ピアノと二つの弦楽器のための三重奏曲
○メルケル、マルチェリ・ハーソン、ズーフルー・テンロック(gramophone)SP
地味さは否めないが時代からするとすっきりした演奏で纏綿とした重たい演奏にはなっていない。微温的な音色に表現で良い意味でも悪い意味でも引っかかりはなく、ただこういう演奏であれば音が良くないとどうしようもなく、正直このSP音質でこのスタイルでは音楽的に耐えられる人は少ないかもしれない。参考にもならないような演奏ではあるが、ほぼ同時代の演奏としてこういう古臭くも先鋭でもない英国ふうの演奏もあったのだという認識をさせる価値はあるか。○にしておく。
○ペルルミュテール(P)ゴーティエ(Vn)レヴィ(Vc)(TAHRA)1954/5/7・CD
録音の悪さが如何ともしがたい。しかしこの類稀なる面子による演奏はいずれの奏者もきらめくようなそれでいて力強いタッチで曲を描ききっており、オールドスタイル(といってもペルルミュテールの非情緒的な美しい音に象徴されるようにあくまで「ラヴェルの時代の」である)の演奏としては破格の出来である。技術的にも三者じつにすばらしい。三楽章の冒頭からのチェロの音程がやや低い感じがする。これがなければ◎にしたところだが、録音撚れだろうか。一聴の価値あり、ペルルミュテール全盛の覇気と雅味の感じられる演奏。
オボーリン(P)D.オイストラフ(VN)クヌシェヴィツキー(VC)(harmonia mundi)1952
初期の弦楽四重奏曲とならびラヴェルの室内楽における最高傑作である。円熟期を迎えたラヴェルの独自性が顕れたなかなか面白い曲。
旋律も覚え易く、しいていえば終楽章が他楽章に比べやや聞き劣りする程度。さて、この演奏は模範解答のような演奏といったらいいのだろうか。技術的にはどこにも瑕疵はなく、完璧なアンサンブルだが、音色が単調で、特に繊細な表現に欠けている。これはフランス近代音楽を演奏する上で致命的である。「曲聞き」には向くが、「鑑賞」には向かない。そういう印象。
◎デカーヴ(p)パスキエ三重奏団のメンバー(erato)
パスキエ三重奏団は決してテクのある団体ではない。しかしそのかわりに何者にもかえがたい「味」がある。ここではデカーヴのピアノの素晴らしさもさることながら、ジャン・パスキエのヴァイオリンの音色に、”懐かしさ”にも似た何かしらの心に直接訴えるものを感じる。線の細い、しかしそうであるがゆえに儚く美しいものを表現するのにもっとも適した音。音程があやしくなろうがどうなろうが、
まず「表現すべきもの」を十分に理解し、それを音にすることに専念する。そしてそれがはっきり音として作り上げられていることに、感動する。いや、難しいことは言うまい。これは聞いてナンボの音楽である。まずは聞いてほしい。フランス音楽の粋がここにある。最近廉価復刻された。
○エルフェ(P)エルリ(Vn)アルバン(Vc)(eurodisc他)LP
シャンペイユのカルテットの裏面のものとして有名な録音で、原盤はクラブ・フランセか。異常な値段がついているのが不可解だ。オイロディスクあたりの再発は市場によく出てたのに(今でも毎月のように出るが値付けが異常)。演奏は特徴的で、いきなりアグレッシブに攻撃的に始まる。情趣より音楽の律動とやりあいを楽しむ、ピアノトリオとしては常道とも言える演奏でもある。けっこう飽きずに面白く聞けるが、これがこの曲のすべてではない、むしろ特異だということで○。
○ハイフェッツ(Vn)ピアティゴルスキー(Vc)ルービンシュタイン(P)(RCA,BMG)1950/8/28・CD
百万ドルトリオは必ずしもバランスのとれた団体ではない。典型的な一流ソリストによる「話題性先行」の売り方を「アメリカで」された団体で、かつ恐らく史上もっとも恐ろしい高レベルの技巧派ソリストのそろった「一定期間ちゃんと活動した」アンサンブル団体でもある。ロシアの「オレオレ」自己主張ソリストアンサンブルとは違いバラバラ感はなく、当時流行の「トスカニーニ様式」というか、速いテンポでさっさと、力強く進めていくスタイルにのっとって緊密な演奏にはなっているのだが、天性の「魅力」でいけばやはりこの三人には差がある。・・・とどのつまり、ハイフェッツが凄すぎるのだ。もっとも結構アバウトな演奏も行った人であり、現代的な視点からすれば「もうワンテイク」と言われたかもしれないギリギリな場面もあるのだが、そういった点ではルビンシュタインとて同じであり(カップリングのチャイコではてきとうに流すところでは細かい音をごまかしてたりもするがこれはこの録音に限ったことでは無いらしい)、いちばん実直にきっちり弾いているのはピアティゴルスキーなのだが、一方で魅力の点ではピアティゴルスキーがいちばん劣っているといわざるを得ない。音色と迫力の点で物足りなさを感じることしきりであり、ただ、たぶんこれは録音バランスのせいもあると思う。二人の名手に音量バランス的な遠慮がみられるのである。再生機器でチェロを強調してみよう。恐らく決して二人に負けては居まい(勝つこともないだろうが)。ピアノトリオはきほん、アンサンブルというより三人のソリストのバトルといった側面の強い編成である。ラヴェルにおいては三人が機械的に割り振られたフレーズをモザイク状にあてはめていくような、一本で練習するととても寂しい楽曲になってしまうものになっている。ここでは余り得意としていたとは思えないルビンシュタインが意外とリリカルな表現をみせ、スペインふう、ヴィニェスふうの雰囲気を持ち込んでラヴェルにダイレクトに当たる軽い洒落た演奏振りをみせているがやや引き気味でもある。ハイフェッツは雄弁すぎて他を圧倒しすぎ。ピアティゴルスキーは何をやっているのかよくわからなくなるところがあるが弾けてはいるのである。悪くはないが、感動的な曲のはずなのに何も残らない、しいていえばやはりルビンシュタインの表現に尽きるか。○。
○ボルツァーノ三重奏団(WESTMINSTER)
繊細で美しいのである。かといって怜悧に整えられた演奏ではなくオールドスタイルに近い感じのする演奏だ。フランスの団体かのような音の透明感と温かみがあり、メンバーの技量もセンスもマッチしていて変な突出や歌いこみは聞かれない。ラヴェルはこれが基本的には正しい筈である。○。
○プルデルマシェ(P)ジャリ(Vn)トゥムス(Vc)(EMI)CD
クラシカルなピアノトリオ編成の演奏としては珍しく、主張のし合いで衝突したり、逆に機械的に客観的態度を貫くようなこともせず、アンサンブル的なまとまりがある一方で熱気があり素直に盛り上がる。入り込み易い。フェヴリエの繊細さに溌剌とした動きとスピードをくわえたラヴェルの権威プルデルマシェールはやはりいいし、弦楽器ふたりも決していい楽器で高度な技巧を示すのではなく素直に音楽に腕をゆだねている(このヴァイオリンの音はいい音とはいえないが羊の腸の音がする。古ぼけていて「私は好き」、たぶん私の音を聴いた人はそうだろうなとか言うだろうなあ)。CDはやはりデジタル化により音が痩せて金属質になってしまうから、やや旧いアナログ録音の演奏を聴くには適さない。この音はアナログ向きだ。○。HMVだと1000円切ります。
○C.ボナルディ(Vn)シフォルー(Vc)ノエル・リー(P)(ACCORD)1987・CD
残響がかなりうるさいがスケールの大きな、かつセンスあるダイナミックな演奏。安定感のある演奏ぶりではあるものの、弦楽器二本の音は感傷的で主情的であり、今回二回目?の録音のノエル・リーが何よりラヴェル適性をはなって素晴らしい。この人のピアニズムは言葉で表現のしようのない清潔で軽く、明確で、しかしどこか感傷的である。ラヴェル向き奏者というのはほんと言葉で説明できない、それこそセンスの問題でもある。ミケランジェリあたりは私は余りセンスがあるとは思わない。完璧であればいいというわけではないのである・・・作曲家が認める認めないにかかわらず。ただ、どちらかというとこのトリオでは引き気味かもしれない。ボナルディの音は線が細く、細いがゆえにナイーブな表現が可能でヴィブラートも細かく感情的にかかるのだが、強い音が出にくいようだ。終楽章の強奏部で音程が「フランス的に」乱れる。惜しい。
○アルベネリ三重奏団(mercury)LP
なかなかいいのだ。とくにピアノに表現力があり、1楽章など解釈的にとても感傷的で美しい。トリオの中でけして支配的な雰囲気を醸さず(モノラルで求心力のある聴感だからかもしれないけど)、三者の音色が融合はしないが同調してほどよい。ただ、「正攻法的なロマン派様式」の気があり、解釈が鼻につくところも・・・いやラヴェルの表現として不足はないのだが、終楽章あたり飽きてくるのも否めない。個人的にはもっといい音なら普段聴きにしたいくらいのものだがラヴェル好きには異論あるか。○。
○メルケル、マルチェリ・ハーソン、ズーフルー・テンロック(gramophone)SP
地味さは否めないが時代からするとすっきりした演奏で纏綿とした重たい演奏にはなっていない。微温的な音色に表現で良い意味でも悪い意味でも引っかかりはなく、ただこういう演奏であれば音が良くないとどうしようもなく、正直このSP音質でこのスタイルでは音楽的に耐えられる人は少ないかもしれない。参考にもならないような演奏ではあるが、ほぼ同時代の演奏としてこういう古臭くも先鋭でもない英国ふうの演奏もあったのだという認識をさせる価値はあるか。○にしておく。
○ペルルミュテール(P)ゴーティエ(Vn)レヴィ(Vc)(TAHRA)1954/5/7・CD
録音の悪さが如何ともしがたい。しかしこの類稀なる面子による演奏はいずれの奏者もきらめくようなそれでいて力強いタッチで曲を描ききっており、オールドスタイル(といってもペルルミュテールの非情緒的な美しい音に象徴されるようにあくまで「ラヴェルの時代の」である)の演奏としては破格の出来である。技術的にも三者じつにすばらしい。三楽章の冒頭からのチェロの音程がやや低い感じがする。これがなければ◎にしたところだが、録音撚れだろうか。一聴の価値あり、ペルルミュテール全盛の覇気と雅味の感じられる演奏。
オボーリン(P)D.オイストラフ(VN)クヌシェヴィツキー(VC)(harmonia mundi)1952
初期の弦楽四重奏曲とならびラヴェルの室内楽における最高傑作である。円熟期を迎えたラヴェルの独自性が顕れたなかなか面白い曲。
旋律も覚え易く、しいていえば終楽章が他楽章に比べやや聞き劣りする程度。さて、この演奏は模範解答のような演奏といったらいいのだろうか。技術的にはどこにも瑕疵はなく、完璧なアンサンブルだが、音色が単調で、特に繊細な表現に欠けている。これはフランス近代音楽を演奏する上で致命的である。「曲聞き」には向くが、「鑑賞」には向かない。そういう印象。
◎デカーヴ(p)パスキエ三重奏団のメンバー(erato)
パスキエ三重奏団は決してテクのある団体ではない。しかしそのかわりに何者にもかえがたい「味」がある。ここではデカーヴのピアノの素晴らしさもさることながら、ジャン・パスキエのヴァイオリンの音色に、”懐かしさ”にも似た何かしらの心に直接訴えるものを感じる。線の細い、しかしそうであるがゆえに儚く美しいものを表現するのにもっとも適した音。音程があやしくなろうがどうなろうが、
まず「表現すべきもの」を十分に理解し、それを音にすることに専念する。そしてそれがはっきり音として作り上げられていることに、感動する。いや、難しいことは言うまい。これは聞いてナンボの音楽である。まずは聞いてほしい。フランス音楽の粋がここにある。最近廉価復刻された。
○エルフェ(P)エルリ(Vn)アルバン(Vc)(eurodisc他)LP
シャンペイユのカルテットの裏面のものとして有名な録音で、原盤はクラブ・フランセか。異常な値段がついているのが不可解だ。オイロディスクあたりの再発は市場によく出てたのに(今でも毎月のように出るが値付けが異常)。演奏は特徴的で、いきなりアグレッシブに攻撃的に始まる。情趣より音楽の律動とやりあいを楽しむ、ピアノトリオとしては常道とも言える演奏でもある。けっこう飽きずに面白く聞けるが、これがこの曲のすべてではない、むしろ特異だということで○。
○ハイフェッツ(Vn)ピアティゴルスキー(Vc)ルービンシュタイン(P)(RCA,BMG)1950/8/28・CD
百万ドルトリオは必ずしもバランスのとれた団体ではない。典型的な一流ソリストによる「話題性先行」の売り方を「アメリカで」された団体で、かつ恐らく史上もっとも恐ろしい高レベルの技巧派ソリストのそろった「一定期間ちゃんと活動した」アンサンブル団体でもある。ロシアの「オレオレ」自己主張ソリストアンサンブルとは違いバラバラ感はなく、当時流行の「トスカニーニ様式」というか、速いテンポでさっさと、力強く進めていくスタイルにのっとって緊密な演奏にはなっているのだが、天性の「魅力」でいけばやはりこの三人には差がある。・・・とどのつまり、ハイフェッツが凄すぎるのだ。もっとも結構アバウトな演奏も行った人であり、現代的な視点からすれば「もうワンテイク」と言われたかもしれないギリギリな場面もあるのだが、そういった点ではルビンシュタインとて同じであり(カップリングのチャイコではてきとうに流すところでは細かい音をごまかしてたりもするがこれはこの録音に限ったことでは無いらしい)、いちばん実直にきっちり弾いているのはピアティゴルスキーなのだが、一方で魅力の点ではピアティゴルスキーがいちばん劣っているといわざるを得ない。音色と迫力の点で物足りなさを感じることしきりであり、ただ、たぶんこれは録音バランスのせいもあると思う。二人の名手に音量バランス的な遠慮がみられるのである。再生機器でチェロを強調してみよう。恐らく決して二人に負けては居まい(勝つこともないだろうが)。ピアノトリオはきほん、アンサンブルというより三人のソリストのバトルといった側面の強い編成である。ラヴェルにおいては三人が機械的に割り振られたフレーズをモザイク状にあてはめていくような、一本で練習するととても寂しい楽曲になってしまうものになっている。ここでは余り得意としていたとは思えないルビンシュタインが意外とリリカルな表現をみせ、スペインふう、ヴィニェスふうの雰囲気を持ち込んでラヴェルにダイレクトに当たる軽い洒落た演奏振りをみせているがやや引き気味でもある。ハイフェッツは雄弁すぎて他を圧倒しすぎ。ピアティゴルスキーは何をやっているのかよくわからなくなるところがあるが弾けてはいるのである。悪くはないが、感動的な曲のはずなのに何も残らない、しいていえばやはりルビンシュタインの表現に尽きるか。○。
○ボルツァーノ三重奏団(WESTMINSTER)
繊細で美しいのである。かといって怜悧に整えられた演奏ではなくオールドスタイルに近い感じのする演奏だ。フランスの団体かのような音の透明感と温かみがあり、メンバーの技量もセンスもマッチしていて変な突出や歌いこみは聞かれない。ラヴェルはこれが基本的には正しい筈である。○。
○プルデルマシェ(P)ジャリ(Vn)トゥムス(Vc)(EMI)CD
クラシカルなピアノトリオ編成の演奏としては珍しく、主張のし合いで衝突したり、逆に機械的に客観的態度を貫くようなこともせず、アンサンブル的なまとまりがある一方で熱気があり素直に盛り上がる。入り込み易い。フェヴリエの繊細さに溌剌とした動きとスピードをくわえたラヴェルの権威プルデルマシェールはやはりいいし、弦楽器ふたりも決していい楽器で高度な技巧を示すのではなく素直に音楽に腕をゆだねている(このヴァイオリンの音はいい音とはいえないが羊の腸の音がする。古ぼけていて「私は好き」、たぶん私の音を聴いた人はそうだろうなとか言うだろうなあ)。CDはやはりデジタル化により音が痩せて金属質になってしまうから、やや旧いアナログ録音の演奏を聴くには適さない。この音はアナログ向きだ。○。HMVだと1000円切ります。
○C.ボナルディ(Vn)シフォルー(Vc)ノエル・リー(P)(ACCORD)1987・CD
残響がかなりうるさいがスケールの大きな、かつセンスあるダイナミックな演奏。安定感のある演奏ぶりではあるものの、弦楽器二本の音は感傷的で主情的であり、今回二回目?の録音のノエル・リーが何よりラヴェル適性をはなって素晴らしい。この人のピアニズムは言葉で表現のしようのない清潔で軽く、明確で、しかしどこか感傷的である。ラヴェル向き奏者というのはほんと言葉で説明できない、それこそセンスの問題でもある。ミケランジェリあたりは私は余りセンスがあるとは思わない。完璧であればいいというわけではないのである・・・作曲家が認める認めないにかかわらず。ただ、どちらかというとこのトリオでは引き気味かもしれない。ボナルディの音は線が細く、細いがゆえにナイーブな表現が可能でヴィブラートも細かく感情的にかかるのだが、強い音が出にくいようだ。終楽章の強奏部で音程が「フランス的に」乱れる。惜しい。
○アルベネリ三重奏団(mercury)LP
なかなかいいのだ。とくにピアノに表現力があり、1楽章など解釈的にとても感傷的で美しい。トリオの中でけして支配的な雰囲気を醸さず(モノラルで求心力のある聴感だからかもしれないけど)、三者の音色が融合はしないが同調してほどよい。ただ、「正攻法的なロマン派様式」の気があり、解釈が鼻につくところも・・・いやラヴェルの表現として不足はないのだが、終楽章あたり飽きてくるのも否めない。個人的にはもっといい音なら普段聴きにしたいくらいのものだがラヴェル好きには異論あるか。○。