中くらいの人が学校で驚いたことがあると話す。
「これからの教室移動、億劫だ」とクラスメートに言うと、皆怪訝な顔をして言葉の意味がわからない様子だというのだ。
「マジ、だりぃ」「めんどくせー」といえば素直に通じるけれど、それ以外の言い回しはほぼ使われないのだそうだ。
つまりそれは家庭でも使われていないことを示唆し、もしかすると”古語”になっているのではと疑いたくなる。
言葉の伝播にちなむと、地方の方言の中に古い時代に伝わった言葉が残り使われていることがあげられる。
そして、この”億劫”、関東のガラパゴス的この地域の高齢者が話すと「おっこう」となる。
単に訛りなのかと思っていたけれど、辞書で調べるに由来は仏教語からで「おくこう」と発音され、それが促音化して「おっこう」になり「おっくう」なった。
意味は、非常に長い時間を表す。
「劫」は、サンスクリット語で古代インドの一番長い時間の単位。
「一劫」は、100年に一度天女が岩山に舞い降りてきて羽衣で天頂を撫で、その摩擦で岩山が消滅するまでに時間、限りなく無限に近い時間を意味する。
この一劫が億劫になるのだから、考えられないほど長い時間となり、時間が長くかかりやりきれないとか、計り知れない時間のかかることは容易ではなく面倒に感じることから、「面倒くさい」の意で使われるようになった。
言葉の伝播の最終形態、いまや”億劫”は消滅しつつある。
国語教育の転換で、漢検的に難しい漢字を意味も解らず、ましてや使うこともない漢字や言葉を学習する子供たち。
言葉は生き物、流動的なものだけれど、ますます現実と乖離した国語となってきた。
それとも、知的レベルの二極化が進んでいるだけなのだろうか。
地方のしかも田舎のとりあえず公立の進学校だけれど、生徒の家庭は教師・公務員・自営業とそこそこ教育に力を入れている子息令嬢たちの集まるところにおいて、”億劫”が虚空を漂うことに不安を抱く出来事だった。
「これからの教室移動、億劫だ」とクラスメートに言うと、皆怪訝な顔をして言葉の意味がわからない様子だというのだ。
「マジ、だりぃ」「めんどくせー」といえば素直に通じるけれど、それ以外の言い回しはほぼ使われないのだそうだ。
つまりそれは家庭でも使われていないことを示唆し、もしかすると”古語”になっているのではと疑いたくなる。
言葉の伝播にちなむと、地方の方言の中に古い時代に伝わった言葉が残り使われていることがあげられる。
そして、この”億劫”、関東のガラパゴス的この地域の高齢者が話すと「おっこう」となる。
単に訛りなのかと思っていたけれど、辞書で調べるに由来は仏教語からで「おくこう」と発音され、それが促音化して「おっこう」になり「おっくう」なった。
意味は、非常に長い時間を表す。
「劫」は、サンスクリット語で古代インドの一番長い時間の単位。
「一劫」は、100年に一度天女が岩山に舞い降りてきて羽衣で天頂を撫で、その摩擦で岩山が消滅するまでに時間、限りなく無限に近い時間を意味する。
この一劫が億劫になるのだから、考えられないほど長い時間となり、時間が長くかかりやりきれないとか、計り知れない時間のかかることは容易ではなく面倒に感じることから、「面倒くさい」の意で使われるようになった。
言葉の伝播の最終形態、いまや”億劫”は消滅しつつある。
国語教育の転換で、漢検的に難しい漢字を意味も解らず、ましてや使うこともない漢字や言葉を学習する子供たち。
言葉は生き物、流動的なものだけれど、ますます現実と乖離した国語となってきた。
それとも、知的レベルの二極化が進んでいるだけなのだろうか。
地方のしかも田舎のとりあえず公立の進学校だけれど、生徒の家庭は教師・公務員・自営業とそこそこ教育に力を入れている子息令嬢たちの集まるところにおいて、”億劫”が虚空を漂うことに不安を抱く出来事だった。