大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

ライトノベルベスト『桜の花が満開になるまで』

2021-11-29 05:43:54 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト 

 
桜の花が満開になるまで』    




 近鉄山本駅を降りると四十年前と変わらない風景があった。

 よく見ると、駅近くの神社の玉垣が新しくなったり、舗装がしっかりしたものになっていたが、駅の構造、近辺の風景は、ほぼ昔のままである。

 ひょいと振り返ると、今東光が名付け親になった散髪屋も、そのままの屋号で残っていて、今にも散髪屋のオバチャンが出てきそうであった。

 首を元に戻し、十歩ほど歩くと玉串川。

 川幅四メートルにもならない小川であるが、川筋の桜並木は見事で、兵藤はもう一カ月も遅ければ見頃の桜……と、思ったが、直ぐに頭で打ち消した。

 なにも、これが最後というわけでもあるまいに……。

 毎日、この道を母校のY高校まで通った。もう大昔の話だ。

 最後に、ここを通ったのは、教育実習の二週間だった。

 それからもう四十年になる。

 現役の高校生のころ、この玉串川沿いに歩いていくと、三百メートルほどで英子が西の道から出てくるのにいっしょになった。

 特段何を話すということもなかったが、ほとんど毎朝、ここで「お早う」と声を掛け合うところから、学校の一日が始まった。

 意識していたのかどうかは分からないが、兵藤は三年間同じ時間の準急に乗っていた。英子は、朝の連ドラのテーマ曲が始まると家を出る。

 それで判を押したように、二人は、そこの辻で一緒になり三年間通った。そして偶然だが、三年間同じクラスであった。半期だったが生徒会の役員をいっしょにしたこともあった。

 が、特別に意識はしなかった。いや、意識はあったんだろうが、気が付かなかった。それほど当たり前の関係で、気が付いたのは、卒業して、この当たり前が無くなった時であった。

 英子はD大学の国文科に、兵藤はK大学の医学部に進んだ。

 そして、三年ちょっとたった時、教育実習で二週間同じ道を通った。そして、その二週間で、お互いが、当たり前の存在ではないことに気づいた。

「兵藤さん」


 口から心臓が飛び出しそうになった。あのころの英子が、そのまま、その辻から出てきた。

 

「兵藤さんでしょ?」

「あ、ああ……そうです」

 間の抜けた返事になってしまった。

「あたし、こういう勘はええんです。それに兵藤さん写真のまんまでしたし」

 一瞬どの写真か頭が混乱したが、目の前の英子については整理がついた。この子は孫娘の一美だ。同じY高の制服で、同じようなポニーテール。混乱して当たり前だ。兵藤は正直に、そのことを一美に言った。

「別に兵藤さんのこと威かすつもりやないんですよ。学校から帰ってきたら、そのまま兵藤さんのこと迎えに行け言われたもんですから……アハハ、ごめんなさいね。思たことが直ぐに口に出てしもて」

 兵藤は、英子の家を知らない。知っているのは、あの辻を曲がってからの英子だけだ。なんだか、この鈴のように陽気な一美が、英子の本性のような気がしてきた。

「お婆ちゃんには内緒なんですけど、兵藤さんの手紙が、ぎょうさんでてきたんです」

「え……あの手紙、残ってたん!?」

「大婆ちゃんが、どないしょ言うて、お母さんに見せたんです……ありがとうございます。お婆ちゃんのこと愛してくれてはったんですね」

 一美が拳で目を拭った。英子の状態が察せられた。

「兵藤君……わざわざ、ありがとう」

 やせ細った顔で、英子が言った。精神科ではあるが、医者ではあるので、英子の重篤さが辛いほど分かった。

「一美見てびっくりした?」

「うん、心臓が一個止まってしもた」

「兵藤君の心臓は二つあるのん?」

「ああ、悪魔の心臓と天使の心臓と」

「止まったん、どっち?」

「それは、業務上の秘密」

 重篤とは思えない明るさで、英子が笑った。その足許で英子そっくりな一美が笑っている。兵藤は不思議な幸福を感じた。

「あの時は、金蘭の付き合いで行こて、兵藤君わからへんかったでしょ?」

「うん、国文らしい単語でやんわり断られたと思た。帰ってから辞書ひいて、ちょっと分かった」

「どないに?」

「親密な交わり、非常に篤い友情……やっぱりNGやと思た」

「急にプロポーズするんやもん。あたしもネンネやったし、急にあんな言葉しか出てけえへんかった」

「せやけど、あの電話は堪えたわ『好きやったら、なんで、もっとしっかり掴まえといてくれへんかったん』」

「そうやよ、半年もほっとくんやもん……」

「せやけど、その結果、こんな一美ちゃんみたいな、ええ子がおるんやろ?」

「ほんまや。お婆ちゃんがが兵藤さんと結婚してたら、うち生まれてへん。兵藤さん、お婆ちゃんフッてくれてありがとうございました!」

 一美の言葉で、病床とは思えない笑いの花が咲いた。

 それから一か月。

 

「兵藤さん、ほんまごめんなさいね。この通りです」

 英子の母が、仏壇の前で、折りたたむように頭を下げた。

「お母さん、手ぇ上げてください。お母さんの選択は正しかったんですよ」

「あんたさんの手紙を隠したばっかりに、英子は主人にも上の娘にも先立たれて、自分も、こんな骨壺に収まってしもてからに……ほんまにバチあたったんですわ」

 兵藤は、英子の「好きやったら……」の電話に「何十通も手紙を出した」とは言わずに、ただ無言で通した。すでに、英子の気持ちが自分から離れ、おそらく新しい恋人ができていると察したから。

「お母さん、それよりも一美ちゃんです。この歳で母親に逝かれて、相当まいってるはずです。週一回寄せてもろて、カウンセリングやらせてもらいます。僕が英子にしてやれることは、これくらいですけど、前向いてやっていきましょ」

 虚空を見つめている一美に、まず明るさをとりもどしてやることだと、兵藤はおもった。

 玉串川の桜は満開になっていた……。

 


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