あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ふた旅(前編)・高知その4

2007-01-16 19:18:51 | 四国遍路道ふた旅
 第11日 11月21日(月) 晴
 <27番神峰寺>
 =「真っ縦」から安芸へ=


 
 6時20分起床、7時に朝食。昨夜、後から来た素泊まりの遍路氏
は早立ちした。朝のおかずも盛りだくさんだった。

 7時43分に山本旅館を出る。おかみさんが、最初の角まで見送って
下さり、暖かい心配りに感謝する。

 今朝も右足首付近に痛みがあったが、歩くうちに消えた。奈半利川
を越えて隣の田野町に入る。道の駅田野駅屋と、そばのコンビニに
昼食を探しに入ったが、買いたい弁当はなかった。



 色づく山並みを見ながら、国道55号の北側の旧道を進む。レスト
ラン岬のところで国道に合したが、再び北側の旧道へ。製材工場が
2つ3つ並ぶ家並みを通過して、安田の町並みに入る。

 高知の銘酒「土佐鶴」の工場前を通過、出荷する酒ビンを、数人の
女性がリレーしてカートンに詰めていた。

 
 周辺には、水切瓦の付いたりっぱな瓦屋根の家が多い。


 ごめんなはり線のガードをくぐり、神峰寺(こうのみねじ)へ向かう。
寺までは標高差400mほど上る。東谷集落の終わりで、畑作業中の
男性がいたのでザックを置かしてもらい、頭陀(ずだ)袋だけの軽装
になった。


 棚田の横を過ぎ、「あと1.3㎞」表示のある標高200m付近から、
林間の遍路道に入る。入口のベンチで、若い男性自転車遍路が休
憩していたので、一緒に休む。

 3度ほど車道を横断、「真っ縦」と呼ばれる急登の上り道だが、ほか
の遍路道と比べても、それほど極端な急傾斜とも思えない。

 残り750mからは車道を上がる。山門は工事中だった。納経所と
鐘楼の間から、急石段を上がって27番神峰寺本堂へ。

 石段の上り口には、土佐の名水「神峰の水」が流れ落ち、それが
手洗い水にもなっている。

 大汗をかいて上がってきたので、ひしゃくに3杯ほど飲み干す。
まろやかな味わいだ。納経所では、歩き遍路ということで、ミカン
一つのお接待いただいた。

 往路を戻る途中、桜並木や東屋のある辺りからは、奈半利方面
の展望がよい。


 預けたザックのところまで戻る。往復2時間20分だった。ごめん
なはり線の線路北側を進み、1㎞ほどで国道55号に合した。

 今日も気温が上がり暑く、白衣も腕まくりする。国道は、車の騒音
が途切れなく、うっとうしい。

 大山岬への回遊路に回る。海岸には大岩が連なり、山側は大岩
がくり貫かれ、中にお堂が祭られていた。


 そばの浜千鳥公園には、地元出身の作曲家、弘田龍太郎の
「浜千鳥」の歌碑が立つていた。


 その先の小さな道の駅大山で昼食をした。メニューは少ない。

 200mほど先から入るべき、防波堤道路への入口を見落とし、少
し先から防波堤に上がる。波静かな海を見ながら2㎞ほど進んだ。


 伊尾木駅の横から国道55号に出て、更に東を並行する旧道へ。
前回見つけた「寅さん地蔵」は、300mほど後方だったので、戻ら
ずに進んだ。


 旧道はやがて国道に合し、伊尾木川(上)と安芸川を渡って、安芸
市の中心街に入る。マンホールのデザインは「野良時計」になって
いる。

 どんな時計なのだろうか。帰宅後調べたら、明治20年(1887)
ころ、地主畑中源馬が独学で自作した時計で、いまも畑中家の屋根
の上で正確な時を刻み続けているという。この日は宿に早着したの
で、場所が分かれば寄ってくればよかった。

 安芸市役所そばの交差点際にある、清月旅館に15時17分に着
いた。6畳の畳部屋で、洗面台があるが机はなかった。隣室が風呂
だったので湯を入れて入浴。その間洗濯機も回す。

 夕食は18時過ぎから。同宿は、伝統の富山の薬売りにこの周辺
を回っている51歳の男性。得意先は高知県内に200軒以上ある
とか。同宿した若い男性遍路との交遊など、よいふれ合い話を聞か
せてもらった。

(コースタイム〉山本旅館7:43ー田野駅屋8:05~10ー安田川の橋
8:47ー東谷集落北(ザック預け)9:26ー遍路道入口9:52~10:00ー
27番神峰寺10:27~11:01ー東谷集落北11:54ー安田明神バス停
12:07~15ー道の駅大山(昼食)13:04~37ー伊尾木駅14:26ー伊尾
木川東(国道合流点付近)14:37~45ー清月旅館15:17

(距離 23㎞、地図(1/5万) 奈半利、安芸、歩行地 奈半利町、
 田野町、安田町、安芸市、歩数 39,600)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする