栞のセンチメートルジャーニー・5
『山高の裏側を周る』
八尾市の東を南北に流れる玉櫛川
川と言うよりは疎水で、川に並行した東側に二車線のアスファルト道が走っているところなど、京都の高瀬川に似ている。
高瀬川の西は祇園のお茶屋さん街の裏手になって通行はかなわないが、玉櫛川はよく整備された遊歩道が寄り添っている。
高安の住人であるわたしは、ぼんやり散歩していると、たいてい玉櫛川の遊歩道をウカウカと歩いている。
あ、行き過ぎた。
そう思ったのは、足もとのレンガ舗装がむき出しの土道になっていたからだ。
玉櫛川遊歩道の整備は近鉄山本を中心に南北二キロずつほどであり、行き過ぎると暗渠や土道になっている。
兄ちゃんの目は節穴だなあ。
桜の落ち葉をクルクルもてあそんでいた栞がジト目で言う。
「あ……リープしてしもた?」
「どうやら、昭和四十六年ごろ……もうちょっと行くと山本高校があるはず」
言われて首を巡らすと、某政党の事務所になりながらも原形をよく保っている風呂屋が現役に戻っていて、煙突からはモクモクと煙を吐いている。
遊歩道沿いの民家は、戦前からのお屋敷街で、今の時代とほとんど変わっていない。
キ~ンコ~ンカ~コ~ン キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン
山本高校か隣接する山本小学校のか分からないチャイムが聞こえてきた。
「小学校だね、まだ三時まわったとこだし」
栞が判断すると、それが合図だったみたいに小学生たちがゾロゾロ向かってくる。
百メートル歩で手前の俺たちのところまで、そのさんざめきが聞こえてくる。
道幅二メートルほどの遊歩道で小学生の集団と行き違うのは後免こうむりたい。
「脇の道いくぞ」
「栞はこっちがいい」
向かってくる小学生と同じ無邪気な笑みを浮かべてスタスタ向かって行く。
「ほんなら、グルッと回って、山高前で落ち合うぞ!」
分かった!
後姿で手だけで返事すると玉櫛川を遡行する鯉のように行ってしまった。
一本だけ道を逸れて北上する。
平成三十年の今日では、あちこち今風に建て替わっているが、昭和46年では少年探偵団か月光仮面の舞台になりそうなお屋敷と、意外に田畑が見え隠れする。
すぐに山高裏のブロック塀。
右手に今と変わらぬ体育館から、バレーボールをやっているんだろう、体育館シューズのキュッキュと擦れる音や生徒たちの声がこぼれてくる。
ブロック塀を左に目を向けると、今まさに乗り越えて脱走を図る学生服が見える。
三人目の学生服にビックリした。
あれはTだ!
先年、還暦を過ぎて二年ほどで逝ってしまった親友だ。
ロバート・ミッチャムに似た一癖有り気なTは身軽にペッタンコ鞄を受け取ると、お仲間とも手下ともつかぬ二人を引き連れて、こちらに向かってきた。
大脱走ならバイクに乗ったスティーブ・マックィーンだが、手下を連れたロバート・ミッチャムでもサマになる。
三十年務めた教師の目で見てしまう。
たばこ喫われたらかなんなあ……反射的に思ってしまう。
いやいや、こいつらは喫わへん。
Tは中坊のころからタバコを嗜んでいたが、学ランを着ている間は学校近辺では喫わない仁義を心得ていたはずだ。
六時間目ブッチしてどこ行きよるんや……?
電柱一本分まで来たところで、小柄なやつがポケットからチラシを出して、眼鏡の奴とニヤニヤ。
すると、Tが二人の頭を叩いた。
チラリ見えたチラシと三人の様子でピンときた。
こいつら、天満か西九条あたりまで足伸ばしてストリップ観に行くんやなあ。
生前のTからエピソードが蘇る。
あと五メートルほどですれ違うところで三人がわたしに気づいた。
小柄は怯えたような表情に、ノッポはソッポを向き、Tは目を細めて睨んできた。
これは意外なところで先敵に出くわした時の反応だ。
辞めて十年になるが、身に付いたオーラがあるんだろう。こっちも気まずい。
すれ違う瞬間に互いに目線を避けて事なきを……数秒して振り返ると、Tも一瞬振り返った。
山高をぐるりと回って栞と落ち合う。すでに山高のチャイムも鳴って、下校時間の真っ最中だ。
「あーおもしろかった!」
小学生の群れを遡行した栞は、いつになく生き生きしている。
そうか、こいつは十七歳のなりはしているが三か月で堕ろされた水子だ。
きっとランドセル背負って学校にも通ってみたかっただろう。
「あ、おねえさんに出会ったよ」
「おねえさん?」
栞にとっての姉はわたしにとっても姉で、この秋で六十八の婆さんだ。
「違うわよ、お義姉さん! ほら、あそこ」
栞が指差した先には二人の友だちと笑いながら駅に向かうセーラー服の後姿があった。
思い出した。カミさんも山高の卒業生で、昭和四十六年といえば一年生だ。
「まだ間に合うよ、追いかけようか!」
「そ、それだけはやめてくれ!」
山高の裏側を周ってきて正解だった……。