今日、関東の梅雨明けが発表されました。いよいよ本格的
な夏の到来です。今日は気温も31℃前後で、風もあったので、
日陰に入るとさほど暑さは感じませんでしたが、暑さが続くと
しばらくは、私のウオーキングのペースも落ちそうです。
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ところで今日8月1日は、「旅する民俗学者」として知られる
宮本常一(みやもとつねいち)の生誕100年の記念日です。
宮本常一は、明治40年(1807)8月1日に、瀬戸内海に
ある山口県の周防(すおう)大島に生まれました。
宮本は、日本を代表する民俗学者といわれ、日本全国、島
の隅々まで歩き尽くし、73歳で昭和56年(1981)1月30日
に亡くなるまでに約16万㎞、およそ4000日に及ぶ旅をした
といわれています。
私がウオーキングを本格的に始めてから、15年ほどですが、
歩いた距離はやっと3万6000km余りです。宮本は、歩くだけ
でなく、聞き取り調査などをしながら16万kmもの旅をしたとい
うのですから、驚異的な足どりです。
旅路では、人びとの話に耳を傾け、風景や建物、物や道具な
ど、10万点に及ぶ写真を残し、昭和の日本人のありのままを
記録しました。
それだけではなく、日本の農林業振興や、離島振興、佐渡の
國鬼太鼓座の結成など芸能振興などにも尽力するなど、多方
面で活躍した人です。
私が宮本常一を知ったのは、カントリーウオークをはじめて、
普通の旅人が行かないような農村や山村を訪ね歩くようになり、
それらの土地の歴史や自然、農業や産物など、いろいろなもの
に興味を向けるようになり、そんな中でこの人の名が出てきた
のでした。
宮本常一の業績について、詳しくは知りませんでしたが、6月
19日(火)に東京・府中市の府中市郷土の森博物館で開催
された『宮本常一の足跡~旅する民俗学者の遺産~』という
特別展を見に行き(6月21日の当ブログ参照)、かなり分か
って来ました。
生誕100年に合わせ、最近、別冊太陽『宮本常一』が発売
されたと知り、今日購入しました(本体2200円)。
まだ1部しか読んでいませんが、以前読んだ宮本常一著
『民俗学の旅』にも掲載されている、15歳の春、周防大島から
大阪に出るにあたり父からおくられた十ヶ条が、彼の方向を
決定づけられたと知りました。
この中に、カントリーウオークでも、もっともと思われることが
述べられているので、抜粋します。
--------------------------
1.汽車に乗ったら窓から外をよく見よ。田や畑に何が植え
られているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか
小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ること
だ。駅へついたら人の乗りおりに注意せよ。そしてどういう
服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷置き場にどう
いう荷がおかれているかをよく見よ。そういうことでその土地
が富んでいるか貧しいか、よく働くところがそうでないところ
かよくわかる。
2.村でも町でもあたらしく訪ねていったところは必ず高いとこ
ろへ上がってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ、峠
の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺
や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、
周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目を引いたものが
あったら、そこへはかならずいって見ることだ。高いところで
よく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない。
3.金があったら、その土地の名物や料理は食べておくのが
よい。その土地のくらしの高さがわかるもので。
4.時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。
いろいろのことを教えられる。
( 中略 )
10.人の見残したものを見るようにせよ。その中にいつも大事
なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道を
しっかり歩いていくことだ。
--------------------------
宮本常一は15歳で大阪に出て、逓信講習所に入学し、卒業
後、1年間だけですが、大阪高麗橋郵便局で電信係として勤務
しました。
私も15歳で東京に出て、逓信講習所の後身の施設で学び、
初めての仕事も同様で、東京都内で5年間勤務しました。
宮本の業績には及びもつきませんが、偉大な先輩として、
もっと詳しく彼の足跡を知りたいと思っています。
な夏の到来です。今日は気温も31℃前後で、風もあったので、
日陰に入るとさほど暑さは感じませんでしたが、暑さが続くと
しばらくは、私のウオーキングのペースも落ちそうです。
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ところで今日8月1日は、「旅する民俗学者」として知られる
宮本常一(みやもとつねいち)の生誕100年の記念日です。
宮本常一は、明治40年(1807)8月1日に、瀬戸内海に
ある山口県の周防(すおう)大島に生まれました。
宮本は、日本を代表する民俗学者といわれ、日本全国、島
の隅々まで歩き尽くし、73歳で昭和56年(1981)1月30日
に亡くなるまでに約16万㎞、およそ4000日に及ぶ旅をした
といわれています。
私がウオーキングを本格的に始めてから、15年ほどですが、
歩いた距離はやっと3万6000km余りです。宮本は、歩くだけ
でなく、聞き取り調査などをしながら16万kmもの旅をしたとい
うのですから、驚異的な足どりです。
旅路では、人びとの話に耳を傾け、風景や建物、物や道具な
ど、10万点に及ぶ写真を残し、昭和の日本人のありのままを
記録しました。
それだけではなく、日本の農林業振興や、離島振興、佐渡の
國鬼太鼓座の結成など芸能振興などにも尽力するなど、多方
面で活躍した人です。
私が宮本常一を知ったのは、カントリーウオークをはじめて、
普通の旅人が行かないような農村や山村を訪ね歩くようになり、
それらの土地の歴史や自然、農業や産物など、いろいろなもの
に興味を向けるようになり、そんな中でこの人の名が出てきた
のでした。
宮本常一の業績について、詳しくは知りませんでしたが、6月
19日(火)に東京・府中市の府中市郷土の森博物館で開催
された『宮本常一の足跡~旅する民俗学者の遺産~』という
特別展を見に行き(6月21日の当ブログ参照)、かなり分か
って来ました。
生誕100年に合わせ、最近、別冊太陽『宮本常一』が発売
されたと知り、今日購入しました(本体2200円)。
まだ1部しか読んでいませんが、以前読んだ宮本常一著
『民俗学の旅』にも掲載されている、15歳の春、周防大島から
大阪に出るにあたり父からおくられた十ヶ条が、彼の方向を
決定づけられたと知りました。
この中に、カントリーウオークでも、もっともと思われることが
述べられているので、抜粋します。
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1.汽車に乗ったら窓から外をよく見よ。田や畑に何が植え
られているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか
小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ること
だ。駅へついたら人の乗りおりに注意せよ。そしてどういう
服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷置き場にどう
いう荷がおかれているかをよく見よ。そういうことでその土地
が富んでいるか貧しいか、よく働くところがそうでないところ
かよくわかる。
2.村でも町でもあたらしく訪ねていったところは必ず高いとこ
ろへ上がってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ、峠
の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺
や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、
周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目を引いたものが
あったら、そこへはかならずいって見ることだ。高いところで
よく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない。
3.金があったら、その土地の名物や料理は食べておくのが
よい。その土地のくらしの高さがわかるもので。
4.時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。
いろいろのことを教えられる。
( 中略 )
10.人の見残したものを見るようにせよ。その中にいつも大事
なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道を
しっかり歩いていくことだ。
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宮本常一は15歳で大阪に出て、逓信講習所に入学し、卒業
後、1年間だけですが、大阪高麗橋郵便局で電信係として勤務
しました。
私も15歳で東京に出て、逓信講習所の後身の施設で学び、
初めての仕事も同様で、東京都内で5年間勤務しました。
宮本の業績には及びもつきませんが、偉大な先輩として、
もっと詳しく彼の足跡を知りたいと思っています。