『「納豆を食べればダイエットできる」とテレビ番組で紹介されたら、
納豆の品薄状態が続いている。』と、今朝の新聞に出ていました。
まさかと思い、午後の散歩(ウオーキング)の途中、いつも納豆を
購入する小さいスーパーに行ったら、やはり品切れ。別のスーパー
にも一つも残っていませんでした。
TVの影響の大きさを改めて感じました。納豆だけならまだしも、
偽りや作為的な報道などを、正しいものと信じて行動したら、恐ろ
しいことになりはしないか、ちょっと心配です。
===========================
第7日 2006年11月17日(水) 晴
<23番薬王寺>
=由岐経由の海沿いを=
5時50分起床、6時半朝食、7時5分に山茶花を、ほかの2人より
早く出発した。気温は10度以下、冷たいので軍手を着用する。
車道を南に進み、前回は気づかず通過した、月夜集落の交差点そば
の番外霊場、月夜御水庵(つきよおみずあん)に寄る。小さいお堂の
そばに、高さ31m、樹齢約千年という大杉が立つ。
伝説によれば、弘法大師が弘仁2年(811)に当地で薬師如来・不動
尊を刻み、その杉の枝をさしたものだという。
南に抜けて緩い峠を越え、国道55号に出る。釘打トンネル(301m)
の先にあったヘンロ小屋第3号釘打で休憩した。
国道を進み、福井南小近くの信号で左手の県道25号に入る。直進
する国道より回り道だが、交通量は少なく海沿いでお勧めと、昨夜聞
いたルートである。
阿南市と美破町(旧由岐町)境の小さい峠を越えて、由岐の町へと
下る。峠の先は、何か所か道路工事中だった。JR牟岐線沿いに出て、
由岐駅そばを通過、砂浜が広がる田井の浜海水浴場が見えてきた。
無人の田井の浜駅は、県道から入れず、海水浴場側から入るよう
になっていた。戻るのも面倒なので、県道から線路を横断してホーム
に上がる。
緩やかなカーブの砂浜が広がり、逆行にまぶしく輝く海を眺めながら
休憩した。
田井ノ浜を見下ろしながら少しずつ上がり、右にカーブして木岐へ
と下った。
昭和南海大地震の津波の高さを示す青テープが、電柱の3mくらい
の位置に貼られた木岐の町を、漁港沿いにぐるりと回る。
漁港には、小さい漁船がたくさん係留されていた。
漁港の西側まで進むと、神社の境内に「安政大地震津波石灯籠」
が立っていた。嘉永7年(1854)11月に発生した大地震は、数丈
の大津波となり、木岐浦では203戸中190戸が流出、11人が死亡
したと記されていた。
前回も感じたのだが、電柱の表示や、このような説明を見ると、
遍路中に海岸を歩いていて大津波に襲われたら、ひとたまりもない
なと思う。でも、それも運命か…。
肉厚の広葉樹林が豊富な、林間のへんろ道を回って車道(県道
25号)に出て、山座峠に向かって緩やかに上がる。峠周辺の高み
からは、海が見下ろせる。
峠の少し先、NTTドコモのアンテナ塔そばから、遍路道を真っ直ぐ
に田井港に向かって下る。海沿いに県道を進むと、恵比寿洞の
説明板があった。
そばの遊歩道を下って行くと、標高52mの岩山の下部が、幅32m
高さ31mの半円状の空洞になっている。うち寄せる太平洋の荒波に
浸食された海蝕洞で、徳島県内最大のものだという。
洞の付近から、これから行く薬王寺の瑜木塔が見えてきた。日和佐
の湾に沿って進む。
恵比寿洞から2㎞ほど進んで日和佐の町並みを抜け、徳島県
最後の霊場、23番薬王寺に着いた。
大ワラジの下がる山門を入り、境内に上がる。正面に本堂、左手
に大師堂がある。大師堂前に2本の大クスが立っていた。
本堂右手の石段から、変わった造りの瑜木塔まで上がる。高台
なので、日和佐の町並みや北河内川の眺めがよい。
参拝、納経を終え、近くのセルフうどん店で遅い昼食を済ませ、宿
に向かって国道55号を急ぐ。14時を過ぎたが、宿までまだ15㎞
ある。
国道はこの先、JR牟岐線と平行している。日和佐トンネルは長さ
690mあるが、片側に手すりのある歩道が付いていた。トンネルの
先、山河内駅そばの無人スタンドで休憩する。
国道の温度表示は14度だが、日が暮れぬうちにと急ぐので、汗
が止まらない。次の辺川駅に近い番外霊場・小松大師は手を合わ
せただけで通過する。
暗くなってきた国道を急ぎ、17時34分に食堂兼営の宿、あづま
に着いた。
今日は38㎞歩いた。さっそく入浴して長旅の疲れをとる。
夕食は食堂で。同宿は、山口県小野田市からの歩き遍路さんのみ、
明日までの区切り打ちだという。
ここも2度目。前回同様、夕食は盛りだくさん。1時間近くかけて
ゆっくりごちそうになる。
明日の宿のことを相談したら、おかみさんがすぐに電話して、
予約して下さった。
食堂にお酒を飲みに来ていた80歳過ぎという老婆から、「お参り
してください」と、200円をお預かりする。夕食後、おかみさんが
撮ったたくさんの遍路の写真を見せて下さる。探したら前回の私
の写真もあり、いただいた。
〈コースタイム〉山茶花7:05ー月夜御水庵7:45~47ーヘンロ小屋
釘打8:32~40ー小野の交差点(県道25号へ)9:03ー阿南市・美波
町境9:27ー田井の浜駅10:13~25ー木岐漁港10:54ー山座峠11:40
~50ー田井(県道25号へ)12:10~15ー恵比寿洞12:33~42ー23番
薬王寺13:17~43ーセルフうどん(昼食)13:45~14:07ー日和佐トン
ネル入口15:05ー山河内駅そば15:25~30ー美波町・牟岐町境付近
16:11ー小松大師16:50~55ーあづま17:34
(距離 38㎞、地図(1/5万) 阿波富岡、日和佐、桜谷、歩行地
阿南市、美波町(旧由岐町、日和佐町)、牟岐町、歩数 62,500)
納豆の品薄状態が続いている。』と、今朝の新聞に出ていました。
まさかと思い、午後の散歩(ウオーキング)の途中、いつも納豆を
購入する小さいスーパーに行ったら、やはり品切れ。別のスーパー
にも一つも残っていませんでした。
TVの影響の大きさを改めて感じました。納豆だけならまだしも、
偽りや作為的な報道などを、正しいものと信じて行動したら、恐ろ
しいことになりはしないか、ちょっと心配です。
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第7日 2006年11月17日(水) 晴
<23番薬王寺>
=由岐経由の海沿いを=
5時50分起床、6時半朝食、7時5分に山茶花を、ほかの2人より
早く出発した。気温は10度以下、冷たいので軍手を着用する。
車道を南に進み、前回は気づかず通過した、月夜集落の交差点そば
の番外霊場、月夜御水庵(つきよおみずあん)に寄る。小さいお堂の
そばに、高さ31m、樹齢約千年という大杉が立つ。
伝説によれば、弘法大師が弘仁2年(811)に当地で薬師如来・不動
尊を刻み、その杉の枝をさしたものだという。
南に抜けて緩い峠を越え、国道55号に出る。釘打トンネル(301m)
の先にあったヘンロ小屋第3号釘打で休憩した。
国道を進み、福井南小近くの信号で左手の県道25号に入る。直進
する国道より回り道だが、交通量は少なく海沿いでお勧めと、昨夜聞
いたルートである。
阿南市と美破町(旧由岐町)境の小さい峠を越えて、由岐の町へと
下る。峠の先は、何か所か道路工事中だった。JR牟岐線沿いに出て、
由岐駅そばを通過、砂浜が広がる田井の浜海水浴場が見えてきた。
無人の田井の浜駅は、県道から入れず、海水浴場側から入るよう
になっていた。戻るのも面倒なので、県道から線路を横断してホーム
に上がる。
緩やかなカーブの砂浜が広がり、逆行にまぶしく輝く海を眺めながら
休憩した。
田井ノ浜を見下ろしながら少しずつ上がり、右にカーブして木岐へ
と下った。
昭和南海大地震の津波の高さを示す青テープが、電柱の3mくらい
の位置に貼られた木岐の町を、漁港沿いにぐるりと回る。
漁港には、小さい漁船がたくさん係留されていた。
漁港の西側まで進むと、神社の境内に「安政大地震津波石灯籠」
が立っていた。嘉永7年(1854)11月に発生した大地震は、数丈
の大津波となり、木岐浦では203戸中190戸が流出、11人が死亡
したと記されていた。
前回も感じたのだが、電柱の表示や、このような説明を見ると、
遍路中に海岸を歩いていて大津波に襲われたら、ひとたまりもない
なと思う。でも、それも運命か…。
肉厚の広葉樹林が豊富な、林間のへんろ道を回って車道(県道
25号)に出て、山座峠に向かって緩やかに上がる。峠周辺の高み
からは、海が見下ろせる。
峠の少し先、NTTドコモのアンテナ塔そばから、遍路道を真っ直ぐ
に田井港に向かって下る。海沿いに県道を進むと、恵比寿洞の
説明板があった。
そばの遊歩道を下って行くと、標高52mの岩山の下部が、幅32m
高さ31mの半円状の空洞になっている。うち寄せる太平洋の荒波に
浸食された海蝕洞で、徳島県内最大のものだという。
洞の付近から、これから行く薬王寺の瑜木塔が見えてきた。日和佐
の湾に沿って進む。
恵比寿洞から2㎞ほど進んで日和佐の町並みを抜け、徳島県
最後の霊場、23番薬王寺に着いた。
大ワラジの下がる山門を入り、境内に上がる。正面に本堂、左手
に大師堂がある。大師堂前に2本の大クスが立っていた。
本堂右手の石段から、変わった造りの瑜木塔まで上がる。高台
なので、日和佐の町並みや北河内川の眺めがよい。
参拝、納経を終え、近くのセルフうどん店で遅い昼食を済ませ、宿
に向かって国道55号を急ぐ。14時を過ぎたが、宿までまだ15㎞
ある。
国道はこの先、JR牟岐線と平行している。日和佐トンネルは長さ
690mあるが、片側に手すりのある歩道が付いていた。トンネルの
先、山河内駅そばの無人スタンドで休憩する。
国道の温度表示は14度だが、日が暮れぬうちにと急ぐので、汗
が止まらない。次の辺川駅に近い番外霊場・小松大師は手を合わ
せただけで通過する。
暗くなってきた国道を急ぎ、17時34分に食堂兼営の宿、あづま
に着いた。
今日は38㎞歩いた。さっそく入浴して長旅の疲れをとる。
夕食は食堂で。同宿は、山口県小野田市からの歩き遍路さんのみ、
明日までの区切り打ちだという。
ここも2度目。前回同様、夕食は盛りだくさん。1時間近くかけて
ゆっくりごちそうになる。
明日の宿のことを相談したら、おかみさんがすぐに電話して、
予約して下さった。
食堂にお酒を飲みに来ていた80歳過ぎという老婆から、「お参り
してください」と、200円をお預かりする。夕食後、おかみさんが
撮ったたくさんの遍路の写真を見せて下さる。探したら前回の私
の写真もあり、いただいた。
〈コースタイム〉山茶花7:05ー月夜御水庵7:45~47ーヘンロ小屋
釘打8:32~40ー小野の交差点(県道25号へ)9:03ー阿南市・美波
町境9:27ー田井の浜駅10:13~25ー木岐漁港10:54ー山座峠11:40
~50ー田井(県道25号へ)12:10~15ー恵比寿洞12:33~42ー23番
薬王寺13:17~43ーセルフうどん(昼食)13:45~14:07ー日和佐トン
ネル入口15:05ー山河内駅そば15:25~30ー美波町・牟岐町境付近
16:11ー小松大師16:50~55ーあづま17:34
(距離 38㎞、地図(1/5万) 阿波富岡、日和佐、桜谷、歩行地
阿南市、美波町(旧由岐町、日和佐町)、牟岐町、歩数 62,500)