rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

ばら撒かれる悪意に対抗するには

2012-09-14 11:38:18 | 随想たち
世界には、故意に争いを作り出そうとして、悪意の種がばら撒かれている。
ニュースで世の中を眺めていると、合点のいかない違和感を感じることがしばしばある。
もっとも、流されるニュースは偏りがあり、その報道する立ち居地も公平中立という保証はない。

一昨日からか、ある映画、映画というにはお粗末なできだが、それがもとで、イスラム圏で反米デモがあちこちで起こり、死者も出ている。
その映画、動画配信サイトで10分ばかりの予告編みたいなものが流され、それがイスラムの預言者を冒涜する内容だとかで問題になったのだ。
映画に携わったスタッフ俳優陣は、そのような内容で映画を作った覚えはなく、せりふなどが差し替えられたなどの証言が飛び出している。
何か悪意を持ったものが意図的に映画を作り、しかもネットにわざわざ流し、騒動を引き起こそうと、きな臭い匂いがぷんぷん漂ってくる。

領土問題にしても、国によって反応は様々。
ヒステリックにこぶしを振り上げるものもあれば、妙に整然と組織的に抗議活動を行うものもある。
どこまでが自然発生なのか、どれが仕込みなのか、その真相はわからない。

今の政権がよいとはいえないが、打倒現政権の輩にしても、胡散臭くて仕方がない。
エネルギー問題も、何がどうなっているのか、時を経ないと見えてこないこともあろう。
あれやこれや、まやかしの世界。

いえることは、自分の頭でよく考え、自分で選び取ることだ。
できる限り理性的に、欲得を省いた先を見据えた目で、しっかり考えることだ。
本来教育とは、思考能力を養い、理性に叶った正しい判断をできる人間育成にあるはず。
しかし、どうやらどこを見ても、教育の姿を借りて思考停止人間を量産しているとしか思えない様子。
それに加えて、自分の頭で考える時間を与えないように、世の中は突き進んでいる。

ニュースを見て、すぐさま信じないほうがいい。
一呼吸をおくように、判断を下す前によく考えるのだ。
何が大事で、何に対して怒ればいいのかを。
新たなニュースの影で、何がこそっと進んでいるのかを。


ねこの挨拶、そして甘える呼びかけ

2012-09-13 11:01:36 | ねこ
今朝、5時45分、中くらいの人の洗濯しておいた服を取り込みに外へ出た。
玄関から出て、コンクリートのたたきの上を歩いていると、古い母屋の前を歩いてねこがやってきた。
「ごあん」
「はいはい、ゴハンね」
いつもの茶碗にカリカリのエサを入れる。
ねこは茶碗に顔を突っ込んで、無心にエサを食べだした。

それから程なくして、中くらいの人が6時5分に出かけていくのを義母と見送った。
義母とそのまま立ち話をしていると、そこへねこがやってきて、「ニャオ、ニャオン。」と義母のほうを見ながら話しかける。
「ごあん」
どうやら、義母からもえさをもらいたいらしい。
まだ茶碗には、先ほどのエサが少し残っている。
義母は、「まだ残っているでしょう。でも、少しだけあげるからね。」といいながら、パラパラとエサを追加した。
ねこは、我が意を得たりと満足気に茶碗に顔を突っ込んだ。

今度は、8時50分、洗濯物を干しに外へ出た。
玄関先のコンクリートのたたきに、ねこがいる。
「ニャア、ニャア、ニャーン」
何か呼んでいる。
近づいて、ねこの頭をちょいちょいと撫でる。
ねこは、気持ち良さ気な顔をして、足に擦り寄る。
どうやら甘えたいらしい。
10分ほど、体全体をマッサージしながら、ねこの顔や毛並みの健康チェック。
そして5分、耳の後ろをカリカリ撫でながら話しかける。
最後に体をぽんぽんとたたき、終わりの合図。

ねこは、いつもの場所に陣取って、毛づくろいに夢中になった。
十分おなかも満たしたし、愛情メーターもフルになったのだな。
生き物には、食べ物だけでは不十分と思い知る。
体のふれあいと語りかけ、密な心のやり取りが、愛情が、命の糧となるのだろう。

ロールシャッハな夕暮れの雲

2012-09-12 21:58:44 | 空・雲・星・太陽たち

ロールシャッハな雲 12/9/2012


ピンクストライプの雲 12/9/2012

今日一日、飽きない空の雲だった。
夕暮れ間近の南の空、迫り来る扇形の雲。
オレンジからピンクにかけて染まる雲は、まだ水色の空に映えていた。
東を見ると、ピンクのストライプの雲がかかっている。
夕食の支度を放り投げて、空に釘付け。
柔らかく優しい色の空を見ていると、宙を軽やかに舞う天使になりたくなる。
同じ空には二度と出会えない、この美しい空を見られた幸せで、とてもいい気分になれた、そのおすそ分け。

早朝の虹

2012-09-12 11:31:40 | 空・雲・星・太陽たち

2012年9月12日午前5時50分の虹、西の空に







昨夜、日を跨ぐ頃から、激しい雷雨になった。
時折、閃光とともに耳を劈くような音と衝撃波が、地面を家を震わせる。
雷は、3時間以上も続いただろうか、すっかり寝入ってしまい、5時15分に起きる頃には、雨だけになっていた。
空を見ると、北と南は、雲がすっぱりと切れて青空がのぞいている。
東を見ると、雲の切れ間から朝日がときどき差している。
もしかすると、虹がかかるかもしれない。
台所の北側の窓から、朝日が強く差すのを待ちながら、空を注意して見る。
はあっと明るく日が差し、西の空には薄いけれども七色の虹がかかっている。
カメラを構えて、窓から写す。
それでも満足できないから、まだ雨のぱらつく外へ飛び出していって、シャッターを切る。
きれいなアーチを描いてかかる虹。
朝のすがすがしい空気を胸いっぱいに吸いながら、虹を眺める。
虹は、いつ見ても美しい。
天が与えてくれた、心の清涼剤のようだ。

病院

2012-09-11 10:59:27 | つぶやき&ぼやき
昨日、小さい人がおたふく風邪になったので、近くの地域総合病院で診察してきた。
ここは、田舎。
我が家から一番近い病院が、その総合病院。
小児科のある病院は、そこ以外、さらに車で10分以上走らなければない。
高熱を出して弱っているものにとって、高だか10分も辛いものだ。
それで、混んでいることを考えて、先に受付をし、指定感染症に罹患している旨を継げ、どのくらいの時間に来ればよいのかをたずねる。
目安とされた時間に、小さい人と来院。
隔離待合所で診察順番を待つ。
この隔離待合所、特別に用意された部屋ではなく、避難通路にパテーションで仕切りをし、丸型の簡易スツールを数脚置いたのみ。
他の患者に伝染するのを幾分避けるためには必要な処置にしても、哀しいほどにお粗末。
高熱で疲弊している体には、座りようのない形の椅子。
そう、それは、ラーメン屋などにある形の椅子だ。
次に、いくら順番といえども、そのような状態で30分以上も待たなくてはならないこと。
やっと診察にこぎつけ、階段を下りて検査室に向かい検査をし、検査結果と処置が終わるまでに1時間10分。
そして、会計と調剤30分。
小さい人は、疲労困憊。
しかし、これでも、まだ早く済んだほうなのだが、病気を患っている人にとっては、長い時間だ。

伝染性の感染症を患っているとき、良く思うのだが、他の患者の人と同じ待合室、検査室、会計調剤の場にいていいものだろうかと。
人件費、設備、空間的余裕がないからできないのは重々承知。
でも、医療としての根本的目的と理想を考えれば、分離が望ましい。

これ以外でも、診察システムにおいて、さらに分業制をとって欲しいと、家人と話していた。
初見を十分すぎるほど経験を積まれた医者がして、軽度・重度など2つ以上に振り分け、それぞれの場合別で診察するということ。
既に、その方式を取り入れた病院もあるが、せめて総合病院と名が付くところには浸透させて欲しい。

医療は、効率とは程遠いところにあるのではないか。
医療行為にあたるのも人、されるのも人、心にゆとりのある状態で、各々のなすべきことをしたいものだ。