湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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シマノフスキ:交響曲第4番「協奏的交響曲」

2016年09月12日 | Weblog
エキエル(P)ロヴィツキ指揮ワルシャワ・フィル(OCC)1967/4/3イギリスlive・CD

「親しい公演スタッフによる録音」(ありがち)で、音源の権利もそちらにあるとのこと。同レーベルはこのエンジニアさんが自ら立ち上げたプライヴェートレーベルのようだ。ロヴィツキのこのときのツアー記録は他に無く、逆にポーランドの然るべきところに一部音源を提供し、正規のロヴィツキ記念盤として出ているようだから、これも無法盤というわけでは無い模様。

そういった経緯からあくまで記録としての録音となっており、貧相なステレオマイクで偏ったところから録っているようであり、音質的にも万全とは言い難い。全体が雲に覆われたような篭った音で、ピアノは小さく引いて聞こえバランスが悪い。これは晩年シマノフスキの新古典主義スタイルのシンプルで独特な(気色悪いスクリアビン的な組み物を透明な響きと強い旋律、リズムで押し通すという)作曲法からきているところもあるかもしれないが、スカスカで、アンサンブルが瓦解しているかのように聞こえるところもある(ソリストもミスが聴かれる)。録音だけではなく演奏も荒っぽいのだ。ありがちなことだが緩徐楽章は精緻で美しい。両端楽章がどうも「ライヴ品質」である。

もっとも全く同じ組み合わせでmuzaが出していた録音でも、技術的な弱さを力づくで強引に押し通した感があって、これはこういうものだったのかもしれない。細かい不備なぞどうでもいい、メロディとリズムで突き通せ!ってロヴィツキぽさが好きな向きは、ひょっとすると楽しめるかもしれない。この作品自体にその気はあるのだから。プロコフィエフとラヴェルの名作が同時代の作曲家に広く新古典主義にたったピアノ協奏曲の作曲へ向かわせた、そのうちの一つとされるが、バルトークの孤高まではいかないものの、民族舞踏音楽を下敷きにフランス印象派から前衛音楽の残り香である硬質の響きを用いながらも聴衆を置き去りにすることなく娯楽に昇華させた協奏曲である、これはポーランド産の演奏だからといって決して民族的な演奏「ではない」ので、もっと良く、もっと新しい録音で聴いてみて下さい。ファーストチョイスには向かない。
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