林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

愛と青春の旅立ち-2009年関西の旅 6

2009-09-03 | 鉄道・旅行
6.京阪電鉄の車両たちと雨の先斗町-グッドナイト

京阪電気鉄道は本線が淀屋橋から三条、鴨東線が三条から出町柳までだが、
実際には同一系統として運行されている。
新たに中之島線が誕生し、天満橋で本線に接続する。
そして淀屋橋、中之島、出町柳の折り返し駅が全て地下化されている。
逆にいうと車両取材のためには光量不足になってしまう。
そこで京阪での車両取材には枚方市を使う。
ここは地上駅であるとともにホーム全体に屋根があるものの、
自然光で十分に撮影が可能である。
しかも京阪本線系統の中心の場所であり、特急を含め全ての列車が停車する。
また10000系が使用される交野線も接続している。
車両取材には最適の駅である。
この駅に来るのは3度目だが、いつもは車両取材だけだった交野線に乗り、
終点の私市に行き、ここで駅取材して戻る。
戻ってから約1時間、ホームの端に陣取って車両取材する。
京阪は2010年の創業100周年に合わせて本線系統の車両の塗色変更を行っている最中である。
そこでこの時期ならば新旧の塗色を同時に取材できることになる。
10000系旧塗色、
8000系新塗色、
2200系旧塗色、
5000系新塗色、
新3000系新塗色・・・といっても新塗色しかないが、
9000系新塗色、
1000系旧塗色、
6000系旧塗色、
7000系旧塗色、
8000系旧塗色、
7000系7004編成旧塗色、
2400系旧塗色、
2600系0番台旧塗色などを取材する。
まだ旧塗色車両がかなり残っていたのは助かった。
新塗色は何時か取材できるが、旧塗色は塗り替えられたらもう終わりである。
7000系7004編成は旧6000系6014編成で、
インバータ制御を試験的に採用した車両である。
その後、7000系で正式にインバータ制御が採用されたため、7000系に編入された。
そのため7000系を名乗りながら、前面形状は6000系と同じである。
14:02の3000系快速急行で中書島に向かう。



因みに京阪では意外と地元の人でないと読めない難読駅名があり、
「枚方市」は「ひらかたし」、「交野線」は「かたのせん」、「私市」は「きさいち」と読む。
中書島から京阪宇治線に乗り換え、終点の宇治まで行く。
これで京阪本線系統の乗り潰しが完了したことになる。
すでに京津線と石山坂本線の軌道法適用区間である大津線系統は乗り潰しと全駅取材が完了しているため、
京阪電気鉄道に関しては、男山ケーブルを除く全期間の乗り潰しが完了したことになる。
宇治で昼食を喰おうと思ったが、駅前に甘味屋しかなく、
さすがに宇治金時は昼食にはならないと思い、駅のコンビニでおにぎり1個買い、車内で喰う。
予定ではこのまま中書島に戻って祇園四条まで行ってホテルにチェックインすることになっていたが、
予定より早い時間で推移していたため中書島までは戻らず、
六地蔵で下車してJR六地蔵まで歩く。
駅名は同じ六地蔵だが、山科川を挟んで分かれているため、徒歩10分くらいの距離がある。
両駅で駅取材をして京都市営地下鉄東西線で京津線の取材に向かう。
因みに京阪の六地蔵駅の所在地は京都市だが、JRと京都市営地下鉄は宇治市になってしまう。
京都市営ながら、唯一京都市ではない駅である。
京都市営地下鉄東西線は京阪京津線と接続しているが、御陵から太秦天神川方面に乗り入れるため、
御陵で乗り換えなければならない。
京都市営地下鉄の車両は御陵から六地蔵方面に行き、京阪京津線には乗り入れない。
京阪電鉄の片乗り入れである。
御陵から四宮に行き、ここで下車して車両取材する。
さらに終点の浜大津まで行き、ここで坂本石山線の600形、700形を含めて車両取材する。
石山坂本線は浜大津-三井寺間が、京津線は浜大津-上栄町間が併用区間である。
特に京津線800系は16m級車両ながら、4両編成であり、
普通鉄道車両の様相を呈しているため、併用区間を走る姿は雄大である。
その姿をぜひ取材したいと隣の上栄町まで行き、徒歩で取材ポイントを探して写真を撮る。



陽は傾きかけていたが、それでも自然光で何とか写真が撮れた。
上栄町から御陵まで行き、ここで駅取材する。
御陵は京都市営地下鉄の駅だが、ここから京津線が分岐するためこの駅も取材する。
「御陵」は「みささぎ」と読み、天智天皇の山科御陵があることから名付けられた。
また2番地上口には琵琶湖疏水煉瓦工場跡石碑がある。
そこには以下のように書かれている。
 
  鏡山・天智天皇陵を背景に、疏水建設に必要な
 煉瓦製造工場が御陵原西町一帯に設けられた。
  当時わが国には、この大工事を賄う煉瓦製造能力がなく、
 京都府は自給の方針を立て、
 原料の採取と製品の運搬に適したこの地を選定、
 若き技師菊田宗太郎を起用し、
 明治19年7月操業開始、
 明治22年10月に閉鎖されるまで、1370万個を製造した。
  京都再生への命運をかけた琵琶湖疏水建設が、
 日本の近代土木・工業技術等の発展の魁となった足跡を語る遺跡である。

 煉瓦工場概要
  敷地13.471坪 工場10棟・窯場3棟
            窯12ヶ所・煙突8基

御陵から京阪三条まで行き、ここで京阪の三条まで地下道を歩いて祇園四条まで行く。
分かりにくいが、京都市営地下鉄は京阪との乗り換えを分かりやすくするため、
「京阪三条」という駅名を採用しているが、
京阪電鉄は単に「三条」という駅名にしているのだ。
祇園四条から予約していたスーパーホテル京都・四条河原町に行き、チェックインする。
部屋で荷物を置いたあと、カメラだけ持って再び出掛ける。
ホテルに入る時は雨は降っていなかったのだが、再びホテルを出るとポツポツと雨が降り始めた。
それでも傘を差すほどではないのでそのまま歩き出す。
陽はもう傾きかけていて、鴨川では夕涼みをしながら食事をする人たちの姿が見られた。
京都では有名な先斗町を歩いてみる。



「先斗町」は「ぽんとちょう」と読み、京都では古くからある花街である。
歩いている途中で雨が強くなり、木屋町に出て雨宿りする。
かなり激しく降ってきた。
どうもこの夏の「青春18きっぷ」の旅は雨に祟られているな・・・。
結局雨は止みそうになく、雨宿りの代わりに近くにあった「餃子の王将三条店」に入り、
三条セット700円喰う。
これは餃子1人前にかに玉、それに唐揚げが2個つく。
本当はもう少し京都らしい食事の出来るところを探したかったが、
雨が強くてそれどころではなかった。
食事を終えると少し雨が弱くなっていて、錦天満宮や南座などを見て回り、ホテルに戻る。
このホテルは天然温泉設備があるが、浴場がひとつしかなく、時間帯で分けられている。
男性は3:00p.m.から6:50p.m.までと、10:00p.m.から翌日6:50a.m.までで、
その時間まで待っていられず、ビールを飲んでしまった。
結局10:00p.m.過ぎに寝てしまう。

 ※この文章はgooブログ「林檎乃『とほほ・・・。』ブログ」と
  ぷらぷらレール「れいの日記」、同時公開です。
  ご了承下さい。
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