懐かしの『手のひらの雪ひとつぶの溶けるまで』
初出:2011-08-10 21:03:11
あれは……1971年の浦和大会か、1972年の東京大会のいずれかでしたが、最優秀賞に、八戸北高校の『手のひらの雪ひとつぶの溶けるまで』が選ばれました。
今日、全国大会の終了に気づき、ふと40年前のこの作品が思い出されました。全国大会には、つごう10回ほど行ったのですが、記憶力の悪いわたしは、最優秀受賞校というのは、この学校の、この作品しか思い出せません。
春おそい東北の町に、一組の男女の高校生がいました。
たしか女の子が、町の外……たぶん県外……東京だったような気がします。そこに女の子は越していくことになり、男の子は、さりげなく(今の言葉では「さりげに」と誤用します)お別れを告げにきます。「好きなんだ」などという直裁な言葉はありません。互いの身の回りの、さりげない話題に終始します。今の感覚では「もどかしく」感じると思います。そして、もどかしい話の中に二人を取り巻く環境や問題、そして、想いが伝わります。二人の間にも、観客にも……そして、手のひらの雪ひとつぶの溶けるまでの僅かな時間に、互いの想いが結晶します。溶ける間に結晶するというとても叙情的な劇でした……
出会いがあり、たどたどしい、もどかしい、粉雪がふわふわと降るように展開していく物語。「別れ」という結末は、最初から予感されました。しかし、そこにいたる物語の中は、言葉にはならない優しい想いと思いやりに満ちていました。
信じがたいことですが、純粋な東北弁で全編が語られます。河内(大阪のど真ん中)原人のわたしには半分も意味がわかりません。会場にいた東北の観客の人以外は皆同じだったと思います。でも、ホワホワと想いは伝わってきました。
クスっとした笑い。ゆったりとした展開。ギャグも、奇抜な展開も、アクロバットのような身体表現もありません。しかし、起承転結の、芝居のチョウツガイになる部分は、言葉が分からなくてもしっかりわかりました。ラストは、ちょっぴり涙と、割れんばかりの拍手の中に幕が降りてきました。
書いているうちに、「天皇はんのみかん」や「紙一枚」 そして、わが大阪の日比野諦観先生がお書きになった「海の見える離れ」 都島工業高校の「天国どろぼう」などの作品が思い出されてきました。そうそう、町井陽子先生の「山の動く日」……榊原先生の「外向168」なんかも思い出されてきました。いずれもドラマの構造が確かで、登場人物の彫りが深かったですね。
ロートルのわたしは、昔の作品群が懐かしく思い出されます。
大橋 むつお