○作曲家(P)クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(ASdisc)1936/2/22LIVE・CD
カゼッラはイタリアの作曲家だがパリに学び印象派~新古典の影響を受け、また自ら率先してラヴェルらと共に次の世代の音楽を模索した作曲家である。その作品は多くのイタリア近代作曲家同様擬古典というべきものも数多いが(やたら協奏曲を書いているのも関係あろう)重厚でわかりづらい中欧的作風の中にもフランス式の軽やかなスタイルを採り入れて独自の折衷的作風を確立している。ちょっとバルトークを思わせる壮大な冒頭からちょっと擬古典的なヴァイオリン、チェロのソロのパッセージが絡み合っていく。半音階的で重々しい音楽がつづくが不思議と洒落ている。さすがラヴェル、エネスコ、コルトーと同じ釜の飯を食った作曲家、なかなかに個性的な音楽だ。民謡旋法的なフレーズと垢抜けた硬質なひびきが交錯し、アレグロ部に突入していく。カゼッラのピアノはさすが自作というべきか鋭く俊敏であり、これまたなかなか巧いヴァイオリンソロとの掛け合いがかっこいい。クーセヴィツキーのオケがそれに拍車を掛けるように鋭く絡んでいく。凄い集中力である。やがて、やはりというべきか、六人組ふうの楽天的な旋律も顕れるが、結局は怒涛のような細かい音符が極めて高い密度で集積された旋律同志の喧嘩のような掛け合いになっていく。恐らく古典的な合奏協奏曲を真似ているのだろうが、音が異常に多いぶん聞きごたえがあり、またもはや古典の模倣とは言い難い個性が雄叫びをあげている。これはオネゲルより凄い。腕利きのソリストと楽団がいたら演奏してみたらいい。これは超難曲、でも理知的に組み立てられていて十分に練習すれば曲になるであろう佳作です。奇妙な明るさがあるのも面白い(1楽章の最後のフランセ的な終止など)。私はミヨーがもっと前に生まれていたら書きそうな作品だな、と思った。2楽章ラールゴの憂愁は多分に感傷的で、カゼッラは非常に強い打鍵で弾いているためやや男らしすぎる感もあるが(この冒頭のピアノソロでピーという恐らく放送雑音が入って耳障り)、チェロとヴァイオリンの艶めいたヴィブラートにのせた感傷的な旋律の絡み合いはとても美しい。ひびきは複雑だが、音を間引いて聞くと、六人組の書いたピアノ協奏曲の緩徐楽章と言っても間違えそうな曲想ではある。ミヨーほど思索的ではないし、プーランクほど軽量級でもなく、ブラスのミュートされた挿句は新ウィーン楽派を思わせる奇矯さをかもし、独特の混合音楽が展開されていく。旋律はピアノによってかなりわけがわからない変貌を遂げていく。深刻だがどこか面白い。そののちふたたび冒頭の感傷的なソロの絡みが再現される。これだけ分厚い不協和音を使っているのに清澄なのは音を注意深く選んで作曲している(演奏している?)せいか。けっこう書き込んだ曲であり、聞けば聴くほど理解は深まるだろう。でもこの盤・・・三楽章が欠落しているのでした。ガクリ。きわめてレベルの高い演奏であり、クーセヴィツキーもカゼッラも凄い。そのあたり得意なかたは聴いてみてもいいかも。
※2004年以前の記事です
カゼッラはイタリアの作曲家だがパリに学び印象派~新古典の影響を受け、また自ら率先してラヴェルらと共に次の世代の音楽を模索した作曲家である。その作品は多くのイタリア近代作曲家同様擬古典というべきものも数多いが(やたら協奏曲を書いているのも関係あろう)重厚でわかりづらい中欧的作風の中にもフランス式の軽やかなスタイルを採り入れて独自の折衷的作風を確立している。ちょっとバルトークを思わせる壮大な冒頭からちょっと擬古典的なヴァイオリン、チェロのソロのパッセージが絡み合っていく。半音階的で重々しい音楽がつづくが不思議と洒落ている。さすがラヴェル、エネスコ、コルトーと同じ釜の飯を食った作曲家、なかなかに個性的な音楽だ。民謡旋法的なフレーズと垢抜けた硬質なひびきが交錯し、アレグロ部に突入していく。カゼッラのピアノはさすが自作というべきか鋭く俊敏であり、これまたなかなか巧いヴァイオリンソロとの掛け合いがかっこいい。クーセヴィツキーのオケがそれに拍車を掛けるように鋭く絡んでいく。凄い集中力である。やがて、やはりというべきか、六人組ふうの楽天的な旋律も顕れるが、結局は怒涛のような細かい音符が極めて高い密度で集積された旋律同志の喧嘩のような掛け合いになっていく。恐らく古典的な合奏協奏曲を真似ているのだろうが、音が異常に多いぶん聞きごたえがあり、またもはや古典の模倣とは言い難い個性が雄叫びをあげている。これはオネゲルより凄い。腕利きのソリストと楽団がいたら演奏してみたらいい。これは超難曲、でも理知的に組み立てられていて十分に練習すれば曲になるであろう佳作です。奇妙な明るさがあるのも面白い(1楽章の最後のフランセ的な終止など)。私はミヨーがもっと前に生まれていたら書きそうな作品だな、と思った。2楽章ラールゴの憂愁は多分に感傷的で、カゼッラは非常に強い打鍵で弾いているためやや男らしすぎる感もあるが(この冒頭のピアノソロでピーという恐らく放送雑音が入って耳障り)、チェロとヴァイオリンの艶めいたヴィブラートにのせた感傷的な旋律の絡み合いはとても美しい。ひびきは複雑だが、音を間引いて聞くと、六人組の書いたピアノ協奏曲の緩徐楽章と言っても間違えそうな曲想ではある。ミヨーほど思索的ではないし、プーランクほど軽量級でもなく、ブラスのミュートされた挿句は新ウィーン楽派を思わせる奇矯さをかもし、独特の混合音楽が展開されていく。旋律はピアノによってかなりわけがわからない変貌を遂げていく。深刻だがどこか面白い。そののちふたたび冒頭の感傷的なソロの絡みが再現される。これだけ分厚い不協和音を使っているのに清澄なのは音を注意深く選んで作曲している(演奏している?)せいか。けっこう書き込んだ曲であり、聞けば聴くほど理解は深まるだろう。でもこの盤・・・三楽章が欠落しているのでした。ガクリ。きわめてレベルの高い演奏であり、クーセヴィツキーもカゼッラも凄い。そのあたり得意なかたは聴いてみてもいいかも。
※2004年以前の記事です