首都圏は今日、風もなく快晴の穏やかな1日でした。そこで、
今年2度目の七福神めぐりに出かけました。
場所は、昨日18時10分からのNHK総合TV「首都圏ネット」で
紹介していた、『武蔵野吉祥(きっしょう)七福神めぐり』です。
東京の武蔵野商工会議所が、武蔵野市内の寺社とともに企画
したもので、今年から始めた新しい七福神めぐりのコースです。
元旦から今日10日までは、七福神めぐり特別バスも運行され
ましたが、私はもちろん、歩いて回ることにしました。
スタートのJR中央線吉祥寺駅を、11時40分に出ました。南口
の丸井百貨店横から坂を下って井の頭恩賜公園に入ります。
水中から数個の噴水が上がる井の頭池の橋を渡って、まず、
池の南西端にある大盛寺の井の頭弁財天に参拝します。
この弁財天は、天慶年間(938~946)に始まった伝えられ、
神田上水水源の水神、福の神、音楽や芸能の守護神として、
江戸の人々に広く信仰されたとのことです。
色鮮やかな朱に彩られた現在の社殿は、昭和2年(1927)に
再建されてものです。ここで、七福神の色紙を購入しました。
値段は2,000円、各寺社での朱印代も入っています。
大盛寺本堂は池の南側を上がったところにありますが、門が
閉ざされていて入れませんでした。
池の西側を上がって、吉祥寺駅西側を抜ける吉祥寺通りを北
に進むと、東西に走る五日市街道との交差点際に、大黒様の
武蔵野八幡宮があります。
ケヤキやクスノキなどの保存樹に囲まれた緑豊富な境内の奥
に、やはり朱塗りのりっぱな神殿が建っています。
大黒様は、別の小さな社殿に祭られていました。
この神社は、789年、坂上田村麻呂が大分の宇佐八幡大神
の分霊を祭ったのが始まりと伝えられ、武蔵野の農民の氏神様
として信仰を集めてきたとのこと。
境内には、「この辺りでは江戸時代後記の天保年間(1830~
44)ころから吉祥寺ウドと呼ぶ、ウドの栽培が盛んだった」と記さ
れていました。
次の布袋尊の安養寺は、神社のすぐ東側です。開山は寛永
元年(1624)、吉祥寺四軒寺のひとつで、「多摩新四国八十八
ヶ所」第1番札所です。
境内には、武蔵野市内にただ一つ現存するという、安永2年
(1773)奉納の梵鐘がありました。
東に出て墓地の西側から北に向かい、女子大通りを越えて、
福禄寿の大法寺に行きました。
大法寺は、徳川家光時代の寛永10年(1634)開山の禅寺。
開創当時は江戸麻布にあり、昭和7年(1932)にここに移転
してきたようです。
境内にある石造の福禄寿は、石仏彫刻家、長岡和慶氏作。
長岡氏の代表作は、大英博物館に収蔵され、ほかに、延暦寺、
東大寺、高野山、永平寺、三井寺などに納めた石仏があるよう
です。
西に回り吉祥通りに出て南へ、武蔵野八幡宮のある八幡宮前
交差点から西に、五日市街道を進みます。
けやき並木の並ぶ成蹊大前を過ぎ、途中の中華料理店で昼食
後、武蔵野市民文化会館前を通過、第5小の北にある延命寺に
着きました。
現在の本堂は近代的な建築様式ですが、関前村開村当時の
寛文10年(1670)に開山された密教寺院です。
ここは、毘沙門天と寿老人の寺、いずれも石仏で、本堂前に並
んでいます。
制作は大法寺と同じ、愛知県岡崎市の大仏師・長岡和慶氏で、
毘沙門天の裏面には、平成18年12月15日建立と彫られていま
したから、まだ真新しいものです。
ここでは、甘酒のサービスがあったのでいただきました。
昨日のNHKTVを見て来たのか。今日が色紙押印の最終日という
こともあるのか、各寺社ともかなりの参詣客で賑わっていました。
五日市街道を少し先まで進み、サザンカの咲くグリーンパーク遊歩
道に入って南へ、境浄水場の東側で玉川上水の境大橋を渡ります。
この辺りは、毎年5月の連休に開催される、ウオーキング大会、
東京国際スリーデーマーチで通過するところです。
さらに、高架工事中のJR中央線の踏切を越えて南に回り、2つ目
の通りを西に進んで、武蔵境通に面した恵比寿神の杵築(きづき)
大社に入りました。
江戸時代の初め、松江藩主松平直政により建てられ、開運厄除け、
縁結びの神として信仰を集めているとのことです。
本殿前には、千本イチョウと呼ぶイチョウの大木が立ち、境内には
高さ10mの富士塚もあり、病気平癒願ってお参りする人が多いよう
です。
ここで最後のご朱印をいただきました。
これで七福神めぐりは終了、高架工事中で仮駅舎のJR武蔵境駅
に15時20分に着きました。
(距離 9km、地図(1/2.5万) 吉祥寺、歩行地 武蔵野市、歩数
14,600)
今年2度目の七福神めぐりに出かけました。
場所は、昨日18時10分からのNHK総合TV「首都圏ネット」で
紹介していた、『武蔵野吉祥(きっしょう)七福神めぐり』です。
東京の武蔵野商工会議所が、武蔵野市内の寺社とともに企画
したもので、今年から始めた新しい七福神めぐりのコースです。
元旦から今日10日までは、七福神めぐり特別バスも運行され
ましたが、私はもちろん、歩いて回ることにしました。
スタートのJR中央線吉祥寺駅を、11時40分に出ました。南口
の丸井百貨店横から坂を下って井の頭恩賜公園に入ります。
水中から数個の噴水が上がる井の頭池の橋を渡って、まず、
池の南西端にある大盛寺の井の頭弁財天に参拝します。
この弁財天は、天慶年間(938~946)に始まった伝えられ、
神田上水水源の水神、福の神、音楽や芸能の守護神として、
江戸の人々に広く信仰されたとのことです。
色鮮やかな朱に彩られた現在の社殿は、昭和2年(1927)に
再建されてものです。ここで、七福神の色紙を購入しました。
値段は2,000円、各寺社での朱印代も入っています。
大盛寺本堂は池の南側を上がったところにありますが、門が
閉ざされていて入れませんでした。
池の西側を上がって、吉祥寺駅西側を抜ける吉祥寺通りを北
に進むと、東西に走る五日市街道との交差点際に、大黒様の
武蔵野八幡宮があります。
ケヤキやクスノキなどの保存樹に囲まれた緑豊富な境内の奥
に、やはり朱塗りのりっぱな神殿が建っています。
大黒様は、別の小さな社殿に祭られていました。
この神社は、789年、坂上田村麻呂が大分の宇佐八幡大神
の分霊を祭ったのが始まりと伝えられ、武蔵野の農民の氏神様
として信仰を集めてきたとのこと。
境内には、「この辺りでは江戸時代後記の天保年間(1830~
44)ころから吉祥寺ウドと呼ぶ、ウドの栽培が盛んだった」と記さ
れていました。
次の布袋尊の安養寺は、神社のすぐ東側です。開山は寛永
元年(1624)、吉祥寺四軒寺のひとつで、「多摩新四国八十八
ヶ所」第1番札所です。
境内には、武蔵野市内にただ一つ現存するという、安永2年
(1773)奉納の梵鐘がありました。
東に出て墓地の西側から北に向かい、女子大通りを越えて、
福禄寿の大法寺に行きました。
大法寺は、徳川家光時代の寛永10年(1634)開山の禅寺。
開創当時は江戸麻布にあり、昭和7年(1932)にここに移転
してきたようです。
境内にある石造の福禄寿は、石仏彫刻家、長岡和慶氏作。
長岡氏の代表作は、大英博物館に収蔵され、ほかに、延暦寺、
東大寺、高野山、永平寺、三井寺などに納めた石仏があるよう
です。
西に回り吉祥通りに出て南へ、武蔵野八幡宮のある八幡宮前
交差点から西に、五日市街道を進みます。
けやき並木の並ぶ成蹊大前を過ぎ、途中の中華料理店で昼食
後、武蔵野市民文化会館前を通過、第5小の北にある延命寺に
着きました。
現在の本堂は近代的な建築様式ですが、関前村開村当時の
寛文10年(1670)に開山された密教寺院です。
ここは、毘沙門天と寿老人の寺、いずれも石仏で、本堂前に並
んでいます。
制作は大法寺と同じ、愛知県岡崎市の大仏師・長岡和慶氏で、
毘沙門天の裏面には、平成18年12月15日建立と彫られていま
したから、まだ真新しいものです。
ここでは、甘酒のサービスがあったのでいただきました。
昨日のNHKTVを見て来たのか。今日が色紙押印の最終日という
こともあるのか、各寺社ともかなりの参詣客で賑わっていました。
五日市街道を少し先まで進み、サザンカの咲くグリーンパーク遊歩
道に入って南へ、境浄水場の東側で玉川上水の境大橋を渡ります。
この辺りは、毎年5月の連休に開催される、ウオーキング大会、
東京国際スリーデーマーチで通過するところです。
さらに、高架工事中のJR中央線の踏切を越えて南に回り、2つ目
の通りを西に進んで、武蔵境通に面した恵比寿神の杵築(きづき)
大社に入りました。
江戸時代の初め、松江藩主松平直政により建てられ、開運厄除け、
縁結びの神として信仰を集めているとのことです。
本殿前には、千本イチョウと呼ぶイチョウの大木が立ち、境内には
高さ10mの富士塚もあり、病気平癒願ってお参りする人が多いよう
です。
ここで最後のご朱印をいただきました。
これで七福神めぐりは終了、高架工事中で仮駅舎のJR武蔵境駅
に15時20分に着きました。
(距離 9km、地図(1/2.5万) 吉祥寺、歩行地 武蔵野市、歩数
14,600)