りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

Let's go to far east!! Go!!!!

2009-11-22 | Weblog
「シカゴまで170km。ガソリン満タン、タバコ半箱、闇夜。なぜか俺たちサングラス・・・行け!」
・・・そう言って、クルマのエンジンキーを回したのは、映画「ブルース・ブラザーズ」でした。

僕の場合は・・・
「愛知県知多半島まで450km。ガソリン満タン、アンメルツ常備、闇夜。なぜか俺もサングラス・・・行け!」
というところか(笑)

「Twin Peaks'09」
http://twinpeaks.xrea.jp/

2年ぶりの参加。
今から家を出れば、夜が明ける頃には伊勢湾岸あたりを走ってるかな。
久々に会える人たち。初めてお会いする人たち。
1台の小さなクルマが縁で知り会えた大切な人たちが、知多半島の突端で待っている。

さてと、行くか。
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もみじマーク。

2009-11-20 | Weblog
もう完全に見慣れていたけど、

高齢者には意外と不評だったんですね、このマーク。

「まるで枯れ葉のようだ」って言われても・・・

だって若葉の逆なんだから、その通りでしょう(爆)

今回、警察庁があらためてマークを募集するらしい。

採用されれば、30万円かぁ。

全国で大量かつ、大勢に使われて認識される割には、少額だなぁ

しかし、“賞金”と呼ばずに“費用”と称するところが、いかにも警察だね(笑)

時間とやる気とアイデアが生まれたら 、

応募してみようかな

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20091119dde041040062000c.html
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SHI-SHONEN。

2009-11-18 | Weblog
もう、探した。探した

もう何年も前から何度も何度もヤフオクやAMAZONで検索してたけど、
まったく引っ掛からなかった (=_=;)
でも、今やクリックひとつで何でも手に入る時代。
ど~しても、手に入れたかった。

SHI-SHONEN。

ご存知の方、いらっしゃいますか?
記憶の片隅にでも残っている方、いらっしゃいますか?
僕のブログで取り上げるということは・・・ハイ、もちろん80年代の音楽です(爆)

1983年、YMOが散開(解散ではなく、散開だそうです)以降、そのニッチェの
ポジションを埋めようと、様々なテクノユニットやグループが輩出された。
しかし、乱立気味の過当競争の中で商業的成功を収めたのは、結局、PSY・Sと
TMネットワークだけだった。

SHI-SHONENも、そんなユニットのひとつだった。
ウィキペディアで調べてみたが、結成された年もメジャーデビューの年も、
非常に曖昧なユニットだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/SHI-SHONEN

僕が彼らの曲を初めて聴いたのは、1985年の春。
高校生になって間もなかった。
突然、ラジオの深夜放送から流れて来た。
電流が、走った。
しかし、それは感電死するほどの電流じゃなかったからか、僕はレコード屋
(CDショップより、やっぱりこの言い方の方がしっくりくるなぁ)にすぐに走らなかった。
異性で例えれば、“隣の高校にキレイな子がいるらしいぞ”という噂を耳した程度だ(分かりにくい例えやな

前述したが、今のご時世ネットでほぼ何でも買える。
だから、当然廃盤になっているSHI-SHONENも探していた。

先日、やっと見つけた。
ヤフオクに出品している人がいた。
2009年の今、日本でSHI-SHONENを求めている人はいないのだろうか。
クリック1回しただけで、僕が落札してしまった(爆)

昨日、届いた。
開封して、聴いた。
24年ぶりに、聴いた。
僕の第一印象。
“あれ?こんな曲だったっけ?”
でも聴いているとメロディや歌詞の端っこに、あの時、僕の身体の中を
駆け抜けた電流を名残りを感じ取ることが出来た。

考えてみれば当たり前だ。
20年も過ぎれば僕もその間に色んな音楽を体験して、多少は音楽を聴く耳も肥えている。
隣の高校のキレイに見えた女の子も、40歳前後になれば、それなりの女性になっている(爆)
でも音楽にしろ、女の子にしろ、あの時、多感な僕の身体の中を電流
駆け抜けたことだけは、紛れもない事実だ。

ちなみに、SHI-SHONENは短期間の活動後に一旦解散し、主要メンバーだった戸田誠司を中心に
「FAIRCHILD」というバンドに発展した。
そのボーカルは、言わずと知れた、あのYOUである。

SHI-SHONEN 「Lovely Singin' Circuit」
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広島平和記念公園。

2009-11-17 | Weblog
愕然とした。

先日、とあるTVの報道番組で原爆投下前の広島の町を
CGで再現するプロジェクトを進めている田辺雅章さん
(広島で映像制作会社経営)を取材していた。
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/02abom/cg/cg.html

田辺さんはCG制作の過程でとある米国人に会ったそうだ。
その米国人は田辺さんにこう言った。

「何はともあれ、原爆が落ちた場所が公園でよかったですね」

この米国人は、広島平和記念公園が被爆前からそこにあったと
思っていたのである。
たぶん、この米国人に悪意はなかったのだろう。
むしろ、彼にとって最大限の善意のつもりだったのかもしれない。
しかし、僕が最も驚いたのは、この言葉から察するに、大半の
欧米人が上記のように思い込んでいるかもしれないことだった。

当たり前だが、広島平和記念公園は、原爆が落ちる前にはなかった。
そこには、「中島町」という町があった。
単なる町ではない。広島有数の繁華街だった。
そのには、人が住み、働き、子どもたちが路地で遊んでいた。

そこには「普通の生活」が、あったのだ。

それが一発の爆弾で、消された。
一瞬で、消された。
人も街も生活も、すべて消されたのだ。

田辺さんの実家は、今の原爆ドームのすぐ隣にあったそうだ。
あの日、母と1歳の弟を一瞬のうちに、亡くした。
今も、あの原爆ドームのそばに2人の遺骨は埋まったままなの
だそうだ。
米国人のこの言葉を聞いた瞬間、田辺さんは全身の血が逆流する
ほどの憤りと哀しみに襲われたという・・・。

現在の広島平和公園は、綺麗で整然とした都心の公園だ。
しかし、その土の下には64年前の瓦礫と数えきれない遺骨が
今もそのまま埋まっているのである。
そんな場所の上に立ち、私たちは手を合わせているのである。
そしてもっと酷いことに、春になるとそんな場所で、花見という
名目でドンチャン騒ぎをしているのである。

今、広島の秋葉市長は、オリンピック開催を目指して、まるで
外堀から埋めるように、他都市との連携を模索して東奔西走の
毎日を送っている。
昨日も隣の呉市に訪れ、五輪検討委員会への加入をお願いしたそうだ。
(ちなみに呉市は快諾したらしい)

秋葉市長に、言いたい。

あんた、他にすることがあるだろう。


(戦前の中島町・現在の広島平和記念公園)
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金網越しの15歳。

2009-11-16 | Weblog
昨日、旧友と再会した。

中学校の同級生。
20歳の時に成人式で顔を会わせて以来だから、
それでも20年ぶりの再会だった。

僕は子どもたちの自転車の練習も兼ねて歩いていた。
偶然、彼が建てた家の前を通った。
それが彼の家だということは知っていた。
共通の友人から聞いていたし、何よりも、半年ほど前に
彼の奥さんとそこでバッタリ再会していたからだ。
彼の奥さん・・・彼女も中学の同級生だった。

彼は庭の掃除をしていた。
声を、かけた。
不審がる彼に、僕は自分の名字を言った。
名字を聞いたとたん、彼は苦笑しながらこう言った。
「何やってんだ(笑)?」

いろんな話をした。
だけど、昼間の立ち話だ。
僕らは他愛もない話に終始した。
友達の話や、家族の話や、車の話や、身体の話とか、
まぁ、そんなところだ。
そうこうしているうちに、玄関から彼の奥さんも顔を出した。
しかし、久しぶりの男同士の会話に入るのは気が引いたのか、
僕に向かって中学の時と同じような明るい笑顔と声で
「こんにちは」と言うと、静かに玄関の扉を閉めた。

15分ほど会話を交わしただろうか。
気がつくと、足元で子どもたちが「帰ろう」と退屈そうに僕に懇願
していた。
今も昔も、子どもたちにとって大人の立ち話ほど退屈なものはない。
そして、今も昔も、子どもの懇願ほど立ち話を切り上げる絶好の
タイミングもない(笑)。僕は“じゃあ、また”と彼に片手を挙げて
その場を後にした。

午後から雑用で、歩いて1人で外出した。
ついでに、中学校に寄ってみた(写真参照)

校門に向かう。
しかしそこには「ご用の方は、1階の事務室へご連絡の上・・・」と
いう、例の事実上の立ち入り禁止の看板が、学校の銘板の下に
掲示されていた。
仕方なく、僕は校門の横の金網越しに母校を眺めた。

日曜日だというのに、グラウンドではサッカー部の連中が
練習をしていた。
一人ひとりの顔を見ると、ホントに幼い。少年そのものだ。
僕は“こんなに、幼かったっけ?”と驚いた。

でも、そうなのだろう。

僕や久しぶりに再会した彼も、25年前はきっとこんな感じ
だったのだ。
彼は、男の僕から見ても、爽やかな男だった。
バスケット部だった。3年生の時はキャプテンだった。
爽やかで、バスケット部で、キャプテン。
これでモテないわけがない(笑)

彼の奥さんは、テニス部だった。
いつも小麦色の肌をした、誰にでも優しく、
明るくて笑顔が可愛い女の子だった。

僕はというと、いつまでたっても100mを12秒台で走れずに、
半分ふてくされながら、のんべんだらりとグラウンドの
トラックを走る陸上部員だった。

僕たちは、15歳だった。
まだ何ものでもない、
誰のものでもない、
ただの、15歳の少年と少女だった。

金網の向こうには、バスケットゴールもトラックも、25年前と
まったく同じモノがグラウンドの上に存在していた。
僕はそれらを金網越しにぼんやりと眺めていた。

ふと、金網の向こうに、25年前の、あの頃の僕や彼や彼の奥さんが
いるような気がした。

細く長い針金を幾重にも絡ませて作られた金網。
ちょっと力を入れれば、簡単に破れて中に入れそうな気がする。
しかし当たり前だが、金網はちょっとやそっとじゃ破れやしない。
僕に出来ることは、せいぜい記憶をたどって金網を大きく揺らす
ことぐらいだ。
仮に、金網を破って中に入れたとしても、そこにあの頃の僕も彼も
彼女もいない。絶対に。
もう、どこにもいないのだ。

金網を破っても、決して時間は戻らない。

僕は、金網を2~3回軽く揺らすと、家路についた。
あの頃流行っていた歌を自分にだけ聴こえるほどの
声量で口ずさみながら、家路についた。
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紅葉狩り。

2009-11-15 | Weblog
昨日は、紅葉狩りに行ってきました。

場所は、三原市・仏通寺。
この辺りでは、有数の紅葉の名所。
・・・なので、土曜日ということもあって、
狭い山中に人・人・人。そして車・車・車・・・(-_-;)↓



しかし、古刹と清流の流れを背景にした紅葉たちは、
本当にキレイで、忙しい日常を忘れさせてくれます↓





古刹を守るように屹立する巨木群の隙間から。
まるで格子窓から覗いたよう・・・秋が燃えています↓



そこらじゅうに、紅葉の絨毯が広がっています。
子どもたちはまるで雪合戦のように落ち葉を集めてこの調子(笑)↓



少し高台に上がると、今度は銀杏の落ち葉が。
絨毯も赤一色から黄金色一色へ。
でも、子どもたちのすることは同じです(笑)↓



子どもたちのはしゃぎっぷりに、僕も楽しくなって、
僕なりに楽しさを表現してみました(爆)
ひんやりとして、でもフカフカ。気持ちよかったぁ☆↓



しかし、秋はつるべ落とし。ホントに夕暮れが早い。
日没前に仏通寺を後にして帰宅。
玄関前でふと足元を見ると、チョコンとお土産が・・・↓



そんな感じで、昨日は秋を満喫した一日でした(^0^)v


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来訪者。

2009-11-14 | Weblog
昨日、会社で仕事をしていたら、昼前に携帯電話にメールが着信。

携帯を取り出してメールボックスを開くと、件名が“キムです。”
内容は“◯◯軒(僕の会社の近くのラーメン屋)に行きます”とのこと。
え~~こっちに来てるの

キムさん。
香川県在住。
僕の愛車・Twin仲間・・・というより、Twinのお師匠さん。
そう。あれは今からちょうど5年前だ。
この人のホームページに出会ってしまったために、僕はTwinという
世にも珍しいヘンテコなクルマを買うハメになってしまったのだ(爆)

それからこの御仁のTwinを真似て、旧ミニのルーフキャリアを天井に
乗っけたり、タイヤやホイールを替えたり、塗装し直したり・・・。
気がつくと、購入当時に比べたら、全く風貌が違うクルマになってしまった

でも、キムさんのおかげで交遊関係が広がったのも事実だ。
初めてお会いしたのは4年前の早春、岡山県の鷲羽山という瀬戸大橋が一望できる
場所で開かれた、 Twinのオフ会。
名目上は中四国だけのオフ会だったのに、全国からTwinオーナーが集まった。
みんなが異口同音に言っていたことが
「だって、キムさんが幹事なんだもん。これは行かなきゃって思ったよ」
全国のTwinオーナーにとって、キムさんという人は、そういう人なのだ。

それ以来、いろんな場所で開かれたTwinのオフ会で顔を会わせた。
そういえば、尾道で僕が幹事になってオフ会を開いたこともあったっけ。
その時もキムさんには助けてもらったなぁ。。。
あの時は、西日本を中心に10数台集まったけど、あのちっこいクルマで
尾道の町をカルガモ行列で走った時は、ホントに気分爽快だった
数年前、まったく別件で香川県に行った時も、キムさんの自宅の近くからメールしたら、
気軽に顔を見せてくれたこともあったっけ。
最初は、Twin仲間の間でも有名な人だから、“ちょっと近寄りがたい存在かな”と
思っていたけど、今はそんなことは、もう全然(笑)
風貌だけ見れば、逆に僕の方が近寄りがたいかも(爆)

昼休みにクルマ(もちろんTwin)を走らせて、キムさんがいるラーメン屋へ。
今日はお互い、仕事中ということもあって、昼の休憩時間に少しか話ができなかったけど、
まぁ、来週、愛知県で年に一度の全国オフ会「TwinPeaks'09」が開催されるし
僕もキムさんも、参加する。
キムさんなんて、前日から泊まり込んでドンチャンするらしい(笑)
できることなら、僕もそうしたかったけど。。。 (-_-;)
まぁ、それは、来年のお楽しみにしておこう。

最後に、鷲羽山でキムさんと僕が初めて会った時、キムさんが僕に言った
言葉でこの日記を終わります。キムさん、覚えてる?
「オフ会はね、クルマを見たくて集まってるんじゃないんだよね。
                  その“人”に会いたくて、集まるんだよ」


4年前、岡山県鷲羽山でのキムさんと僕のTwinの2ショット
(しかし2台とも、今と全然違うなぁ~

キムさんのHP↓
http://homepage2.nifty.com/kazupapa_97/twin.htm
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あなたが、好きです。(広島県限定)

2009-11-13 | Weblog
まさかこのトシでTVを見て一目惚れするなんて、思ってもみなかった。

しかも、ニュース番組を見てそうなるなんて・・・(*^_^*)

その相手は・・・気象予報士の石槫(いしぐれ)亜紀子さん

好きなると、難しい名字も愛しく感じてしまう(笑)

午後7時前、もしくは、午後9時前。

仕事から帰宅してTVをつけると、彼女が明日の天気予報をしている。

おだやかで落ち着いた彼女の声とたたずまいに疲れた心が癒される・・・

彼女が何歳か分からないけど、雰囲気的にどうも同世代っぽい。

しかし残念ながら、彼女はNHK広島放送局(専属?)の気象予報士なのだ。

だから全国のみなさんに“動く石槫さん”を紹介できないことが悔やまれる。

誠に、断腸の思いである(なんとも、大げさな・・・

(ちなみに、YOU TUBEで検索したけど、何も引っかからなかった・・・)

せめて彼女が出演している地元の情報番組のHPをリンクしておくので、

ご覧くださいませ。でもこの写真は、あまり写真映りがよくないなぁ

http://www.nhk.or.jp/hiroshima/okonomi/caster.html
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改稿。

2009-11-12 | Weblog
先日より、このブログにも書いている通り、
ただいま、新しい小説の執筆と格闘中でございます。

昨夜、第一稿を読んでもらった知人と電話で直接話した。
「どうでした?」と、僕。
「あっという間に読めた」と、知人。
「それは、いい意味で?」と、僕。
「うん。もちろん」と、知人。
「物語の中でワクワクしたりドキドキしたり切なくなったり・・・
 読みながら、こっちの喜怒哀楽も存分に出させてもらったよ」と、
嬉しいお言葉
しかしその後「でもねぇ・・・」と、付け足した。
ん?なんだ・・・・
「導入部分が、ちょっと・・・」

ドキッ

「何か弱いというか、分かりにくいというか・・・
もう少し掘り下げてもいいんじゃないかなぁって思った」

図星ということは、こういうことを言うのだろう。
知人が指摘した部分は、僕も最も迷いながら書いた部分だったのだ。
そういう所は、読み手にも伝わるのだろう。
「ここを読んだ時、“あぁ、りきる君はこの先を早く書きたがってるん
だろうなぁ、ここは早く済ませたがってるなぁって思ったよ(笑)”」

参りました・・・m(_ _;)m

やっぱり消化不良の部分は、ごまかせない。
何よりも、自分が一番気持ち悪い。

小説は、まだ第一稿を終えたばかり。
まだこれから改稿に次ぐ改稿の連続だ。
ゴールなんて、そんなに簡単に見えるわけがないし、見えちゃいけない。

このブログを書き終えた後、さっそく第二稿の準備に入ります。
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早寝。

2009-11-11 | Weblog
タイトル通り、夕べは午後9時くらいには、眠っていた。
まるで意識が途絶えるように (-_-)zzz

数日前の日記に書いたけど、突然新しい小説のプロットが
頭の中で生まれ、一昨日の日曜日の夜は、家でその小説を
ずっと書いていた。
昨日も、仕事の合間や休憩時間にその続きをチョコチョコ
書いて、夕方にはなんとか第一稿が完成した☆

その後、とある知人にその原稿をメールで送信した。
その人は、以前から僕の文章表現を支持してくれていた方なので、
たぶん、忌憚のない意見を言ってくれそうな気がしていた。

出来上がったばかりで、まだ荒削り。
音楽でいえば、デモテープが出来て仮歌をレコーディング
しました的な状態。
絵画でいえば、デッサンを終えて、鉛筆で描いて、水彩で
薄く色を塗ってみました的な状態。

でも、それくらいの状態で読んでもらった方がいいかなと思って。
どんな風に読んでも、今の自分では客観的に読めないから。
とにかく客観的に読んでもらって、今の段階でまた手直しをしたかった。
それ以前に、他人が読むに値する作品なのかどうかさえもわからなかったし(爆)

・・・で、そこまでしたら、安心したんだろうね。
帰宅して、夕食を食べて風呂に入って、完全に自分だけの時間になったら、
自分の部屋でTVを視ていたはずなのに、いつの間にか電気ストーブの前で
ネコのように丸まって寝てた・・・(=_=;)
午前2時頃、さすがに一度目が覚めたけど、もう着替えるのも面倒なので、そのまま
横にあるマッサージベッドにスライドして、その上で寝た(爆)

朝、起きたら、携帯に原稿を送った知人からメールが着信していた。
簡潔な文だったが、比較的肯定的な評価・・・のように解釈した(笑)

だから、夕べ立て続けに起きたビッグニュースを、僕はまったく知らなかった。

森繁さん、お亡くなりになったんですね。
大往生だ。
ご冥福をお祈りいたします。

市橋容疑者に関しては、ノーコメント。
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