高校演劇事始め『また逢う日まで・2』
それから五年の歳月が流れ、勇夫たちは新制高校の三年生になっていた。
「校長先生、大変です!」
新制高校の教頭になった長田先生が校長室に飛び込んできた。
校長先生はびっくりして飲みかけのお茶にむせかえった。
「ゲホ、ゲホ……なんだんねん教頭はん!?」
「なんだんねんも、寒暖計もおまへんねん」
長田先生のダジャレは、終戦後いっそうの磨きがかかった。
「実は、校長先生……」
耳打ちされた校長先生は明くる年に施行されるメートル法の表記で三十センチは飛び上がった。
「『また逢う日まで』をやるんでっか!?」
元海軍軍人であった校長先生の声は、ひときわ大きく、安普請の校長室の壁をやすやすと突き抜け、両隣の職員室と事務室にまで響き渡った。
あっと言う間に、職員室や事務室から人が集まった。
玉音放送の時とはちがって、動物園の猿山のように騒がしい。
「お静かに!」
海軍で鍛えた声は、一同を静めるのには十分であったが、みなの注目が集まり、臨時の職員会議のようになってしまった。
「……と、いう次第であります」
戦闘詳報のように簡潔な校長先生の説明のあと、雨後の竹の子ように手が上がった。
「『また逢う日まで』っちゅうと、あのガラス越しの接吻シーンのあるアレでありますか?」
「いかにも」
「それは、いかがなもんでっしゃろなあ。いくら民主教育の新制高校としましても」
生活指導の轟先生がまゆをひそめた。
「そうや、接吻はいかん、接吻は!」
「モラールっちゅうもんを超えております。あれは」
「文化祭とは言え、教育の一つであります。節度というものがないとあきません」
「せめて『青い山脈』ぐらいにしてくれたらなあ。あれには接吻は出てきまへん」
旧制中学から横滑りしてきたオッサン教師たちは、いっせいに反対にまわった。
「いいじゃございませんの!」
東京帰りの音楽の百合子先生がメゾソプラノで賛意を表した。
「抑圧された戦時下に美しく咲き、散らされた青春の花。軍国主義に対するアンチテーゼとしても、前向きな青春の肯定という点でも、新制第一期生の文化祭にふさわしいじゃありませんか!」
「しかし、接吻ですぞ、接吻!」
「そう、なんというウラヤマ……もとい、イヤラシイ」
「わたしなんぞ、思わず目を背けてしまいました。アップにするなんぞとんでもなかった!」
「轟先生、観にいきはったんでっか!?」
「あ、あくまで指導の参考であります、指導の!」
「じゃあ、お解りにになったでしょ。あの映画は接吻はガラス越し、ガラス越しであればこそ、二人を隔てた時代の壁が分かるんです。また、二人の愛の前にはその時代の壁も透明なガラスのようにしてしまう力があるんです。この芸術的なアンビバレンツをご理解いただけませんの!?」
百合子先生の声はソプラノになった。
「ア、アンビ……?」
「二律背反という意味です。生徒達は、それを理屈ではなく、感性でうけとめたんですわ。素晴らしいことじゃございませんか!」
「しかしねえ……」
「どうします、校長先生……」
長田先生は、頭を抱えた。
と、そこにチラシの山を抱えた勇夫たち演劇同志会(まだ演劇部という呼称がなかった)の面々が五六十人の生徒たちとともになだれこんできた。『また逢う日まで』は、終戦後彼ら彼女らの「ポッカリ」を埋めてくれたのである。
勇夫の演説が功を奏し……もしたが、決め手はその時にかかってきた、PTA会長で、その町で最大の企業の社長である福井の電話であった。
実は、娘の麻里子が「主役の蛍子をやりたい!」と言ったことが事の始まりであった。
やる! と決まったら話しは早かった。
校長先生は、事務長といっしょに生徒の個人票をめくり父兄(保護者のこと)の職業を調べ、大工の父兄に大道具を、電気屋の父兄には照明器具を依頼。個人情報もヘッタクレも無い時代であった。
そして、視聴覚費と、それで足りない分は、麻里子の父の寄付をつのり、音響効果用に、町の警察でさえ持っていなかったテープレコーダーまで買った。
演出は、東京から疎開したまま町に住み着いた新劇の俳優に頼んだ。
町の商業振興会も全面協力。加盟各店にポスターを貼り、ビラを置き、入場整理券まで配ってもらった。
さて、いよいよ本番。
本当のところ勇夫は、蛍子と並ぶ主役の恋人田島三郎をやりたかったのだが、
「わたしの趣味にあわない!」
上から麻里子の一声で、その他大勢の一人にされた。
田島三郎役は体操部の島田が指名された。ちょうど鉄棒でデングリガエシをやって逆さまになっているところがイカシテいたので抜擢された。けして田島のデングリガエシの島田だからではない。
旧制中学から引き継いだ講堂は、目一杯詰め込めば千人は入ったが、三日前の事前調査(麻里子の父は仕事柄、そのへんは手堅かった)で、三千人前後の入場者が見込まれることが分かったので、きゅうきょ午前一回、午後二回の公演となった。
観客の誘導には、麻里子の父の会社の社員が動員された。
本番三十分前、お祝いの花火こそ上がらなかったが、役者はあがりまくった。
大きな顔をしていた麻里子でさえ、ゲネプロでは声が裏返り、勇夫は手と足が同時に出てしまった。
田島三郎役の島田は落ち着いていた。体操部で人前で演ずることに慣れていたのかもしれない。
さて、問題のガラス越しの接吻シーンである。
最初は、実物通りガラスが入っていたのだが、スポットライトがハレーションをおこすので、窓枠だけの素通しになってしまった。
「しまった!」
と、麻里子は思った。ガラス越しであるからこそ、十代の少女の好奇心でやれたのである。それが、マトモにキスシーン……。
結局、演出処理で顔と顔を二十センチまで近づけることで手を打った。
観客席から見ると、前後に被った演技なのでほんとうにセップンしているように見える。
二十センチの距離でも麻里子はカチカチになり、勇夫は嫉妬に身もだえした。
さてさて、問題のキスシーン。観客の大半も、その年の三月に公開されたホンモノを見ているので「いよいよ……」と固唾を呑む。
……その瞬間、どよめきがおこった。
「オオー!」
麻里子は気絶しそうであった。キスシーンに台詞が無かったのが幸いだった。過呼吸でとても台詞どころではない。
芝居は成功裏に終わった。あまりの人気で、文化祭とは別にもう二回公演がもたれ、延べ観客動員数はリピーターも含めて五千人を超えた。
実に、町の人口の半分に近い。
近いと言えば、二十センチのちかくまで近づいた麻里子は本当に島田を好きになってしまった。
はるか後年、婿養子にした島田との間に生まれた娘が年頃になったころ、娘にこう言った。
「ええか、男の子とハラハラドキドキするようなとこで、好きやなんて思たらあけへんで」
同じ頃、会長に頭の上がらない社長になった、島田(元島田というべきか)は新入のイケメン秘書に、車の中で、こう諭した。
「いいかい君、ハラハラドキドキするようなとこで女の子を口説いたりしちゃいけないよ」
「どうしてですか、恋愛って、そういうハラハラドキドキするようなものじゃないんですか」
「ま、君も……ま、いいや、次のスケジュールは?」
「はい、高校演劇連盟本選開会式のご挨拶をしていただきます」
会長とカミサンに頭の上がらない社長は、ハラハラドキドキの話しをしようかどうか、会場につくまで悩んしまった……。
ちなみに全国高等学校演劇大会の第一回は、麻里子たちの『また逢う日まで』の五年後、東京の一橋講堂で第一回が開かれた。
そこに、麻里子たちの後輩がでていたかどうかは定かではない。
【作者より】
この話は、わたしの叔父の実体験を元に書いたものであります。お話としてのデフォルメやフィクションはありますが、黎明期の高校演劇というのは、このような熱気と広がりを持ったものであったようです。