りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

転職願望。

2010-04-22 | Weblog
通りがかった道で、偶然見つけた看板。

少しだけ、本当に少しだけ、

“人生、変えてみようか?”って、

心が揺れた(爆)
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幸せの種。

2010-04-21 | Weblog
別に大したことではないんだけど・・・。

偶然、車のメーターを見たらゾロ目だったんでね(^_^;)
これが“777”なら、まだもっと意味合いがあったんだろうけど(笑)

でも、こういうところから楽しい出来事って訪れるのかも。
自分が気づいていないだけで、幸せの種って、実はそこら辺にいっぱい
転がっているのかもしれない。
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もう一度。

2010-04-20 | Weblog
最近、ブログに書いてなかったな・・・祖母のこと。

別に避けていたわけではない。
まして、もうこの世にいないわけでもない。

祖母は、生きている。
安定している、という言葉を使えばいいのだろうが、
安易にそんな言葉を使うのもどうなのか・・・。
しかし、祖母は生きている。
辛うじて、生きている。

あれから・・・つまり、2ヶ月前、担当医師から祖母は“遺体が呼吸を
している状態”と宣告されてから、一度は覚悟を決めた僕ら家族であったが、
そんな家族を尻目に(というと不謹慎かもしれない)、祖母は驚くほど
までに快復した。
集中治療室で数週間過ごした後、一般病棟の個室に移り、その後、なんと
4人部屋に移されるまでに快復したのだ。
・・・いや、本当は“快復”という言葉は、この場合不適切なのかも知れない。
だって、祖母は元気になったわけでも快方に向かっているわけでもないのだから。

その間、祖母は人工呼吸器を常時付けていた。
最初は鼻から。
それが難しくなったら、次は口から。
それも難しくなったら、ついに喉の気道を切開して、そこから直接人工呼吸器
を突っ込まれた。
ここまで来たら、もう人工呼吸器を抜くことは出来ないだろう。
つまり、祖母は完全に自力で呼吸が出来なくなってしまった。
だから今の祖母は、やはり病状が“快復”しているのではなく“安定”しているだけで、
決して元気になったわけではないのである。

祖母の闘病生活を考える時、僕は必ずある風景を思い出す。

それは、鳥人間コンテストだ。
毎年、琵琶湖で開催されるこのコンテストには、多数の手作りの人力飛行機が
参加する。
スタート同時に真っ逆さまに湖上に落ちる人力飛行機もあれば、どこまでも
どこまでも滑空する人力飛行機もある。
子どもの頃、僕はこのイベントが大好きだった。
僕はテレビの前で、離陸と同時に墜落する飛行機に笑い転げ、その一方で
何百メートルも、時には何千メートルも湖上を滑空する飛行機をまるで自分が
操縦しているように錯覚しながら、ドキドキとワクワクを繰り返しながら応援
した。
しかし、どの人力飛行機も、すべて共通していることがひとつ、ある。

それは、いつかは湖面に着水する、ということだ。

どんなに長距離を滑空した人力飛行機も、いつかは湖面に着水し、その使命を
終える。静かに、まるで滑走路に着陸するように着水する飛行機もあれば、
最後の最後まで粘って湖に潜り込むように着水する飛行機もある。
どちらにしても、最後は深緑の湖面に落ち、もう二度と空を飛ぶことはない。

祖母は、今、どの辺りを飛んでいるのだろう。

医師の“遺体が呼吸をしている状態”という言葉は、衝撃的だった。
その言葉を耳にした瞬間、まるで飛び立った人力飛行機が、瞬時に真下の湖面に
落下するような感覚に陥った。
でも、祖母は落ちなかった。
飛び続けた。
全ての人々の予想を裏切って、2ヶ月以上も湖面の上を滑空し続けている。
でも、少しずつ少しずつ低空飛行になりつつあるのは、誰の目にも明らかだった。

先週、祖母は再び個室に移った。
喉に人工呼吸器を取り付けたため、声が出せなくなった。
起きている時間よりも、眠っている(昏睡している)時間の方が長くなりはじめた。
見舞いに訪れた人間の顔を見て、瞬時に誰なのか識別するのも難しくなりはじめたようだ。

少しずつ少しずつ、湖面が近づいていることは、否定できない。

先日、見舞いに行った時、母があるものを僕に見せてくれた。
それは母のメモ帳だった。
母は言葉を喋れなくなった祖母と筆談を試みたのだった。
帳面には、ミミズの這ったような記号にも絵にも見える、でも明らかに日本語らしい
祖母の“意思”が、数行にわたって祖母自身の手で書かれてあった。

“一度、一度は、もう一度、一度、一・・・(判読不能)”
“かえりた、かえ、かえ、か、かえ・・・(判読不能)”

「きっと、“一度、家に帰りたい”って思ってるんじゃろうね・・・」
母は手帳を僕に見せながら、くぐもった涙声でそう言った。
今、実家の祖母の部屋は、一年で最も過ごしやすい季節を迎えている。
庭に植えた樹齢約50年のキンモクセイの木がほどよい木陰を作り、窓を開ければ、
その木陰から心地よい風が部屋の中を通り抜ける。
「ええ季節になったもんじゃ、風が気持ちええ・・・」
昨年までの祖母なら、たおやかな微笑みを浮かべて、まるで独り言のように
おだやかな口調で僕らにそう語ったものだった。

祖母は先月の30日に89歳になった。
1年前の誕生日は、88歳、つまり、祖母は米寿だった。
両親はもちろん、孫の僕や弟夫婦、5人のひ孫に囲まれて、盛大にお祝いした。

それから1年後。
身体中に色んなコードやチューブをつながれて、おまけに人工呼吸器を喉に突っ込まれて、
89回目の誕生日をまさか病院で迎えるだなんて、誰も予想していなかった。
それを考えると、両親も僕も弟も妻たちも子どもたちも、みんな悔しく悲しかった。
でも、僕は知っている。
最も悔しく悲しく、そして虚しい思いで89回目の誕生日を迎えたのは、祖母自身なのだ。

もう一度。
もう一度、家に帰りたい。

本当に神様がいるのなら、その願いを叶えてあげたい。祖母が湖面に静かに着水する前に。
切に、そう願う。
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信教の自由。

2010-04-19 | Weblog
1.信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、
 国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
 (日本国憲法第20条)


驚いた。


場所は、うちのすぐ近所のアパート。
いつの間に・・・
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僕の暮らす島。

2010-04-18 | Weblog
YOU TUBEを見ていたら、こんな映像を見つけた。

僕が生まれ育ち、5年前か再び暮らしはじめた島の映像。
映像は、主に島の南部を撮影している。
だから残念ながら僕の家や家のある地区は映っていない。
僕の家のある地区は、島の北部で、信号や歩道橋もある“市街地”なんで(笑)

映像がスタートして1分25秒くらいに出てくる建物は、
僕が卒業した小学校。
その直後に文字テロップで紹介される「干汐(ひしお)海水浴場」は、
僕が初めて執筆した小説の舞台になった小さな海水浴場だ。


僕は、こんな島で、生きている。


向島の海岸線(尾道市)2倍速


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鯉のぼり。

2010-04-17 | Weblog
今年も鯉のぼりを立てました。

青空に泳ぐ三匹の鯉。
気持ちいいですね。

しかし、色あせが昨年よりも目立ち始めたような・・・(^_^;)

まぁ、仕方がないことだ。
この鯉のぼりも今年で7年目。
初節句にこの鯉のぼりを買ってもらった息子も、
今年小学生になった。
クラスの中でも、後ろから数えた方が早いくらい
背が高くなった。
それだけ時間が、過ぎたのだ。

そしてそれは、毎年、春の青空を泳ぐ鯉に向かって
“元気に育っておくれ”と祈っていた僕らの思いを、
この鯉のぼりは、きっと、ちゃんと、毎年聞きいれて
くれていた・・・ということなのだろう。

色あせても、しっぽがほつれても、
鯉のぼりは、今年も春の青空を泳いでいる。
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ヒーリング・プレイス。

2010-04-17 | Weblog
僕には、秘密の場所がある。

それはとある神社だ。
街から離れた、周囲に民家もない、山の奥に谷間の斜面に鎮座している、
無名の小さな神社。



この神社を知ったのは、もういつの頃か覚えていない。
たぶん、仕事でクルマを走らせている時、“たまにはいつもと違うルートを
走ってみるか”と思いついて通った道の途中で出逢ったのだと思う。

出逢った。

そう。
まさにそんな感じだった。
相手は生き物ではない。場所だ。
でも、その神社が視界に入った時、“出逢った”と感じた僕がいた。

鳥居をくぐると、長い石段の参道が続く。
一段一段、登ってゆく。
途中、深呼吸をする。
咽せるような緑の匂いが両胸いっぱいに満たされる。
また一段一段登りはじめると、カコーンと、高く軽い音が緑を引き裂くように響いた。
参道の右手に“ししおどし”があった。
しかし、そのししおどしを見て、僕はあっと小さな声を上げて息を飲んだ。



歴史が好きな方なら、写真を見れば一目瞭然かも知れない。
このししおどしの周囲を取り囲む積まれた石。
これは明らかに、横穴式石室の名残りだ。
つまり、ここに古墳があったのだ。
しかし、その墳丘は千数百年もの長い月日の間に崩れ去ってしまったのだろう。
石室の一部だけが取り残され、今ではそこを山の湧き水が静かに流れている。

その石室の名残りを見つけて、ふと思った。
そうか。ここは古墳が築造されるような場所なのだ。
ということは、太古の人々にとっても、特別な場所だったのだろう。
その記憶が受け継げられて、神社が建立され、今に至っている・・・。

それ以来、僕はたまにこの神社を訪れるようになった。
仕事で社外に出た途中。仕事の帰り。休みの日・・・。
“ちょっと休みたいな”
そういう時、気がつくと、僕はこの神社にたどり着き、
参道を登り、拝殿で拝み、そして帰りの参道の途中に腰掛け、
何をするでもなく、ただただ、ぼんやりとする。

癒されるのだ。

参道に座って、緑の中、風の音と湧き水の音を小鳥のさえずりを
耳にしていると、鋭角に尖っていた心が少しずつゆっくりと丸く鈍角に
なってゆく。
千数百年前、ここに古墳を築いた古墳の主の気持ちも分からなくもない。

昨日もそうだった。
僕は仕事でクルマを走らせていた。
ただ違っていたのは、昨日はすっかりその神社のことを忘れていた、ということだ。
忘れていたのに、偶然(本当にそうなのか分からないが)、その神社の前を通りかかった。
通りかかって、思い出した。
僕は鳥居の斜め前にクルマを停め、何の躊躇もなく鳥居をくぐり、参道を登った。

まるで、この神社に呼ばれたみたいだ。

参道を登りながらそう思った。
昔は古墳だった石室の前を通る。
取り残された古墳は、相変わらずししおどしとして、定期的にカコーンと、緑の山あいに
乾いた音を響かせていた。

拝殿に着いて、二礼二拍手一礼し、そして参道を降りた。
途中、いつものように参道に腰掛けて、少しだけぼんやりとしてみた。



疲れてたもんな。
色々とあったもんな。
今も、疲れてるもんな。
まだ、これからも色々とあるからな。
きっと、呼ばれたんだな・・・。

山奥の湧き水が流れる小さな神社。
秘密の場所。
僕のヒーリング・プレイス。
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裏ガチャピン。

2010-04-16 | Weblog
愛車・Twinのオイル交換に行った店で撮った写真。

お客が待つコーナーに幼児が遊ぶスペースがあるんだけど、
そこに置いてあったぬいぐるみ。

全身、真っ黒。
だけど、明らかにガチャピン。

バッタもんだろうか????
ラベルまで確かめなかったけど、もしかしたら“ガチャピン”ではなく、
“ガチョピン”とか書いてあったのだろうか?
それとも、ドラえもんに赤色や緑色のドラえもんがいたように、
仮面ライダーに悪役の偽仮面ライダーが出てきたように、
ガチャピンにも、そんな“裏ガチャピン”のようなキャラがいたのだろうか?

僕にも子どもがいるから、このテのキャラやぬいぐるみには
それなりに詳しいつもりだったが、このぬいぐるみは初めて見た。
ちなみに、相棒のムックは、黒色どころか、オリジナルの茶色のぬいぐるみも
ありませんでした。
やっぱり、いまひとつ人気ないのかな?(^_^;)
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バスロマン。

2010-04-15 | Weblog
それは、あまりにも突然だった。


「もう、一緒に入らないから」


僕が一緒に風呂に入ろうと娘を誘ったら、娘はそう答えた。
素っ気なく。壁にもたれて。少女漫画を読みながら。

たしかにこの半年ほどの間に、娘は一人で
風呂に入れるようになった。
しかし、僕が息子と一緒に「入るか?」と誘えば、何の躊躇も
なく一緒に入ることもまだ当たり前のようにあったし、時には、
自分から僕に向かって「一緒に入ろう♪」と誘ってくることも
つい最近まであったのだ。
それが突然・・・・。

10年もの間、目の前にいるこの娘の親をしてきたのだから、
僕には分かる。
娘は、本気だ。
何よりも、僕の顔を一切見ずに、漫画雑誌を眺めながら
僕の誘いを断ったことが、最も娘の気持ちを表している。
だって、漫画を読んでるはずなのに、まったくページを
めくる気配がない(笑)

「お前なぁ、人が話しかけてる時は、その人の顔を見なさい」
僕の少し強めの口調を耳にした娘は、少女漫画を置いて、
僕の顔を見た。
「一緒に入ろ
「イヤ」
「・・・・・

なんなんだ、この豹変ぶりは
まるで佐野元春のバラード「彼女」の歌詞のような変わりっぷりだ。

「あ、バスロマン、今日から変わったんだって(妻を見る)
・・・今日から“森林の香り”だって。だから・・・」
「いいよ、バスロマン入れといても。後で入るから」
「・・・・はい

しびれを切らしたのか、僕と娘の低レベルの会話を見ていた妻が
僕をキッチンの隅に呼んだ。そして、こっそり真相を教えてくれた。

どうも新学期がはじまったばかりの娘は、新しいクラスの友達と
何気ない会話をしている中で、自分だけがいまだに父親と風呂に
入っていることを知ってしまったそうなのだ。
他の仲のいい友達は、みんな一人で、もしくは親と入るにしても
母親とだけ風呂に入っているらしい。

娘は、どちらかといえば無口でおとなしい性格だ。
きっとその会話の最中、恥ずかしいのを堪えながら、黙ったまま
みんなの会話を聞く役に徹していたのだろう。

僕にも経験がある。
周りの友達と違っていたら、とたんに不安になったり
恥ずかしくなったりした覚えがある。
ちょうど娘くらいの年齢だった。


仕方ない・・・・か。


息子は風邪気味なので、今日の風呂は休み。
本当に一人で風呂に入った。

湯船の中でぼんやり考えた。

娘と風呂に入ることは、もう本当になさそうだ。
そう思うと、やけに風呂が広く感じる。
願わくば、もう少し先まで一緒に入りたかったなぁ。

予定としては、娘の体つきが丸くなりはじめたのに
気づいた僕が、一緒に入るのが恥ずかしくなって
僕の方から「もう一緒に入るのをやめよう」って
言うつもりだったのに・・・。

やっぱり、世の中、思い通りに行かないものだ。

バスロマンの「森林の香り」でグリーンになったお湯をすくう。
悪い香りじゃない。清々しい気分になる。
でも、僕は前の「ミルクの香り」の方が好きだ。
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River of Tears

2010-04-14 | Weblog
昨日からはじまった「アラフォー・ハマショー」←語呂がいいので勝手に命名(笑)

今日は「River of Tears」という歌です。
この歌は、昨日取り上げたアルバム「誰がために鐘は鳴る」の前作、
1988年に発表された「FATHER'S SON」の中に収録された曲。
アルバム「誰がため・・・」より前の作品ということは、
「誰がため・・・」は浜省が38歳の時の作品なので、必然的に、
この曲を発表した時、浜省はもっと若かったことになる。
たしか、35歳前後だったと思う。
だから、厳密にいうとアラフォーの頃の歌ではない(^_^;)

でも、響くんだよ。胸に。今ごろになって。

僕は思う。
20代や30代前半は、現実の自分に目を背けてひたすら理想を求める。
しかし30代も半ばを過ぎると、否応になく、現実の自分を受け入れる
ようになるのではないかと・・・。
いったん、現実の自分と自身を取り囲む現状を受け入れ、その上で、
あらためてそこから再び何かをはじめるのが、30代半ば以降の生き方
なのではないだろうか?
そして40歳前後、つまりアラフォーというのは、そのことを確信し、
そのスピードに拍車がかかる時期なのではないか・・・。
そんな風に、今の僕は思うのだ。

この曲も、初めて聴いた18歳の頃には歌詞の意味なんて、とんと
分からなかった。
何がいいたいのか、それはもう、まったく。
“ハマショー、キレちゃったのかな?”くらいにしか思わなかった(笑)

でも、今は、分かる。
40年生きてきて、傷がひとつもない人間なんて、いない。
誰だって、潰れかけたり、折れかけたり、傷をいくつも負って、
それでも歯を食いしばって、ギリギリのところで踏ん張って、
そして立ち上がり、歩き続けて来たのだ。
そして、これからもそうやって、生きていくのだ。

それをあらためて教えてくれた。
この歌は、ぼくにとって、そんな歌だ。

「River of Tears」浜田省吾


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