第21日 2006年12月1日(金) 快晴
=月山神社から大月へ=
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=32/47/8.182,132/45/23.152&scale=500000)
5時45分起床、6時20分朝食。弁当をお願いしておいたら、
お接待下さるとのことで、ありがたくいただく。7時に民宿叶崎
を出発した。
そばの大津大橋に出たら、海に太陽が上がったばかり。雲
ひとつ無い快晴の空に、海からのすばらしい日の出を見ること
が出来た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/f2/b20dc2f32c191424b8e2977a00b7adb7.jpg)
叶崎の展望台に上がると、紺碧の海と岩礁の景観が見下ろ
せる。叶崎を詠んだ野口雨情の歌碑もあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/00/0a2df19f056ddda39ce13808851c78f0.jpg)
国道321号の脇ノ川トンネル(708m)を抜け、小才角の湾
に向かって下る。向かい風がやや冷たい。
小才角の道路際で、今朝水揚げしたばかりの、みずみずしい
イカをたくさん干している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/16/696d77c6662e209ff3df964c97dea9bf.jpg)
東屋のある小才角休憩所に、「土佐サンゴ発祥の地」の説明
板がある。
徳川時代からこの辺りにサンゴの存在が知れていたが、土佐
藩では厳重に採取を禁止し、口外も禁じられていた。明治維新
後、この禁令が解かれ、サンゴ船による採取が行われたが、
その後乱獲で、大正12年(1923)にはほとんど中止状態に
なったようだ。
その後は、五島、台湾、奄美などで採取するようになり、当地
では今なお、加工が盛んだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/ee/179985fc15c36afd58e59f4387d27fac.jpg)
岬を回り次の月灘へ大きく迂回する。港を見下ろす好展望地
に、歌先生の遍路小屋14号大月があったので休む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/02/a608e818596e461548fbf84078b95143.jpg)
漁師の使つたらしい古い双眼鏡が置いてあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/4b/7d737278208edcdc0a9caabea7a5664d.jpg)
眼下の港では、数人の漁師さんが網を繕っている。そばの道路
際で、かまどに湯を沸かし、身の赤いサツマイモを切ったのを蒸
そうとしていた。
聞くと、「人参いも」といい、蒸した後で干して、もち米と一緒に
ついて、正月用のもちにするのだという。
家並みの外れの急坂が、月山(つきやま)神社への遍路道。入
口に十八丁石があり、その先にも丁石が幾つか残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/a3/11425d11f3ec74cab3612cdee921a6e3.jpg)
簡易舗装が終わると落ち葉道。緩やな上り下りの後、小さい
流れを渡って車道に出た。
500m余りで番外霊場月山神社。もとは神仏混合の霊場で、
明治元年(1868)に月山神社になったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/2d/223e3f61fd8c1e9ccd3800464f2b5401.jpg)
本殿背後の急坂上に、名のもとになった月形霊石があり、
本殿横に、安政5年(1858)建築と推定される大師堂もある。
車道を北に進み、右カーブ点で直進する大月遍路道へ。前回
の遍路の際、出会った山下さんが、古い資料から見つけ出した
昔の遍路道を、復活しようと地元大月町の方々に呼びかけて
復活した道である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/61/862d98b1e00ee9fa5d42cf477d2f7a6f.jpg)
新しい切り株から最近整備したことが知れ、幅広く狩り払われ
ていて歩きやすい。
展望台まで上がると、樹間から紺碧の海や対岸の好展望が得
られる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/e5/7bdff88b85694fc387f45928bf29f79a.jpg)
下りとなり、やや暗い常緑広葉樹林を抜け、枯れた流れの先
でゴロゴロ石の浜辺に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/5e/3e006015eab73efeb2e1eaa6d9dff7c8.jpg)
石の上を300mほど道路の堤防下を進み、堤防の端で車道
に上がる。
暖帯林の山すその平坦地を1.5㎞ほど進んで赤泊(あかどま
り)の小集落へ。入口の赤泊神社には、町の文化財、赤泊太刀
踊りの説明があった。
あらかじめご連絡し、11時にお訪ねする約束のNさん宅の近く
と思われる場所で、役場からお帰りになるNさんを待つ。ほどなく
来られ、やはりすぐそばだったお宅におじゃまする。
訪問の目的は、古い遍路札を拝見すること。Nさんのお宅は、
江戸時代からの善根宿で、その頃の遍路札が残っていることを、
大月遍路道のことを見つけた山下さんや、その知人の竜馬16
さんから聞いていた。
奥の間に用意された、米俵一杯に詰まった遍路札を見せてい
ただく。現在の印刷した納札と違い、全部手書き。19世紀前半
の文政、天保、文化年間が多いとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d7/54d3d14f140b5fbf9d2c605dffdefe86.jpg)
研究者によれば、全部で10,579枚あり、北は北海道から南
は鹿児島まで全国から来ていたらしい。研究資料を拝見すると、
わが埼玉県も56枚あった。
奥様が昼食まで用意して下さり、ごちそうになる。午後は集落
の草刈りに出られるとのことで、ご多忙の中で1時間余りも、
貴重な時間をさいていただいた。深く感謝申し上げて失礼する。
谷間を緩やかに上がって左からの車道に合し、姫の井で国道
321号に戻る。国道には広い歩道があり、車も少な目。両側の
開けた開放的で明るい道筋。日差しは暖かく、穏やかな日和で
ある。
右から県道352号、左から県道43号と合し、間もなく道の駅
大月。Nさんも協力されたという歌先生設計の遍路小屋9号大月
がある。売店で、ここの名物ポンカンソフトを買い、休憩した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/f7/563e89371ff2111802d440c3635b5dc5.jpg)
大月町の中心街は歩道が無い。その上車の交通量が増え、側
溝の上を歩くようになる。西側の山上で、風力発電のプロペラが
7つ回っている。町外れには、全部竹製の遍路小屋2号大月が
あった。
日が傾き風が少し冷たくなった。大月町から宿毛(すくも)市に
向かって下り、水量豊富な福良川を渡る。15時43分、小築紫
(こづくし)の港に面した大島屋旅館に着いた。
ピカピカに磨かれた木の階段を上がり、港に面した部屋に入る。
入浴後、港の向こうの山に夕日が落ちた。洗濯はおかみさんが
して下さる。夕食は、タイの刺身など郷土料理をおいしくいただ
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/2e/886bcd691580e805b5974168f0b54831.jpg)
(コースタイム〉民宿叶崎7:00ー叶崎トンネル西7:20ー大月町へ
7:45ー遍路小屋14号大月(月灘)8:27~35ー月山神社9:19~33
ー大月遍路道9:46ーゴロゴロ石終わり10:18ーNさん宅(待ち時間
&昼食も)10:43~12:23ー姫の井局12:55ー道の駅大月13:55~
14:15ー遍路小屋2号大月14:45ー宿毛市へ15:15ー大島屋旅館
15:43
(距離 26㎞、地図(1/5万) 土佐清水、柏島、宿毛、歩行地
土佐清水市、大月町、宿毛市、歩数 42,400)
=月山神社から大月へ=
5時45分起床、6時20分朝食。弁当をお願いしておいたら、
お接待下さるとのことで、ありがたくいただく。7時に民宿叶崎
を出発した。
そばの大津大橋に出たら、海に太陽が上がったばかり。雲
ひとつ無い快晴の空に、海からのすばらしい日の出を見ること
が出来た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/f2/b20dc2f32c191424b8e2977a00b7adb7.jpg)
叶崎の展望台に上がると、紺碧の海と岩礁の景観が見下ろ
せる。叶崎を詠んだ野口雨情の歌碑もあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/00/0a2df19f056ddda39ce13808851c78f0.jpg)
国道321号の脇ノ川トンネル(708m)を抜け、小才角の湾
に向かって下る。向かい風がやや冷たい。
小才角の道路際で、今朝水揚げしたばかりの、みずみずしい
イカをたくさん干している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/16/696d77c6662e209ff3df964c97dea9bf.jpg)
東屋のある小才角休憩所に、「土佐サンゴ発祥の地」の説明
板がある。
徳川時代からこの辺りにサンゴの存在が知れていたが、土佐
藩では厳重に採取を禁止し、口外も禁じられていた。明治維新
後、この禁令が解かれ、サンゴ船による採取が行われたが、
その後乱獲で、大正12年(1923)にはほとんど中止状態に
なったようだ。
その後は、五島、台湾、奄美などで採取するようになり、当地
では今なお、加工が盛んだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/ee/179985fc15c36afd58e59f4387d27fac.jpg)
岬を回り次の月灘へ大きく迂回する。港を見下ろす好展望地
に、歌先生の遍路小屋14号大月があったので休む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/02/a608e818596e461548fbf84078b95143.jpg)
漁師の使つたらしい古い双眼鏡が置いてあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/4b/7d737278208edcdc0a9caabea7a5664d.jpg)
眼下の港では、数人の漁師さんが網を繕っている。そばの道路
際で、かまどに湯を沸かし、身の赤いサツマイモを切ったのを蒸
そうとしていた。
聞くと、「人参いも」といい、蒸した後で干して、もち米と一緒に
ついて、正月用のもちにするのだという。
家並みの外れの急坂が、月山(つきやま)神社への遍路道。入
口に十八丁石があり、その先にも丁石が幾つか残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/a3/11425d11f3ec74cab3612cdee921a6e3.jpg)
簡易舗装が終わると落ち葉道。緩やな上り下りの後、小さい
流れを渡って車道に出た。
500m余りで番外霊場月山神社。もとは神仏混合の霊場で、
明治元年(1868)に月山神社になったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/2d/223e3f61fd8c1e9ccd3800464f2b5401.jpg)
本殿背後の急坂上に、名のもとになった月形霊石があり、
本殿横に、安政5年(1858)建築と推定される大師堂もある。
車道を北に進み、右カーブ点で直進する大月遍路道へ。前回
の遍路の際、出会った山下さんが、古い資料から見つけ出した
昔の遍路道を、復活しようと地元大月町の方々に呼びかけて
復活した道である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/61/862d98b1e00ee9fa5d42cf477d2f7a6f.jpg)
新しい切り株から最近整備したことが知れ、幅広く狩り払われ
ていて歩きやすい。
展望台まで上がると、樹間から紺碧の海や対岸の好展望が得
られる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/e5/7bdff88b85694fc387f45928bf29f79a.jpg)
下りとなり、やや暗い常緑広葉樹林を抜け、枯れた流れの先
でゴロゴロ石の浜辺に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/5e/3e006015eab73efeb2e1eaa6d9dff7c8.jpg)
石の上を300mほど道路の堤防下を進み、堤防の端で車道
に上がる。
暖帯林の山すその平坦地を1.5㎞ほど進んで赤泊(あかどま
り)の小集落へ。入口の赤泊神社には、町の文化財、赤泊太刀
踊りの説明があった。
あらかじめご連絡し、11時にお訪ねする約束のNさん宅の近く
と思われる場所で、役場からお帰りになるNさんを待つ。ほどなく
来られ、やはりすぐそばだったお宅におじゃまする。
訪問の目的は、古い遍路札を拝見すること。Nさんのお宅は、
江戸時代からの善根宿で、その頃の遍路札が残っていることを、
大月遍路道のことを見つけた山下さんや、その知人の竜馬16
さんから聞いていた。
奥の間に用意された、米俵一杯に詰まった遍路札を見せてい
ただく。現在の印刷した納札と違い、全部手書き。19世紀前半
の文政、天保、文化年間が多いとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d7/54d3d14f140b5fbf9d2c605dffdefe86.jpg)
研究者によれば、全部で10,579枚あり、北は北海道から南
は鹿児島まで全国から来ていたらしい。研究資料を拝見すると、
わが埼玉県も56枚あった。
奥様が昼食まで用意して下さり、ごちそうになる。午後は集落
の草刈りに出られるとのことで、ご多忙の中で1時間余りも、
貴重な時間をさいていただいた。深く感謝申し上げて失礼する。
谷間を緩やかに上がって左からの車道に合し、姫の井で国道
321号に戻る。国道には広い歩道があり、車も少な目。両側の
開けた開放的で明るい道筋。日差しは暖かく、穏やかな日和で
ある。
右から県道352号、左から県道43号と合し、間もなく道の駅
大月。Nさんも協力されたという歌先生設計の遍路小屋9号大月
がある。売店で、ここの名物ポンカンソフトを買い、休憩した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/f7/563e89371ff2111802d440c3635b5dc5.jpg)
大月町の中心街は歩道が無い。その上車の交通量が増え、側
溝の上を歩くようになる。西側の山上で、風力発電のプロペラが
7つ回っている。町外れには、全部竹製の遍路小屋2号大月が
あった。
日が傾き風が少し冷たくなった。大月町から宿毛(すくも)市に
向かって下り、水量豊富な福良川を渡る。15時43分、小築紫
(こづくし)の港に面した大島屋旅館に着いた。
ピカピカに磨かれた木の階段を上がり、港に面した部屋に入る。
入浴後、港の向こうの山に夕日が落ちた。洗濯はおかみさんが
して下さる。夕食は、タイの刺身など郷土料理をおいしくいただ
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/2e/886bcd691580e805b5974168f0b54831.jpg)
(コースタイム〉民宿叶崎7:00ー叶崎トンネル西7:20ー大月町へ
7:45ー遍路小屋14号大月(月灘)8:27~35ー月山神社9:19~33
ー大月遍路道9:46ーゴロゴロ石終わり10:18ーNさん宅(待ち時間
&昼食も)10:43~12:23ー姫の井局12:55ー道の駅大月13:55~
14:15ー遍路小屋2号大月14:45ー宿毛市へ15:15ー大島屋旅館
15:43
(距離 26㎞、地図(1/5万) 土佐清水、柏島、宿毛、歩行地
土佐清水市、大月町、宿毛市、歩数 42,400)