あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ふた旅(前編)・高知その15

2007-01-27 22:40:55 | 四国遍路道ふた旅
 第22日 2006年12月2日(土) 曇後晴
 <39番延光寺>
 =宿毛市内から打ち戻り=



 今日は距離が短いので、6時20分に起床、7時朝食。部屋は
こたつだけだったので室内は寒かったが、布団は暖かだった。
7時40分に小築紫の大島屋旅館を出る。

 国道321号を北へ、宿毛市の中心街に向かうが、朝の通勤時
刻なので、マイカーが多い。出がけにパラパラしてきたので、ザッ
クカバーは付けたが、ポンチョは出さずに済んだ。


 昨日と違い、海もその向こうの山なども霞んでいる。小さい峠を
過ぎて田野浦を抜け、道の駅すくもに寄る。高床造り御殿風の遍
路小屋11号がある。


 2階に上がると、宿毛湾の眺めがよい。

 道の駅には、レストランや、平屋5棟の海産物店などがあるが、
まだ開店前だった。

 遍路小屋で、若い女性遍路が休んでいた。大阪の人で、12月
20日過ぎまで通し打ちの予定とか。お勧めの宿の情報交換など、
1時間近く話し、ホットカイロを1つもらった。


 国道を進み、右カーブした先で松田川大橋を渡る。松田川の流
れに、カモメがたくさん浮いていた。

 土佐くろしお鉄道宿毛駅横の手前で高架を右折し、市内の中心
街に入り、今夜泊まる岡本旅館にザックを預ける。

 宿毛の中心街を東に抜け、松田川の宿毛大橋を渡って、延光
寺へ打ち戻りに向かう。

 橋の向こうで、延光寺を打ち終えた鶴岡の野宿遍路氏と行き交
う。何日か前に話したことを覚えておられ、「山形県遊佐町のウオ
ーキング大会に来るときには連絡を下さい」とのことで、納札を
交換した。

 南に並行していた国道56号に合し、次の信号で南側の遍路道
に入る。三差路に標識がないが、そばの作業場の方に教えても
らう。

 宿毛市立共同墓地横を経て国道56号に出て、戻り気味に北側
の旧道に回る。雲が増えて冷えてきた。風も冷い。黄色いキクが
花盛りで、サザンカも咲いている。1㎞ほどで再び国道に合流する。

 1.5㎞近く進み、北東に向かう遍路道へ。表示が無いので少し
迂回して別の遍路道に入り、39番延光寺に着く。38番金剛福寺
からまる3日の足どりだった。

 延光寺は、高知県最後の霊場。山門を入ると、延喜11年(911)
銘の、赤亀が梵鐘を背負った像がある。


 本堂で読経を始めたら、20人前後の団体遍路がやって来た。
12月に入ったが、土日にはやはりまだ巡拝バスの遍路ツアーが
あるようだ。

 もとの遍路道を戻る。食事によい場所がないので、国道に出る
手前の路傍で、立ったままで田んぼや山を見ながら、昨日、民宿
叶崎でお接待にいただいたおむすびを食べる。おむすびは海苔
付きで、リンゴも入っていた。

 風が冷たいので軍手を着用する。松田川を渡って市街地に戻っ
た角にある、宿毛歴史館に入る。

 吉田茂元首相など、幕末から昭和にかけて活躍した宿毛出身
の著名人20人の紹介や、企画展「一豊(かずとよ)土佐入国
功名のかなたに」など、30分近く観覧した。


 館のそばに、吉田茂の父と兄、竹内綱、明太郎顕彰碑と、その
実家があった。


 市内にはほかにも、宿毛ゆかりの人の生誕地などに、表示が
出ていた。

 14時47分、岡本旅館に入る。郷土料理が名物のようだが、
水道と風呂を工事中で、夕食は無い。

 9月に、料理に腕をふるったご主人が、入院3日、66才で急逝
し、後の処理が大変だったと、おかみさんが話された。

 夕食は、近くの焼き肉店兼居酒屋で。気温が低く、平地歩き
だけで汗をかかなかったので、毎日ずっと続けていた洗濯は休
んだ。

(コースタイム〉大島屋旅館7:40ー湊漁港8:10ー道の駅すくも8:42
~9:30ー岡本旅館10:20~22ー国道56号へ10:57ー39番延光寺
12:08~30ー中村の国道際(昼食)12:47~13:05ー宿毛歴史館
14:09~36ー岡本旅館14:47

(距離 22㎞、地図(1/5万) 宿毛、土佐中村、歩行地 宿毛市、
 歩数 35,900)
コメント (2)
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