🍑・MOMOTO・🍑デブだって彼女が欲しい!・
12『メゾンくにとみ』
家を出て角を三つ曲がると、それがある。
一見どこにでもある中級のマンションに見える。
――メゾンくにとみ――と看板にあって、看板の下に小さく「特別養護老人ホーム」とある。
持参したスリッパに履き替え、靴をビニール袋に入れてエレべ-ターのボタンを押す。
ズィーンと音がして、エレベーターのドアが開く。
「お、久しぶり百戸君」
エレベーターには所長の野中さんが乗っていて、至近距離の挨拶になった。
「お早うございます」
悪気はないのだろうけど、所長は苦手だ。歩いて三分の近さなのに、メゾンくにとみに来るのは間遠になりつつある。久しぶりと言われると、なんだか咎められているような気になる。
「これくらいで、ちょうどいいのよ」
ゆっくりとベッドに腰かけて婆ちゃんが微笑みかける。
婆ちゃん、百戸信子は親父のお母さん。親は再婚同士だから信子婆ちゃんとオレは血の繋がりは無い。
そのせいか、婆ちゃんは、桃が亡くなった年に、このメゾンくにとみに引っ越した。洗濯ものや身の回りのものの補充などで、主にオレと母さんが足を運ぶ。オレは年末に来て以来だ。いろいろ言い訳を考えていたけど、婆ちゃんの一言が、その必要をなくした。婆ちゃんの声には、表現のしようのない温もりがあって、時に一言で和ませてくれる。オフクロが親父との再婚を決めたのも、この婆ちゃんの存在が大きいらしい。
「フフフ、ちょっと太ったわね」
オレの部屋でエロ本を見つけた時と同じ調子で言われた。
「110キロで停まってるよ」
「ホホ、4キロ増えたんだ」
そう言うと、婆ちゃんは、メモ帳を出して、なにやら書きつけた。
「なに書いてんの?」
「え……ああ、あたしったら!」
めずらしく、婆ちゃんがうろたえて両手をわたわたさせる。こういう時の婆ちゃんは少女のように可愛くなる。
「だめねえ、桃君には秘密にしてたんだけど、ボケちゃったのかしら、本人の目の前で出すなんて」
婆ちゃんは、オレの事を「桃君」 妹を「桃ちゃん」と呼ぶ。
婆ちゃんは、あっさりと手帳を見せてくれた。
「この数字は……オレの体重?」
「そうよ、体重の変化の裏にはドラマがあるわ。それを想像するのは楽しいのよ」
こういうことを言っても、婆ちゃんは嫌味にならない。現役の国語教師であったときも、きっといい先生だったんだろう。
「えーと、110-61は……ダメねえ、こんな暗算もできない」
婆ちゃんは、手帳の隅で筆算を始めた。尖った口が、うっすら開いて、小学生が覚えたての算数をやってるみたいだ。
「49だ!」
「あんまり計算してほしくないなあ」
「二年足らずで49キロ……」
「だから、この二週間ほどは増えてないから」
「咎めてんじゃないのよ、この数字の意味……」
「数字に意味なんてあるの?」
「うん……48の次、50の前、約数は1と7と49、約数の合計は57……」
婆ちゃんが冴えてきた。
「四十九日……そうだ、あたしが生まれたのが1949年、なんか因縁……信長が本能寺で死んだのが49歳、アメリカの49番目の州がアラスカ、アメリカってばフォーティーナイナーズ……遠くなっちゃった」
こんなことで無邪気になれる婆ちゃんに、介護付き老人ホームは似合わない。婆ちゃんがここに入居したのは、婆ちゃんなりの想いがある……それを斟酌できないのは、やっぱ血の繋がりが無いからだろうか。
「血の繋がり……」
心が読めるんだろうか、婆ちゃんの呟きには、時々ドキッとされる。
「どうでもいいんだけどね……信二は、もう半年も音沙汰なしだし」
「え、そうなんだ?」
親父は、オレとオフクロには細々と気を配ってくれている。こないだも忙しい中、家族三人で食事の機会を作ってくれたところだ。
「ま、息子って、そんなもんだけど……えと、なにしてたんだっけ?」
「ハハ、忘れたんなら、それでいいよ」
いつまでも体重の計算をされてはたまらない。
「桜子ちゃんは、どうしてんの?」
「え……?」
どうして桜子のこと知ってんだ?
「いい子よ、桜子ちゃんは」
そう言って、婆ちゃんは、オレの膝をホタホタと叩いた。
「そうだ、これあげよう」
婆ちゃんは、戸棚の引き出しから、なにやら取り出した。
「国富駅前のレストランの食事券。お隣りさんの息子さんがオーナーで、もらっちゃった。婆ちゃんには猫に小判だから」
「あ、ありがとう」
それから、着替えと日用品を補充してよもやま話。
「じゃ、そろそろ帰るよ」
「そうね、今日はどうもありがとう」
「佐江さんによろしくね、じゃ……」
「うん、またね、婆ちゃん」
で、ドアを開けた時。
「思い出した、49!」
「え……?」
「……桃ちゃんの体重よ!」
婆ちゃんのどや顔は、妹の桃に似ていた。
🍑・主な登場人物
百戸 桃斗……体重110キロの高校生
百戸 佐江……桃斗の母、桃斗を連れて十六年前に信二と再婚
百戸 信二……桃斗の父、母とは再婚なので、桃斗と血の繋がりは無い
百戸 桃 ……信二と佐江の間に生まれた、桃斗の妹 去年の春に死んでいる
百戸 信子……桃斗の祖母 信二の母
八瀬 竜馬……桃斗の親友
外村 桜子……桃斗の元カノ 桃斗が90キロを超えた時に絶交を言い渡した