UHB大学教養講座、今回は日米の架け橋として知られているもと日米国大使、ライシャワー日本で生まれ、ケネディ、ジョンソン大統領時代の駐日大使として、その後もハーバード大学の日本研究所所長として生涯日本とアメリカの架け橋であり続けたと言われています。
1999年に日本人暴漢に太もも殺傷、その後の輸血以降ライシャワーの持病となった肝炎が悪化し、延命治療を拒否し79年の生涯に自らの意思で幕を下ろしました。遺灰は、遺言により太平洋に撒かれお墓はないそうです。
ライシャワーは1989年9月北海道を訪問、テレビ局北海道開局記念特別番組のために初めて訪れました。どんな講演だったかはわかりませんが・・この時期に、私のブログと共に、アメリカからの便りブログを発信している久仁子さんがアメリカに希望をもって渡米した頃でしょうか。30数年前、まだまだ留学生など少ない時代、度胸の良さ、好奇心・・脱帽します。
また昨日は輸血による持病、肝炎で亡くなった方の通夜でした。いろいろな因縁を感じつつ・・
C型肝炎・・苦しい治療などせず日々穏やかに自らの運命を受け止めての生活だったようです。
アメリカ便り
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ワン子が病院に7月の帰国は無理なのでは、明日はヨリさんの家で女子会、ヨリさん得意のくるみ餅、私はフキ、竹の子、かまぼこ、こんにゃく入の煮しめを作るとの約束、夕方電話、蕨を取ったのでそれも入れてと・・いまアク抜きを・・明日は私を入れて4人の女子会です。