出された優秀なネオジーンは「姉妹」と呼ばれていますが、彼女達に遺伝子を提供しているのはナソエフの創始者である古水達興(ふるみず たつおき)です。彼は「ファーザー」と呼ばれています。

彼が究極の女性を作り出そうとするその目的は、実は究極の母親を求めていたからです。彼の父は優秀でしたが、母親は市井の貧しい家柄でした。自分の出生にコンプレックスを持つファーザーは、自分の遺伝子を使って究極の女性を作りさす事で、最高の母親を生み出すという歪んだ妄執に取りつかれています。彼は自分の遺伝子から生まれたネオジーンの卵子に再び自分の遺伝子を掛け合わせるというインモラルを繰り返して、遺伝子を純粋化させようという狂気に駆られています。

一方、作られた人間であるネオジーンは優秀ながら欠落しています。その生来の穴を埋める為に幾人かのネオジーンは不可解な行動を取ります。

第一世代の最も優秀なネオジーンである蘇峰玲奈(そほう れいな)は優秀な医者ですが、彼女は感情が欠落しています。自分を客観的に観察する事でそれを補おうとしますが、導示重工の鷹山の元でウィッチブレイドを共同研究している時に、彼女は鷹山に対して「理解不能」の感情を抱きます。それが何か確かめる為、彼女は鷹山と関係を持ち、その後、ウィッチブレイドを持ち出して失踪します。

再び彼女が発見された時、その手には子供が抱きかかえられていました。

さらに、玲奈の遺伝子から誕生した第三世代のネオジーンであるマリアも母親を求めます。記録から玲奈が母親である事を知ったマリアは彼女の元を訪れますが、そこには別の子供が居ます。天羽雅音の娘の梨穂子が・・・。彼女こそ玲奈が産み落とした鷹山との子供だったのです。

玲奈はDNA鑑定の結果を児童福祉庁に持ち込み、雅音の手から梨穂子を引き取ります。本当の母親で無い事を知った雅音は逡巡の末に梨穂子の幸せの為に娘を玲奈に託します。一方、玲奈は本能的に母性を感じてはいますが、それを理解出来ません。

そんな玲奈の元に訪れたマリアは、自分以外の子供の存在を許す事が出来ず、逆上して玲奈と梨穂子に襲い掛かります。マリアの圧倒的な力の前にネオジーン最強と言われた玲奈も太刀打ちできません。彼女は自分が囮になって梨穂子を守ろうとします。マリアに敗れ、息絶えようとする玲奈の元に鷹山が駆けつけます。玲奈は鷹山に子供を守って死ぬのも「悪くないわ」と言い残します。

■ 最強の母親 ■

ウィッチブレイドは装着者を破壊します。雅音は戦闘を繰り返す毎に体内がボロボロになってゆきます。自分の余命が幾ばくも無い事を知る彼女は、梨穂子を父親である鷹山に託そうとします。

一方、そんな母親の運命を知らない梨穂子は、母親と鷹山とどうにかしてくっ付けようとします。実際に雅音と鷹山は引かれ合う間柄になっていますが、冷酷な運命を前に彼らの恋が報われる事は永遠にありません。

死期を悟った雅音に最後の危機が迫ります。脱走した何千機ものアイ上ポン、さらにはネオジーン最強もマリアがウィッブレードの力を求めて集まって来るのです。これらの物を梨穂子の住む世界に残さない為に、母は最期の力で戦います・・・。


■ 小林靖子の脚本が素晴らし過ぎる ■

あらすじだけ書くとB級のSF活劇ですが、そこに描かれた母娘の情や、彼らを取り巻く人々の人情は、戦後日本アニメが培って来た「豊かさ」の全てが詰まっている様です。

特に雅音親子が住むアパートの住人達との交流は、昭和40年代の日常アニメを知る私達にとっては馴染みの深い温度感を持っています。

軽快なテンポながらも、人々の感情に機微を丁寧に掬い上げる小林脚本には舌を巻くばかりです。そうして、こういった細かい積み重ねが、全体の大きなウネリに力を与えて行く構成は、現代の「目立つ事」ばかり気にする脚本家には決して描けない世界です。

■ キャラクターがストーリーを生み出して行く ■

小林靖子は「キャラクターがストーリーを生み出して行く」と語っています。一人一人のキャラクターを脚本家が慎重に肉付けして、さらに観察する事で、キャラクターが自然に語り出す瞬間があるのでしょう。

彼女の脚本においては、物語世界はキャラクター達の為に存在します。どのキャラクターもステロタイプに陥る事無く、物語世界の中で必至に生き抜こうとしています。

スタイルとしてはオーソドックスとも言える演出も、御世辞にも今風とは言えない作画も、むしろじっくりと物語を味わう事を助けています。

何より、「母娘の情」を描いて相当ウェットな脚本に、ちょっと昔風の演出が見事にマッチしています。そう、昭和の空気を感じるからこそ、小林脚本の魅力が引きったったとも言えます。

■ 王道の力 ■

アニメに限らず、多くの表現者が新しくて刺激的な何かを探しています。表現手法もどんどん進化しています。

その一方で、グレンラガンやキルラキルの様な、復古的な演出が持てはやされたりもします。

そんなアニメ業界にあって、『ウィッチブレイド』は、極めてオーソドックスなスタイルで、SF活劇というアニメの王道を貫いています。

使い古されたフォーマットでありながら、優れた脚本を得た事で、アニメが根源的も持つ力強さや分かり易さが最大げんに発揮された作品として『ウィッチブレイド』はもっと評価されるべき作品かと思います。

■ 「パチンコを打っていて初めて泣いた・・・」という書き込みも ■

今回この作品を取り上げたのは、スマホのバンダイチャンネルにアップされていたから。どうやらパチンコ台になったてこ入れの様です。

ネットで「ウィッチブレイド」を検索したら、パチンコファンの声がアップされていました。「今まで色々な名作アニメの台を打って来たが、パチンコで泣いたのはウィッチブレイドが初めてだ。ハイライトシーンのオンパレードで涙が止まらない・・・」なんて書き込みも。

放映当時、青年だった人達も子が出来て親となっている頃でしょう。子を持つ親の目でもう一度この作品に接した時、この作品の素晴らしさを改めて知る事となるかも知れません。


是非、お子さんが居る大人達にこそ見て欲しい作品です。

リフレ派の内紛・・・国民を煙に巻くコンニャク問答

2014-04-18 05:21:00 | 時事/金融危機
 

■ リフレ派同士が争い始めた ■

藤井聡内閣参与(京大教授)が、浜田氏や原田氏や岩田氏をVoice』2014年5月号で批判した事で経済通の人達が盛り上がっています。

浜田氏らや高橋洋一氏らの主張は、「財政政策はマンデル・フレミング効果によって金融緩和の効果に逆行する」というもので、デフレ脱却は「金融緩和のみが有効」と主張します。

これに対して藤井氏は「デフレ下で異次元緩和によって金利が低く抑制されている今の日本ではマンデル・フレミングモデルは適用され無い」と主張します。

素人の私などにはチンプンカンプンですが、要はリフレ派の中にも緊縮財政派と積極財政派が存在し、その両者が争っているのです。

■ マンデル・フレミングモデルとは ■

にわかに話題を集めているマンデル・フレミングモデルとはどんな理論なのでしょうか?

前提条件は国際的な資本移動が自由な事。
要は、現在の様に変動相場性でグローバル金融が発達した状況下で成立します。

1) 政府が景気を回復させようとして財政拡大を実行する
2) 将来的景気回復予測が期待インフレ率を押し上げる
3) インフレ予測による金利が上昇し始める
4) 国内金利の上昇が海外からの投資を呼び込む
5) (日本においては)為替市場で円が買われ、円高が発生する
6) 円高により輸出が減少し、国内景気が後退する
7) 財政拡大効果が、輸出の縮小によって相殺される

要は、財政拡大の効果は一時的であり、中期的には為替変動の影響で相殺されてしまうという理論です。これは、通常の景気変動の範囲内では間違いでは無いと思います。

■ デフレ下で金融緩和が実行されている場合はMFモデルは適用されない ■

藤井氏の主張は次の様なものだと思われます。

1) デフレ下においては財政拡大でインフレは容易に発生し得ない
2) 異次元緩和の様な極端な金融緩和の元では金利は充分に抑制されている
3) よって、財政を拡大しても金利上昇は限定的である
4) 金利上昇が緩やかであれば、円高も限定的である輸出の減少も限定的である
5) 財政拡大による景気刺激はMFモデルによる阻害を受けにくいので効果的である

藤井氏の説には私も同感です。現にアベノミクスによる異次元緩和と大型補正予算が効いていた昨年前半は、景気に薄日が差していました。

■ 問題は財政拡大の効果が直ぐに持続的で無い事 ■

実はMFモデルなどを持ち出すから話がややこしくなるのですが、結局は財政拡大に効果があるかどうかという問題で両者は争っています。

浜田氏は、「最低限のインフラ整備は必要であるが、それ以上の財政拡大に景気回復効果は無い」と主張します。その根拠にMFモデルを持ち出しています。

実は私は財政拡大には短期的な効果はあるが、中長期的にはその効果は中立だと思います。要は財政拡大の間だけは名目GDPが拡大しますが、それによって景気回復の弾みが付かなければ、長期的には財政赤字だけが拡大するというのが現在の経済学の主流です。

ですから、MFモデルがデフレ・金融緩和時に成立しなくても、中長期的には効果が無くなる財政拡大は財政赤字を拡大するだけとも言えます。

一方、藤井氏の発言は「アベノミクス」を背景にしていますから、短期的でも財政拡大に景気回復効果があるのであれば、それは政治的には正しい発言とも言えます。そもそもアベノミクスにおける財政拡大は継続的なものでは無く、日本経済がデフレを脱却する切っ掛けを作る事を目的としているので、財政支出の長期的効果は最初から期待はしていないでしょう。(ここら辺を大きく勘違いしている方達が沢山居ます)


■ MFモデルは内外金利差の影響を大きく受ける ■

グローバル金融のエンジンは金利差ですから、MFモデルの効率を支配するのも、その時々の内外の金利差です。(日本の場合は日米の金利差)

例えば、リーマンショック前は世界で金融緩和を実施していたのは日本だけでした。日米の金利差が大きかったので、日本の資金は円キャリートレードによって主にアメリカに流出し、金融緩和の効果を阻害していました。

この様に日米の金利差が大きい状況では、多少の公共事業の増発をしても、資金は金融システムを通して直ぐに国外に流出してしまうので、インフレ期待を充分に高める事は出来ません。

それでは現在の状況はどうでしょうか?
アメリカがテーパリングに踏み切った事で、アメリカの金利は一時的に上昇していました。一方日本は周回遅れで大規模な金融緩和を実施しているので、日米金利差は拡大傾向にあり、円キャリートレードも復活しています。この様な状況で財政を拡大して公共事業を増発しても、期待インフレ率を押し上げる事は難しい様に感じます。

異次元緩和を実行中は、金利は抑圧され、さらに円安傾向になるので日米の実行金利の差はさらに拡大します。これはMFモデルの効果を抑制します。

こういった意味から、藤井氏の発言は正しい様に思われます。

■ 金利を抑制しながら、インフレに出来るのか? ■

ここで気になるのが、「金利を抑制しながらインフレに出来るのか」という問題です。

従来型の財政拡大とインフレと金利変動

1) 公共事業によって需要が増大する
2) 需要の改善により景気が回復し始める
3) 需要が供給を上回る様になり、インフレが発生する
3) 需要の拡大により設備投資などの資金需要が増え、金利が上昇する

この様に通常の景気循環においては、財政拡大による需給バランスの改善がインフレと金利を上昇させます。これは健全なプロセスと言えます。但し、この場合の財政拡大は景気回復の時期を早める効果はありますが、通常の景気循環においては財政拡大をしなくとも、時間が建てば需給バランスは自然に調整されて景気が回復する事に注意が必要です。

金融抑圧下でのインフレと金利変動

バブル崩壊以降の日本では、バランスシートの改善が進むまでの10年間は経済の成長力は「借金返済」で消費されデフレが進行しました。その後の10年間は、製造業を巡るグローバルな価格競争や、少子高齢化による生産性の低下によって経済の成長力が不足しています。要は、放置していても日本はデフレを脱却できない状況です。そこで、金融緩和と財政拡大を同時に行ったのがアベノミクスです。

1) 極端な金融緩和で大量のマネーが市場に供給される
2) 供給されたマネーは円安を促す
3) 円安によって輸出企業の業績が改善する
4) 供給されたマネーは資産市場を過熱する
5) 円安による輸入価格の上昇が発生する

6) 資産価格の上昇により多少の景気回復が見られる
7) 輸入価格の上昇を主要因にして物価の上昇が始まる

8) グローバル化と産業構造の変換により平均所得の上昇は抑制的
9) 実質賃金が低下するので需要はむしろ先細りする

10) インフレ率は高まるが、資金需要は低位で安定している
12) 金融緩和を実行している間は金利は低位で安定している
13) 日銀の国債大量買入れにより、国債金利も低位安定して金利を抑圧する

14) 13年度の補正予算程度の公共事業の増発では景気の流れは変わらない

15) 結果的に輸入物価とエネルギーコストの上昇分だけインフレが進行する
16) 需給バランスに大きな変化は無いので資金需要も低く金利は上昇しない

結局、金融緩和が需要を増やすプロセスが確立出来ないので、景気は回復せず金利も上昇しませんが、物価だけが上昇します。


■ リフレ政策の真の目的 ■

岩田日銀副総裁ら緊縮財政派のリフレ派は「金融緩和だけで需要は回復する」と主張し続けています。その理由の一つとしてMFモデルを持ち出しています。

しかし、藤井氏は2006年以前の日本だけが金融緩和を実行している時期に、金融緩和の効果が表れていない事を前出の記事で指摘していま。要は、内外金利差が拡大して円キャリートレードが活発化すると、金融緩和は効果を失ってしまうのです。


それでも一部のリフレ論者達が金融緩和の効果を主張すると同時にあ、財政拡大に否定的な理由は、実はその目的が景気回復とは全然別の所にあるのではないかと私は白川時代から勘繰っています。

1) 日銀の財政ファイナンスを永続させ、日本の財政破綻を先延ばしする
2) ある程度の日米金利差を生み出し、アメリカのテーパリングを援護する

1)は財務省にとって重要な事です。
2)は国際金融資本家と世界の中央銀行にとって重要な事です。

この両者にとって大事な事は、日本の景気が回復して金利上昇が始まると困るという一点です。

日本のブクブクに膨れ上がった財政赤字は国債金利の上昇に対して脆弱です。長期金利が2%を超える様な事態になれば、多分パニックが発生します。ですから、財務相は消費税増税などを強行して、不景気を永続化しようとします。

これは、景気回復による税収の増加よりも、金利上昇のデメリットの方が現在の日本の財政には深刻な影響を与える事が予測されるからです。景気を犠牲にしても、財政を維持すいる事を優先しているのが、財務省が異次元緩和を黙認する理由でしょう。


一方、日銀は明らかにFRBやECBとリンクして動いていますから、FRBのテーパリングの間、日本が世界の市場に資金を提供する役割を担う事を最大の目的にしているハズです。これは円キャリートレードとして観測されますが、その為には日米の金利差は2%以上を維持しておきたい。

アメリカは現在10年債の金利が3%を切っていますが、アメリカも巨大な財政赤字を抱えているので金利上昇には神経質になっています。多分、3%程度が許容範囲の限界なのでしょう。そうした中で日米金利差を2%程度確保する為には、日本の景気回復は阻止する必要があります。


・・・そう言った諸々の「大人の事情」がある為に、日本では消費税が増税され、財政拡大に消極的なリフレ論者達が盛んに発言を繰り返しているのでは無いでしょうか?


まさか、「日銀や財務省が不景気の永続化を望んでいる」などと国民は夢にも思いませんから、リフレ論者の内紛が単なる経済論争に見えてしまうのでしょう。

そもそもMFモデルを始めとした経済の法則など、その時々の経済状況に大きく影響を受けるので、科学の法則ほど絶対的なもので無い事は、議論をしている経済学者達が一番良く知っています。

ただ、彼らは自分達の目的達成の為に、経済学の「理論の様なもの」を利用しているに過ぎないのだと私は感じています。・・・・そもそもが「こんにゃく問答」なのです。そして、国民は見事に煙に巻かれてしまいます。



本日は、日銀と財務省が景気回復を望んでいないという、あり得ない妄想に浸ってみました。まあ、アニメオタクなんて、「世界は誰かの手の平の上で踊らされているだけ」という幻想から抜けられずに大人になりますから、こんなブログで幻想を膨らめて楽しんでいるだけですが・・・。

「公平の維持」が「二極化を生む」・・・日本のジレンマ

2014-04-16 04:31:00 | 時事/金融危機
 

■ 内需が拡大すれば景気が回復する ■

日本は貿易立国であると同時にアメリカに次ぐ内需大国です。
新興国の台頭で外需が伸び悩む中、景気回復のエンジンとして内需の拡大に期待が集まっています。

内需とは「国内需要」の略で、国内で消費される財やサービスの総量です。

国内需要は民間最終消費支出(個人消費)、民間住宅投資、民間企業設備投資、民間在庫投資から成る民間需要と政府最終消費支出、公的固定資本形成(公共投資)、公的在庫投資からなる公的需要との合計である。

個人の消費が増えたり、公共事業が拡大されると内需も拡大し、景気が改善します。

■ 何故内需が拡大しないのか? ■

昨今の日本では内需が拡大しない事が不景気の原因と言われています。その原因はいくつか考えられます。

1) バブル崩壊以降、企業や家計の負債圧縮が優先され投資が抑制された
2) ある程度の物質的豊かさが達成され、需要の拡大が難しくなっている
3) 少子高齢化の進行で、消費性向の高い若者が減少している
4) 老人が老後の不安から消費を抑制し、貯蓄を増やす傾向にある
5) 公共事業の縮小で内需が直接的に減少している

6) 所得の再配分の低下により富裕層に資金が停滞する
7) 内外金利差による国内投資よりも海外投資で利益が確保され易い



これらの要因が複合的に影響し合う事で、日本の内需の拡大は抑制されています。

■ 2極化の進行は内需を低下させる ■

上の原因の中で、6)と7)が軽視されている様に感じられます。

現在の日本では所得の二極化が進行しています。勝ち組と負け組に2極化しています。
2極化の原因は様々です。

1) 競争力の低い企業や業種は人件費を抑制し低賃金化が進行する
2) 国際競争力を維持する為に輸出企業は人件費を抑制する
3) 競争力のある企業は、それを維持する為に高い賃金で優秀な人材を確保する

4) 税の累進性が低下し、一方で消費税によって低所得者の税負担が増大している
5) キャピタルゲインへの税の優遇処置
6) 公共事業の縮小で所得の再配分が低下している

5) 比較的資産を多く持っている老人も年金を受給している

6) 

これらの要因の結果、日本では「金持ちはさらに金持ちに、貧乏人はさらに貧乏に」なる傾向が顕著になっています。

個人の消費には限界がありますから、お金持ちに元に集まったお金の多くは、預金や投資で運用されます。この時、内外金利にある程度の差があると、資金は金利の高い国外で運用される傾向が高まります。

消費性向は貧乏人の方が圧倒的に高いのですが、お金は一部の人達に集中していますので、国内の資金は国内の景気を活性化させる事無く、投資によって国外に流出して行きます。これがグローバル金融時代に成長率の低下した国が陥る罠です。


この傾向は日本だけで無く、アメリカを始めとした先進国が共通に抱える問題です。

■ 高齢化が所得の再配分を阻害する ■

本来国家は税によって富める者からお金を集め、福祉や公共事業によって貧しい元に富を再配分する役割を担っています。

ところが現在の日本は高齢化による福祉支出が急速に拡大する一方で、公共事業費は抑制されています。財政赤字が巨大化する中では当然の選択となります。

一方、消費性向に低い老人は年金も消費に回さずにコツコツと貯金したり、投資で運用して将来に備えています。これらのお金の多くは、国債に滞留したり、金利差に引かれて海外に流れ出て行きます。

公共投資の乗数効果は1を切る程度に低いのですが、高齢者福祉と比較すれば高いハズです。これは、建設作業員と介護職員の所得差にも表れています。建設作業員の日当に半分低下で介護職員は働いています。

■ 所得格差を拡大する消費税増税 ■

日本の消費税はあらゆる取引に課税され、あらゆる品物に課税されます。
主食や教科書にも等しく課税されます。

消費税の負担は、消費性向の高い人程高くなるので、若年層や低所得者において税負担が増大します。これを逆累進性などと呼んでいます。

現在の日本は、若者が貧乏で、老人は比較的豊ですから、消費税率の上昇は、福祉支出を通して貧乏な若者から富裕な老人への所得移転を助長します。

■ 子供には迷惑を掛けたくないから貯金に励む老人 ■

老人達が消費を控えて貯蓄を好む理由は、老後の生活の不安があります。
多くの老人が「子供には迷惑を掛けたく無い」と生活を切り詰め、貯蓄に勤しみます。これは本当に有り難い親心です。

しかし、ここで「合成の誤謬」が発生します。
老人が消費を抑制する事で経済が停滞し、若者の所得が低下してしまうのです。

■ 全ての原因は「長生き」にある ■

日本の経済に様々な影響を与える少子高齢化ですが、実は過度の高齢化を引き起こしているのは医療の発達です。

日本人の平均寿命は82.59歳に達しています。
65歳で定年を迎えたとしても、それから20年近く、年金と貯蓄で暮らさなくてはなりません。ある程の生活レベルを確保する為には貯蓄は2000万円程度必要と言われていますが、病気や痴呆になるかも知れないという不安は、消費を抑制して出来るだけ貯金を使わない様にしようという動機を刺激します。

現在の日本の高齢化を支えているのは皆保険制度を基軸にした高度で平等な医療制度です。一昔前ならば癌は「不治の病」でしたが、現在では早期発見によって大事に至らない場合も多くなっています。その他の病気でも、直ぐに死に直結する事は少なくなりました。

一方で、老人は病気にかかり易いので医療費は増大し続けます。

個人的には、親にはいつまでも長生きして欲しいと願っています。一方で、老人の長きが福祉と医療財政を肥大化させ国家を衰退させて行きます。ここにも合成の誤謬が潜んでいます。

■ 地方の農家のオジサンと立ち話したら・・・ ■

先週、自転車で房総に行った折、房総半島のど真ん中で農家のオジサンと1時間も立ち話をしてしまいました。

最初は自然の話で盛り上がっていたのですが、その内にオジサンが、「年金を貰う様になってから老人が畑に出て来ない」とか「近くの大病院は、生活保護の患者を集めているんだよ。だって、国が医療費を負担してくれるから取り逸れが無いからね」などと語り始めました。

「畑に出て来ないから皆な病気になっちゃう。昔は自分の所で採れた野菜や、そこら辺で獲れる川魚なんて食べてたのに、今じゃ年中、肉や刺身食べてるからおかしくなっちゃうんだよ」とも。

病気になるのは寿命が延びたからとも思えますが、オジサンの意見には地方の農家の生の声の説得力がありました。

■ 日本型社会主義の終焉 ■

日本は戦後、世界に類を見ない平等な国家を実現しました。しかし、現在、その平等を維持する為のコストは増大して、国家の成長を阻害しています。これは正に社会主義国家の末期症状に似ています。

社会主義は社会の運営コストが高く付きますが、経済の成長力が高い時には、平等によって消費が刺激される為に経済活動が活発化します。

しかし、成長力の落ちた社会で平等を求めると、システムの維持コストが経済の成長を犠牲にします。こうして、かつて多くの社会主義国家が崩壊しました。

日本¥は世界で一番成功した社会主義国家でしたが、日本型社会主義も限界に達しています。

アベノミクスの第三の矢は、日本型社会主義の脱却によって成長力の回復を目指す政策ですが、それは当然、弱者を切り捨てる政策とも言えます。

「どちらも」という選択を日本は続けて来ましたが、それも限界に近付いています。既に、財政は日銀のファイナンス無くしては成り立ちません。


■ 二極化を助長する「公平」 ■

雑に考察して来ましたが、日本は二極化の原因が、実は戦後に確立した「公平」の維持にあるのではないかと思えて来ました。しかし、所得の再配分を多少調整しても結局は歪は生まれて来ます。

結局、成熟国家は新興国の様な成長力を持たないので、単純な成長以外の価値観や社会システムを構築しなければ、国民は「不幸になった」と感じる様になります。

政治の問題と言うよりは、倫理感や哲学の問題と思えるのですが、新たな豊かさを国民に提示できる学者や政治家の登場が待たれます。

2014冬アニメ私的ベスト

2014-04-14 01:29:00 | アニメ
 

 
忘れていた訳ではありませんが、ランキングが付け難い14冬アニメだったので・・・。
娘が「お父さん、アニメベストやらないの?」と聞くので、やはりケジメは必要だと思い恒例の「私的アニメベスト」の発表です。


第一位 『のうりん』



『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』『ココロコネクト』の大沼心の監督作品。
岐阜県の農業高校の日常をアニメパロディーの連射でコミカルに描く一方で、農業を巡るシリアスな問題も取り上げています。

農業アニメ(マンガ)と言えば『銀の匙』を思い浮かべますが、あちらが優等生的に農業高校生の生活を描くのならば、こちらはアニメ(ラノベ)らしいドタバタとしたタッチで物語が展開します。作品の質の違いではありますが、妙にコジンマリと纏まってしまった『銀の匙』よりも、アニメとしての魅力は『のうりん』に軍配が上がります。

特にアラフォー担任教師の「ベッキー回」は、「ここまでやるか!!」と思わず突っ込みを入れたくなりますが、その「振り切れ度」たるや最近にアニメでは群を抜いています。このベッキー回だけでも、充分今期ナンバーワンの破壊力。

農業を巡るシリアスな展開も面白いのですが、あくまでも、それはあくまでもギャグを引き立てる要素として機能しています。ギャグとシリアスの大きな落差を軽々と行き来する大沼監督の演出手腕に脱帽です。


第二位 『となりの関くん』



中学校の隣の席の男の子が授業中に机の上で意表を突いた遊びを繰り広げるのを、隣の席の女の子が迷惑に思いながらも目が離せなくて、ハラハラ・ドキドキと心の中で突込みを入れ続けるだけの10分アニメ。

しかし、これがメチャクチャ面白い。

特に2話目の将棋回は何度見ても抱腹絶倒。

10分アニメと侮る事なかれ!!


・・・・後は・・・・・全滅

本来ならは『スペース☆ダンディー』を入れるべきなのでしょうが、1話しか見れていないので。なんだかブームに乗れなかったので悔しくて見てません。こういう縁の無かった作品ってあるんですよね。


さて、ここからが本命です。


実は今回、私的ベストが遅くなった理由は、2期連続作品と1期だけの作品の扱いに悩んだから。2期連続作品に傑作が多かっただけに、同列に扱う事は困難と結論して、分ける事にしました。



第一位 『サムライフラメンコ』



ヒーローオタクが「ヒーロごっこ」の末に地球を救うというこの作品、非常に好みの別れる作品でもあります。

アニメのキャラクターは、物語世界の為に創造された擬似的な人格ですが、シナリオライターがキャラクターをどう扱うかによって作品の肌合いが大きく変わってきます。

『サムライフラメンコ』は、最初に物語の大筋が出来ていて、そこに必要とされるキャラクターを配置する典型的な作品ですが、キャラクターの存在は物語の為にあると言えます。ちょっと言い方が変かも知れませんが、世界は物語の為にあって、キャラクターは物語の従属物です。

こういう関係性の作品はSF作品に多いのですが、『サイコパス』などはこの典型かも知れません。この手の作品は、キャラクターがステロタイプに陥りがちですが、『サムライフラメンコ』の面白い所は、「ステロタイプ」を逆手に取って視聴者を攪乱する点ではないでしょうか。

「こういうキャラクターはこういう風に行動するハズ」という先入観を裏切る事で視聴者の興味を引く手法は、それを繰り返す内に鼻についてきます。この作品を嫌いな人も多いと思うのですが、そう言った一種の「あざとさ」に敏感な方達なのだと思います。

ただ、それを理由にこの作品を評価しないと、この作品の持つ様々な挑戦も一緒に切り捨ててしまう事になるのではないかと思い、今回ベスト1としました。

1) アニメや特撮におけるヒーローを再定義しようとするポストモダン的挑戦
2) 細かな脚本とあり得ないストーリーの対比の繰り返しによる展開の限界に挑戦
3) 一応、シリアスに「正義」の意味と「相対性」について考察している
4) ちょっと風呂敷を広げて「世界の正義とその相対性」について考えている。
5) 悪役に対する愛を感じる

このどれもがネタ的と言えばそれまでなのですが、ちょっとテンコ盛りの内要を、そつなくエンタテーメントとしてまとめて見せる倉田脚本は、やはりテクニカル的にも大したものだと思ってしまいます。

第二位 『ゴールデンタイム』



上手な倉田脚本に対して、志茂文彦の脚本は本当に下手・・・。
『とらドラ』の竹宮ゆゆこの原作ですが、アニメと違って『とらドラ』の原作は意外とクドイ感じの文章です。それをあれだけエッジの効いた作品にしたのは岡田麿里の脚本と長井龍雪の演出の功績は大きい。

「多分、普通の脚本家が書くとこうなっちゃたんだろうな・・・」という見本が『ゴールデンタイム』では無いかと思います。特に毎回の引きの悪さは特筆。

『ココロコネクト』や『のんのんびより』を手掛ける志茂文彦の脚本でありながら、どうしてこうなる?みたいな居心地の悪さが不思議ですが、多分シリーズ構成が上手く無いのでしょう。

一方で、アニメを見る時に得られる「多幸感」を何故だか感じる作品でもあって、それはひとえに「イタ可愛い」主人公の加賀 香子のキャラクターに依る所が大きいのでしょう。

決して出来の良い作品とは言えない『ゴールデンタイム』を私が評価する最大の理由は、主人公達が大学生である事です。最近のアニメは中高生向きに作られているので、登場人物もほとんどが中高生です。中高生は単純なのでキャラクターも作り易く、エッジも立ち易い。

一方で大学生は半分子供で半分大人という微妙なモラトリアル状態に在るので、彼らの生活を描くと『めぞん一刻』的と言うか80年代的な中途半端さが付きまとってしまいます。そんな大学生の生活を、アニメ(ラノベ)的ではあっても、比較的等身大に描こうとした原作(未読ですが)は評価出来ますし、アニメもその意味では評価すべきなのかも知れません。

ライトノベルにありがちですが、竹宮ゆゆこの主人公達は、物語の進行と共に肉付けされ、成長してゆきます。最初はステロタイプと言うか極端な造形をしていた主人公達が、だんだんと温度感を持って来る・・これは言わば『サムライフラメンコ』と正反対の人物造形の方法なのですが、技巧的ではありませんが、一度登場人物にシンパシーを覚えるとキャラクターに愛着が湧きます。これを「共感」と呼ぶ事も出来るでしょう。

『ゴールデンタイム』の面白い所は、事故で記憶を亡くした後の人格が、事故以前の人格の回復によって「自分は消えてしまうのでは無いか」という恐怖に怯えるという設定です。記憶喪失物は過去に色々な作品がありますが、概ね、記憶を亡くした人格が、元の記憶や人格を取り戻そうと周囲と努力する展開が主流です。

実は私の知り合いも、交通事故で昏睡になり、回復後の脳にダメージを負いました。事故前は活発な性格でしたが、事故後何年かして会った時には全く別の人でした。記憶などは失われていないのに、人格だけが誰か別の人になってしまった様で私もショックを受けました。ですから、この作品の主人公の多田万里の「事故後の人格が自己の消失に怯える」という設定は、あながち絵空事とも言えないと私は感じています。

「記憶にして1年しか無い」人格が周囲とどう付き合って行くのかという問題は「竹宮ゆゆこ」は丁寧に考察しています。昔の人格が戻る事を潜在的に望む家族との距離感。自分の知らない自分を知っている友人との距離感・・・そういった無言のプレッシャーに耐えかねて郷里を離れた多田万里は大学で新しい友人達に出会い、現在の多田万里としての青春を歩み始めます。

そんな彼を見守るのは、高校の同級生で万里が思いを寄せていたリンダ先輩。彼女は万里に自分との関係を告げる事無く、万里の面倒を大学の先輩として、それと無く見ています。リンダにとっても現在の万里は自分の知る万里では無く、彼の記憶を亡くした原因がリンダにある事が、彼女の心の重しとなっています・・・。

そんな複雑な状況の多田万里が、病的に他人に依存する性格の加賀 香子に出会って恋をする所から、多田万里は現在の人格を肯定して行きます。今が大事だと心から思うのです。相互依存に過ぎない、おままごとの様な恋愛ですが、大学生に限らず恋愛なんてそんな物なのかも知れません。

周囲の友人も出来て大学生活が充実する程に、多田万里は現在の人格を肯定して行き、過去の自分とも向き合おうとしますが・・・・そんな彼に人格消失の時は刻々と近づきます。


『とらドラ』の様な傑作ではありませんが、物語の為にキャラクターを犠牲にしない意味において好感が持てる作品です。


第三位 『凪のあすから』



PA WORKSと岡田麿里のタッグは外れがありませんが、これも良作です。

ただ、『True Tears』にあった様な瑞々しい痛みが無い事が残念な作品です。中高生が相手の作品ですから、リアルな内要を避けた現代のファンタジーとしては良く出来ていますが、何か物足りないので第三位。


第四位 『キルラキル』



良くも悪くも『グレンラガン』には到底及ばない作品止まり。

ただ、面白い事は確か。
永井豪の残した遺産を継承する意味において、この作品は価値があるかと。






長々と書いて来ましたが、実はパチンコになった事で、バンダイチャンネルが再放送している『ウィッチブレイド』を娘と見直しています。

この作品を見ると、上で紹介した作品の「薄さ」に気づかされます。


『進撃の巨人』や『ジョジョ』で今やその地位を不動のものとした小林靖子の最高傑作が『ウィッチブレイド』である事を私は疑いません。そして、この時代のGONZOは素晴らしかった・・・。


次回は『ウィッチブレイド』を紹介したいと思います。

鹿野山ヒルクライム…坂道は辛いぜ!!

2014-04-13 03:49:00 | 自転車/マラソン
 






■ 少し朝寝坊の土曜日 ■

天気の良い休日は自転車の日。
しかし、昨晩、現場立ち会いで寝たのは午前3時頃でした。
朝6時30分に目を覚ましましたが、何だかシャッキリしません。

しかし、日曜日は娘のバスケの試合があるので自転車に乗るなら今日しかありません。
気合いを入れ直して8時に家を出ます。(ちょっと遅いな・・・)

何処に行こうか迷いましたが、とりあえずハンドルを南に。
やはりこの時期は房総の山の中が気持ちイイ。

■ 目指すは鹿野山・ヒルクライム ■

いつもなら八幡宿で大多喜街道に入るのですが、本日は国道16号を直進。
鹿野山を攻略してから、出来れば有名なビンゴバーガーを食べに行きたい・・。
でも、ビンゴバーガーはほぼ館山に近い場所にあります。
本日が輪行バックを持っていないので、往復すれば250Km越えは確実。
日没が心配なので、思い切りペダルを漕ぎます。

追い風の影響も手伝って、国道から鹿野山へと別れる常代の交差点には10時49分到着。
メーター読みの平均時速は28.9Km。距離は72Km。
・・・・何だか、ヒルクライムの前に足が終わってないか?

常代のセブンイレブンでオニギリと大福で補給して、いよいよ鹿野山へ。

■ ポピュラーな宝龍寺ルートを登ってみる ■

先日は鹿野山牧場というマイナーな登攀ルートだったので、本日はメジャーな宝龍寺ルートを試してみます。

このルートは皆さんタイムトライアルの時間をネットにアップしているので、自分の実力を知るには良いルートですし、斜度もそれ程キツクはありません。

走り始めて、山道らしくなって来ると斜度7%の標識が。
この程度なら42x21で淡々と登れます。ただ時速は20Km/hを下回ります。
途中、ハイカーさん達の「頑張って!!」の声援を心の支えに、ヒーコラとペダルを回し続けます。

道がT字路に突き当たり、右に行けばマザー牧場、左に行けば鹿野山CC。
一瞬、ここでオシマイ?と思いました、タイムは18分・・・これでは早すぎるので、きっとこの先があるはずです。

左折すると斜度が10%を超えているみたいです。42x25でもう残るギアーがありません。先日から25に入れるとギアーが一枚上がろうとしてしまいます。ちょっと負荷を掛けるとガチャガチャと音がするので不快このうえない・・・。

足付きしたくなるのを必死に堪えて(本当はフロントトリプルの3枚目(30T)があるのですが、これは余程の事が無い限り封印)、ようやく山頂のバス停に到着。ここまで22分。

そのまま下り坂に突入して、神野寺を過ぎたら鹿野山CCに向けて再び激坂。少し下って、九十九谷公園までの最後の坂を上って、タイムは24分。


・・・・イヤー、疲れました。
足は完全に売り切れ・・・・・・。

最近、ホイールの軽さに慣れてしまって、イマイチ喜びが少ないので、登りで脳内快楽物質の分泌が少ないような・・・。こうして皆さん、ホイール沼に嵌って行くのかも知れません。

■ 房総スカイラインは4月から無料 ■

足が売り切れたのでビンゴバーガーは又の機会に。

とりあえず、鴨川に挨拶してから清澄山を一本登って帰ろうと、秋元口に下ります。この道、斜度10%越えの劇坂が続くので下りでも結構スリリングです。ちょっと路面が暴れる所では、フロントフォークが共振して怖い。思わずスピードを落としてしまいます。

鹿野山を下ったら、本日は房総スカイラインで鴨川を目指します。有料道路だからきっと平坦で楽なはず・・・。

ところがドッコイ!!なんと、料金所(4月から無料)を過ぎたらダラダラと上り坂が続きます。これは足に来ます。時速20Kmを切るスピードしか出ません。

しかし、この道の標識には笑ってしまいます。

「サルに注意」
「イノシシによる落石注意」

もしかして房総の野生動物は、人間に敵意を持っているのか・・・。

■ 地元の人と長話してしまった ■

どうにかこうにか房総スカイラインの終点に辿り着くき、そこにある「卵かけごはん」の看板に吸い寄せられる様に停車。

あいにく、卵かけごはんは2月に終了してしまったそうですが、そこで売られていたクマガイソウ(野生ラン)を見ていたら、店のオジサンと話が盛り上がってしまいました。始めは自然の話をしていたのですが、だんだん色々な話に広がって、気付いたら1時間近く話し込んでしまいました。

オジサン、ありがとう。楽しかったです。

しかし・・・・最近、自転車で行った先で話し込むパターンが多い様な・・・。これじゃタイムは出ないよね。

■ 若葉が芽吹く今のシーズンが一番好き ■

日没前に浦安に帰りたいので鴨川は止めておきます。そもそも足が売り切れなので、清澄のヒルクライムは無理。

久留里街道を千葉方面に戻りますが、その道すがらの山村の風景は最高でした。柔らかな緑に包まれた芽吹いたばかりの山を背景に、庭先の菜の花やつつじが目を楽しませてくれます。山桜も今が満開です。水を張って、田植えを待つだけの田圃ではカエルの合唱がに賑やかです。

今回、初めて走る道ですが、この道は楽しい。脚が元気でも、ゆっくり走りたい道です。

■ ハンガーノックだ!! ■

お昼は久留里で蕎麦でも食べようと、空腹を堪えてペダルを回しますが、久留里の手前5Kmでトマトラーメンの昇りに足がピタリと止まります。

塩ラーメンとミニ焼きブタ丼、ハーブ餃子に中〇ッキーを注文。ガッツリ食べて1500円。

これで回復と思いきや・・・足が重い。さらに眠い・・・・。ダルイ・・・・。

休息かてら、田園を走る久留里線の写真でも撮ろうと待つこと10分。一向にくる気配はありません。

諦めて道路に戻った所で、踏切の鳴る音が。
カラフルな車両が菜の花の中を通過して行きました・・・。写真を撮る間も無く・・・。残念。

■ 姉ヶ崎で復活!! ■

お昼ご飯が消化されたのか、姉ヶ崎で国道16号に出た辺りで足が復活します。時速30km/h代で千葉市内を目指します。それにしても国道16号は道が悪い。路肩はデコボコで道路の継ぎ目が盛り上がって注意しないと自転車が跳ねます。

追い風の影響もあって千葉には楽に到着。ここから稲毛海岸にハンドルを切ると、海からの向かい風になるのはいつもの事。ここを凌げば、後は浦安までは一息です。

船橋の手前で後ろからロード乗りに抜かれました。走行距離160kmを越えているので
どうしようかと思いましたが、「抜かれたら抜き返せ」が我が家の家訓?当然・・・。

そんなこんなで船橋にもすんなりと到着。後は浦安まで歩道をのんびりと走ります。

■ 暗くなる前に帰宅 ■

浦安到着は18:30.
距離は183Kmでした。
平均時速は、鹿野山から後ろはダメダメだったので24.8Km/h(メータ読み)
走行時間は7時間24分。

スタートが遅かったので、暗くなる前に帰宅出来てラッキーでした。

本日は新芽の房総の山里を堪能しました。