ピカピカ光るカエル 6/5/2013
ブルーベリーの葉とおんなじだよ 6/5/2013
掛け値なしに初夏の陽気。
今年の立夏は昨日の5日だった。
このあたりの田植えは5月の連休中が恒例、今日のこの日差しを浴びて稲の苗が風になびき、日本の夏が始まる。
この強い太陽の光を浴びて、ブルーベリーの葉の上で日光浴するのは我が家の一員のようなアマガエル。
えさが豊富なのだろうか、パンパンに太って体が光っているではないか。
鉢植えの下のあたりにうろちょろしているのは、これまた栄養過多のトカゲたち。
ねこに尻尾をちぎられたらしいトカゲは、私の歩く先々で慌てまくって逃げ隠れ。
トカゲにもおっちょこちょいなタイプがあるとすれば、まさしくこの尾のないトカゲがあてはまる。
ねこは、風通しのよい日陰を見つけてそこでお昼ね。
小さい人がめぼしをつけて探し出したから、発見できたというもの。
保護色で普通に見ていたら到底見つけられない隠れ蓑術を使う忍猫だ。
身近な生き物たちに癒されて、すっかり浮世離れの仙人モード。
人間は、ちょっとばかり道具を作って自分たちが安全快適に生きる術を持っているに過ぎないのに、最近は自分たちが生物ということを忘れた輩が多いように思える。
生物には、山形の曲線を持つ生命活動の盛衰がある。
そのピークを思うように変えられるなんて、思い上がりもいいものだ。
薬や遺伝子操作で、どうとでもなると考えているのだろうか。
自分が生んだものは、独立した人格と人生を持った人ではなくて、自分の胸先三寸で扱えるペットのようなものと勘違いしている節がある。
ペットを人間と同等の価値を持つとする風潮があるくらいだから、奇妙でもないのか。
確かに、命の貴賎、価値の違いはないかもしれない。
勝手に差別しているのは、人なのだから。
なればこそ、生み出す子供のリスク軽減を図るのが、親といわれるものたちの使命だろう。
それを忘れてしまい、自分が神になったかのような思い上がりをしているようでは、人は滅びるころあいに来ているとしか思えない。
ツツジの天蓋の中に 6/5/2013
どこにいるかわかる? 6/5/2013