2005年7月31日(日) 晴雷雨後曇り
=古道紀行「金剛山の道」に参加=
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=34/23/47.102,135/41/14.541&scale=250000)
遍路シンポジウムの翌日、6時15分起床、7時から
朝食、7時20分に谷町4丁目のビジネスホテルを出る。
谷町四丁目から谷町九丁目まで地下鉄で行き、近くの
上本町駅から近鉄大阪線の急行に乗った。
今日は、かねてから興味を持っていた、たなかよしゆき
さんの古道紀行「金剛山の道」に参加させてもらうことに
した。
猛暑の中、標高差1000m近い金剛山に上るのは…、
とためらいもあったが、もっと暑い大阪や京都市内をふら
つくよりもと思い、たなかさんには事前連絡もせず集合地
に向かった。
大和高田駅下車、JR和歌山線高田駅へ、10分の乗り
換え時間だから十分間に合うと思っていたが、両駅は思っ
たより離れていた。後半は小走りして、すでに到着してい
た下り電車に飛び乗った。
同じ車内に、たなかさんや今日の参加者の皆さんも一緒
だった。8時54分、奈良県五條市の北宇智駅に下車する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/6c/2ac385a241335fc419ec1d9a253c30fd.jpg)
無人のこの駅は、近畿圏でただ一つというスイッチバック
になっている。北側からホームに入った列車は北側に戻り、
東側に平行する本線を南に、次の駅に向かう。
たなかさんから地図が配られ、コース概要の説明がある。
そのあと特別参加の私を紹介してもらった。今日の参加者
は19名、うち女性の方は6名である。
駅を出て西へ、コンクリートの橋脚と道床だけ完成し、未
開通の京奈和自動車道路の下をくぐり、つじの山古墳へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/5d/1550d52a4d2a2109edbb6993ad5b56aa.jpg)
一辺52m、高さ9mほどの2段築成の方墳で5世紀後
半のものらしい。墳丘の上は竹などに覆われていた。
これから上がる金剛山の稜線が北西に見える。塔の辺り
が山頂だというがかなりの高度である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/d9/d64981d187b2905bf210d976f9c1864a.jpg)
近内町の家並みの間を西に少しずつ上がって御霊(ごり
ょう)神社に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/2c/c87185db66a4d6e28e1d51e9ad6187fa.jpg)
この宮司さんの奥様が関西・N会のメンバーYさんとの
こと。社務所前でスイカのお接待があり、渇いたのどが甘
く潤う。
さらに本殿にて宮司さんが今日の紀行の安全祈願をして
下され、「撤饌」と書かれたお供物までいただいた。
厚く御礼申し上げ神社を出る。以前、境内には杉の大木
が林立していたそうだが、平成10年9月の台風で倒れた
とのこと、現在、老木は残っていなかった。
棚田や家並みの間を小和町の鳳凰寺まで上がる。高台
なので南側の展望がよい。境内にクルマユリが咲いてい
た。県道261号を横断しさらに上り道が続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/e2/ec14943b73e15b8198b70fab81792677.jpg)
この辺りの民家は、中二階の窓が楕円形の独特のつく
り、たなかさんに聞くと、中籠窓というのだそうだ。近くに
寛政8年(1796)銘の「金剛山道」の道しるべが立つて
いた。
小和町の集落が終わり山道に入ると、夏草が繁って胸
のあたりまで伸びている。やがて細めの杉林に入り、幾
分蒸し暑さが和らいだ。
雲が広がってきたのか林の中は薄暗くなり、午前中だ
というのにヒグラシが盛んに鳴き出した。
高宮廃寺跡への分岐を過ぎ、さらに杉林の上りが続く。
ゴロゴロと雷鳴が聞こえてきて、間もなく大粒の雨が落ち
てきた。
落雷したらしく、ズドーンという大音響にビックリ。
急いで雨具を着けそのまま止まって待つことにした。
15分前後待っただろうか、雷鳴は遠のき雨も小降りに
なったので再び上り始める。すぐ近くに欽明水と呼ぶ湧水
地があり、細い流れが登山道を横切っていた。しかし日照
りが続いていたためか、流量は思ったより少ない。
ここが昼食予定地。12時を少し過ぎていたが濡れてい
て腰を下ろす場所がないので、屋根のある所まで上がる
ことにする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/08/94793380bb0cfe38b1c74a9fce6d7034.jpg)
濃いもやに覆われた樹林をジグザグに上り、稜線に出た。
今までは人に会わなかったが、大阪側から上ってグループ
と次々に行き交い、急に賑やかになった。
キャンプ場などのある「ちはや園地」に香楠荘(こうなんそ
う)という宿泊施設があり、その屋根下やそばのベンチなど
で遅い昼食をする。雷雨で気温が下がったのか、すっかり
涼しくなった。
14時香楠荘前を出発、太いブナや杉木立などの稜線を
金剛山頂にある葛木(かつらぎ)神社に向かう。
北側の展望が開けた場所があった。下から白い雲がわき
上がり、間近に大和葛城山(959.2mのまろやかな山上
や、二上山、生駒山らしい稜線が霞んで見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/c1/78d2b594ea873d59b7518e7e574692a3.jpg)
雨上がりの好展望を皆で楽しんだ。
二千五百回参拝とか千回参拝とか記された朱塗りの奉
納灯籠の間を上がり、老杉に囲まれた葛木神社に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/8a/26e935edffd0f3050e29728043fff4a6.jpg)
まず無事登頂を感謝して神社に参拝し、社殿前で記念
撮影をする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/fc/cd62cc69029814c372ae8753ce5f9f0b.jpg)
葛木神社は、日本二百名山・金剛山(1125m)の山頂
付近にあり、一言主神、後醍醐天皇、楠木正成を祭る。
神殿は、関西では珍しいという大社造りである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/95/00c93193acee224a4323231e99fe4a10.jpg)
太いしめ縄を張った福石や夫婦杉、朱塗りの奉納灯籠
の間を下ると転法輪寺(てんぽうりんじ)に出る。開基は、
役(えんの)行者(ぎょうじゃ)と伝わる山岳宗教の霊地で、
真言・天台両宗の修験地、明治までは女人禁制だったと
いう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/58/51b31ebc784f4f73fd0abda2fddabecf.jpg)
役行者は、葛木神社や転法輪寺のある奈良県御所(ご
せ)市の生まれとのこと。
境内に、葉先が金魚の尾のように分裂した金魚椿(きん
ぎょつばき)という珍しいツバキがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/17/383fa908669bdcddd91897395e23eec4.jpg)
近くのトイレにあった温度計は23℃、雷雨のお陰で
すっかり涼しくなった。
ここから大阪府千早赤阪(ちはやあかさか)村への下山
路は幾つもある。今日は、短距離で東側に下る千早新道
を下ることになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/26/f471ae7ee859485ce4fef9ad3f6677ce.jpg)
太いブナ林に霧が立ちこめ、幽玄的な…とでもいおうか、
独特の雰囲気に満ちている。土道を細い丸木で止めた階
段の道がいやというほど続く。
どんどん下るのはよいが、あまりにも階段が続くので、
ひざが笑いそうになった。
楠木正儀墓と記された五輪塔があった。正儀は楠木正成
の次男、千早赤阪村は楠木正成の生誕地で、江戸時代の
「河地鑑名所鑑記」にはこの塔は「楠正成石塔身」と書か
れていたとか。いずれにしても楠木家ゆかりのものらしい。
やがて千早城跡に下る。千早城は、楠木正成が後醍醐
天皇に従い兵を挙げたところ。急峻な地形を利用した巧み
なゲリラ戦法で鎌倉幕府軍を悩ませ、100日の籠城の間
に鎌倉幕府が滅亡し、建武新政に尽くしたという。
城跡からは東側の展望が開け、河内長野市街や関西
空港、さらに遠く淡路島などが眺められた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/fb/031f001e11e62a6c1b3b011d939d6d76.jpg)
城跡から下の階段は一層ステップが高く、疲れの増した
足に追い打ちをかける。しかし長くは続かず、16時21分、
金剛山登山口バス停にゴールした。
バス停からは、河内長野行きと富田林行きが出る。私は、
過半数の皆さんと16時29分発富田林行きに乗る。
千早赤阪村は、「日本棚田百選」の「下赤坂棚田」があり、
棚田の村でもある。バスは棚田の間を下って富田林駅に
着いた。
富田林駅から近鉄長野線、南大阪線直通の急行で大阪
阿部野橋駅経由、連泊の東横インに戻った。
山麓の御霊神社で安全祈願していただいたお陰で、雷雨
もたいしたことなく通過し、涼しくなった金剛山に登頂で
きた。
役行者や楠木正成ゆかりの地をめぐり、ブナ林や棚田
など、大阪府とは思えぬ豊富な自然も見られ、充実した
古道紀行であった。
(参加 19人、距離 12㎞、地図 五條、御所、歩行地
奈良県御所市、五條市、大阪府千早赤阪村)
=古道紀行「金剛山の道」に参加=
遍路シンポジウムの翌日、6時15分起床、7時から
朝食、7時20分に谷町4丁目のビジネスホテルを出る。
谷町四丁目から谷町九丁目まで地下鉄で行き、近くの
上本町駅から近鉄大阪線の急行に乗った。
今日は、かねてから興味を持っていた、たなかよしゆき
さんの古道紀行「金剛山の道」に参加させてもらうことに
した。
猛暑の中、標高差1000m近い金剛山に上るのは…、
とためらいもあったが、もっと暑い大阪や京都市内をふら
つくよりもと思い、たなかさんには事前連絡もせず集合地
に向かった。
大和高田駅下車、JR和歌山線高田駅へ、10分の乗り
換え時間だから十分間に合うと思っていたが、両駅は思っ
たより離れていた。後半は小走りして、すでに到着してい
た下り電車に飛び乗った。
同じ車内に、たなかさんや今日の参加者の皆さんも一緒
だった。8時54分、奈良県五條市の北宇智駅に下車する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/6c/2ac385a241335fc419ec1d9a253c30fd.jpg)
無人のこの駅は、近畿圏でただ一つというスイッチバック
になっている。北側からホームに入った列車は北側に戻り、
東側に平行する本線を南に、次の駅に向かう。
たなかさんから地図が配られ、コース概要の説明がある。
そのあと特別参加の私を紹介してもらった。今日の参加者
は19名、うち女性の方は6名である。
駅を出て西へ、コンクリートの橋脚と道床だけ完成し、未
開通の京奈和自動車道路の下をくぐり、つじの山古墳へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/5d/1550d52a4d2a2109edbb6993ad5b56aa.jpg)
一辺52m、高さ9mほどの2段築成の方墳で5世紀後
半のものらしい。墳丘の上は竹などに覆われていた。
これから上がる金剛山の稜線が北西に見える。塔の辺り
が山頂だというがかなりの高度である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/d9/d64981d187b2905bf210d976f9c1864a.jpg)
近内町の家並みの間を西に少しずつ上がって御霊(ごり
ょう)神社に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/2c/c87185db66a4d6e28e1d51e9ad6187fa.jpg)
この宮司さんの奥様が関西・N会のメンバーYさんとの
こと。社務所前でスイカのお接待があり、渇いたのどが甘
く潤う。
さらに本殿にて宮司さんが今日の紀行の安全祈願をして
下され、「撤饌」と書かれたお供物までいただいた。
厚く御礼申し上げ神社を出る。以前、境内には杉の大木
が林立していたそうだが、平成10年9月の台風で倒れた
とのこと、現在、老木は残っていなかった。
棚田や家並みの間を小和町の鳳凰寺まで上がる。高台
なので南側の展望がよい。境内にクルマユリが咲いてい
た。県道261号を横断しさらに上り道が続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/e2/ec14943b73e15b8198b70fab81792677.jpg)
この辺りの民家は、中二階の窓が楕円形の独特のつく
り、たなかさんに聞くと、中籠窓というのだそうだ。近くに
寛政8年(1796)銘の「金剛山道」の道しるべが立つて
いた。
小和町の集落が終わり山道に入ると、夏草が繁って胸
のあたりまで伸びている。やがて細めの杉林に入り、幾
分蒸し暑さが和らいだ。
雲が広がってきたのか林の中は薄暗くなり、午前中だ
というのにヒグラシが盛んに鳴き出した。
高宮廃寺跡への分岐を過ぎ、さらに杉林の上りが続く。
ゴロゴロと雷鳴が聞こえてきて、間もなく大粒の雨が落ち
てきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
急いで雨具を着けそのまま止まって待つことにした。
15分前後待っただろうか、雷鳴は遠のき雨も小降りに
なったので再び上り始める。すぐ近くに欽明水と呼ぶ湧水
地があり、細い流れが登山道を横切っていた。しかし日照
りが続いていたためか、流量は思ったより少ない。
ここが昼食予定地。12時を少し過ぎていたが濡れてい
て腰を下ろす場所がないので、屋根のある所まで上がる
ことにする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/08/94793380bb0cfe38b1c74a9fce6d7034.jpg)
濃いもやに覆われた樹林をジグザグに上り、稜線に出た。
今までは人に会わなかったが、大阪側から上ってグループ
と次々に行き交い、急に賑やかになった。
キャンプ場などのある「ちはや園地」に香楠荘(こうなんそ
う)という宿泊施設があり、その屋根下やそばのベンチなど
で遅い昼食をする。雷雨で気温が下がったのか、すっかり
涼しくなった。
14時香楠荘前を出発、太いブナや杉木立などの稜線を
金剛山頂にある葛木(かつらぎ)神社に向かう。
北側の展望が開けた場所があった。下から白い雲がわき
上がり、間近に大和葛城山(959.2mのまろやかな山上
や、二上山、生駒山らしい稜線が霞んで見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/c1/78d2b594ea873d59b7518e7e574692a3.jpg)
雨上がりの好展望を皆で楽しんだ。
二千五百回参拝とか千回参拝とか記された朱塗りの奉
納灯籠の間を上がり、老杉に囲まれた葛木神社に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/8a/26e935edffd0f3050e29728043fff4a6.jpg)
まず無事登頂を感謝して神社に参拝し、社殿前で記念
撮影をする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/fc/cd62cc69029814c372ae8753ce5f9f0b.jpg)
葛木神社は、日本二百名山・金剛山(1125m)の山頂
付近にあり、一言主神、後醍醐天皇、楠木正成を祭る。
神殿は、関西では珍しいという大社造りである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/95/00c93193acee224a4323231e99fe4a10.jpg)
太いしめ縄を張った福石や夫婦杉、朱塗りの奉納灯籠
の間を下ると転法輪寺(てんぽうりんじ)に出る。開基は、
役(えんの)行者(ぎょうじゃ)と伝わる山岳宗教の霊地で、
真言・天台両宗の修験地、明治までは女人禁制だったと
いう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/58/51b31ebc784f4f73fd0abda2fddabecf.jpg)
役行者は、葛木神社や転法輪寺のある奈良県御所(ご
せ)市の生まれとのこと。
境内に、葉先が金魚の尾のように分裂した金魚椿(きん
ぎょつばき)という珍しいツバキがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/17/383fa908669bdcddd91897395e23eec4.jpg)
近くのトイレにあった温度計は23℃、雷雨のお陰で
すっかり涼しくなった。
ここから大阪府千早赤阪(ちはやあかさか)村への下山
路は幾つもある。今日は、短距離で東側に下る千早新道
を下ることになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/26/f471ae7ee859485ce4fef9ad3f6677ce.jpg)
太いブナ林に霧が立ちこめ、幽玄的な…とでもいおうか、
独特の雰囲気に満ちている。土道を細い丸木で止めた階
段の道がいやというほど続く。
どんどん下るのはよいが、あまりにも階段が続くので、
ひざが笑いそうになった。
楠木正儀墓と記された五輪塔があった。正儀は楠木正成
の次男、千早赤阪村は楠木正成の生誕地で、江戸時代の
「河地鑑名所鑑記」にはこの塔は「楠正成石塔身」と書か
れていたとか。いずれにしても楠木家ゆかりのものらしい。
やがて千早城跡に下る。千早城は、楠木正成が後醍醐
天皇に従い兵を挙げたところ。急峻な地形を利用した巧み
なゲリラ戦法で鎌倉幕府軍を悩ませ、100日の籠城の間
に鎌倉幕府が滅亡し、建武新政に尽くしたという。
城跡からは東側の展望が開け、河内長野市街や関西
空港、さらに遠く淡路島などが眺められた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/fb/031f001e11e62a6c1b3b011d939d6d76.jpg)
城跡から下の階段は一層ステップが高く、疲れの増した
足に追い打ちをかける。しかし長くは続かず、16時21分、
金剛山登山口バス停にゴールした。
バス停からは、河内長野行きと富田林行きが出る。私は、
過半数の皆さんと16時29分発富田林行きに乗る。
千早赤阪村は、「日本棚田百選」の「下赤坂棚田」があり、
棚田の村でもある。バスは棚田の間を下って富田林駅に
着いた。
富田林駅から近鉄長野線、南大阪線直通の急行で大阪
阿部野橋駅経由、連泊の東横インに戻った。
山麓の御霊神社で安全祈願していただいたお陰で、雷雨
もたいしたことなく通過し、涼しくなった金剛山に登頂で
きた。
役行者や楠木正成ゆかりの地をめぐり、ブナ林や棚田
など、大阪府とは思えぬ豊富な自然も見られ、充実した
古道紀行であった。
(参加 19人、距離 12㎞、地図 五條、御所、歩行地
奈良県御所市、五條市、大阪府千早赤阪村)