あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

あるコルト1100の事

2007-02-09 22:58:47 | 三菱コルト1100
3年前の事
三菱旧車仲間から
「栃木でコルト1100に乗られるおじいさんがテールレンズを割られて部品が無くて困っている」
と連絡があった。

メールの内容『持ち主のおじいさんも、すっかり気持ちがへこんでしまって
 おりまして・・・・。
 派手に割れてしまっておりまして修復も不可能。
 その車両を長年面倒見てきた三菱系の民間修理工場も
 お手上げ状態です。
 ふつうの人がふつうに維持してきた車だけに、当然ながらも
 予備パーツなどは持っていなかった様子なのです。』


後ろから追突されてボディーには影響が無いものの、左のレンズが割れてしまったのだという。
「栃5」のシングルナンバーが付いたコルトの画像を見るとレンズの修復は不可能な事が一目瞭然

ワンオーナーのおじいさんは単に「壊れないから」という理由で普通に乗っていた。別に古い車が好きだ、という訳でもない。

それまでこのようなコルト1100が残っている事は知らなかった

今から10年程前に廃車にするコルト1100から部品を取りに行った時に
「これも持って行け」と年季の入ったテールレンズを渡された
その時は『いらないよ』と思ったのだが思わぬ所で役に立つとは。
私のコルトのリアトランクはその部品取り車から付け替えた物。

さっそく物置の奥からそのテールレンズを探して送ると
大喜びの様子が分る連絡が届いた。

『昨日深夜、真っ先に部品を届けてまいりました。
 おじいさん、修理屋さん、ともに胸をなで下ろした
 様子でした。
 一台のA21が延命できました。
 本当にありがとうございました。
 あのままでは日々の走行も危険・・危うく廃車に
 なるところでした。』

遠く逢った事も無いが同型のコルトが延命出来たこと
長年連れ添った車を失いかけて落胆したおじいさんが喜んでくれたこと

人の繋がりの素晴らしさを改めて感じた。
また
部品取りで廃車になったコルトの一部が再び生きているということ
それも嬉しかった

直後、修理工場の方からお礼の手紙と写真が届いた
 『(略)部品は入らないと言う言葉を報告しなければならないと思った時
 どうしようかと思いました。
 しかし、彩雲さんから善意によるテールレンズを頂き、その旨を伝えた時の
 あの顔は今でも忘れられません(略)』

その写真にはコルトの前に立つおじいさんの姿があった。
更に別便で当のおじいさんから地酒が一升瓶で送られてきた。
その地酒の名前は「絆(きずな)」だった。

私のコルトのトランクとおじいさんのリアレンズ

その2台をつなぐ絆だと思う事にした。
「絆」の味は格別にうまく、機会があったら自分でも買ってみようと思っていた。

いつかは会って、2台を並べてみたい。
しかしコルトで栃木まではあまり遠い。故障したら帰って来られない・・・。

そう思っていた。
 
 でも逢ってみたかったし話しもしてみたかった
 
因みに彩雲家の親戚が栃木の益子町に住んでおり東北道が開通していない子供の頃にコルトで何度も遊びに行ったものだ。

それから一年ほどしただろうか

栃木に住むDEBOPACERさんから
 『走っていたらいきなり向こうからコルト1100が走ってきた!』
と驚きのメールが届いた。
写真を撮らせてもらい、後日そのおじいさん宅に伺ってデボネアとコルトを並べて撮影しその写真を見せてもらった。
その際にDEBOPACERさんが前に撮った私のコルトの写真をおじいさんに見せてくれたそうだ。

縁とは不思議なものだと思う

ふと心配になったのがオイルエレメント。
コルト1100のエレメントは現代のようなカートリッジ式ではなく中のフィルターだけを換えるタイプ。20年前から製廃となっている。
しかし変えないと最悪、紙が溶けてエンジン内に廻ってしまう。
件の修理工場に電話で聞いてみると「部品が無くて変えていない」
との事だった。
その後、エレメントを二個入手したので一個を工場に送り
「次回の車検時に変えて。でも、おじさんには黙っていて下さい」
とお願いをした。
私からだと知ったら気を使ってしまうだろうから
 
いつまでもおじいさんのコルトが元気で走っていてくれればそれでいい


先月の24日
私はコルトで横浜から栃木まで往復500㌔の旅に出た。
一日で走る距離としては私の最長記録だった。

目的はdebopacerさんに用事があり思い切ってコルトで遊びに行く決心をした
用事も終わりdebopacerさんと二人でおじいさんの家を訪ねる事にした。

しかし、奥様が出てきて
「一年前から入院している」と伝えられた。
奥様は訪ねてきてくれた事を喜んでくれて
上がっていくように、と薦められたのでお茶とお菓子をご馳走になった。

納屋にあるコルトを見せて戴くと一年以上エンジンを掛けてないのでバッテリーは上がっていた。



それでも逢えただけで満足だ。


(上記二枚はdebopacerさん撮影)

お土産に白菜を持たせてもらって帰る時の事だ。
奥様にお礼を告げ私のコルトのエンジンを掛けた瞬間
奥様が助手席の窓に駆け寄ってきた。

「(エンジンの)音がうちのとおんなじ!!!」

嬉しそうな顔だった。立場が逆だったら私も同じように感じただろう。
奥様にしてみれば一年ぶりに聞いたエンジン音だったのだ。


今度は退院されてからdebopacerさんと一緒に訪れたい。
そしてコルト二台で写真を撮ろう!


結局私はおじいさんに逢う事はなかった
今月の6日に亡くなった事を先ほど知った
愕然としご冥福をただ祈るだけだった

それでもあるコルト乗りが亡くなられた事を知って戴きたく記す事にしました


あの時、走り去るコルトのエンジン音を奥様はどんな気持ちで聞いていたのだろう


その後・・・
こちらのブログを是非、ご覧下さい

http://blog.livedoor.jp/debopacer/archives/50911905.html



 


コメント (11)
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