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(波さん撮影)
翌日福島屋旅館を出て向かった先は昭和41年8月1日開業の
熱海新道。
出掛ける前に道路地図を見て福島屋のご主人と歓談する波さん
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波さんが持ってきた地図は昭和40年代の地図でした・・・
「チトセドライブイン」とか載っているけどやってないし。
この手の地図を見ると「未舗装区間」とかが記されているので
当時の道路状況を垣間見れ楽しいです。
こちらは開通間もない熱海新道のようす。
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週刊サンケイ 1000万人の乗用車67年号より転載
熱海パークウエー(パークウェイ)とも言うみたいですね。
今で草木に覆われてこのような景観は望めません。
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(熱海新聞 昭和41年7月28日)
普通車300円!
この年に発売されたグリコのポッキーが60円
週刊プレーボーイも60円の時代でした。
このようなマイカー族が走ったのでしょうね
↓ ↓
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(波さん撮影・・・夏の雰囲気が出ています)
この道は何度も通った事があるが
かつて「有料道路だった」時代の料金所が
どこにあったのか判らなかったので
今回波さんに教えてもらいます。
前回「熱海新道に車影なし」
http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/a1b74f6cd8022e52705ce22a51578a0d
と書いたところ
『そこはまだ熱海新道の区間ではなくもっと上です』と
ご指摘を受けました。
だいたいの場所を聞いて「あぁ、あの辺か」と思い
「短い区間だったんだな」と思っておりました。
が、波さんからは
「そこ以外にも料金所はもう一つあった」と更なる指摘。
波さん曰く
「熱海城を上がってすぐです」
それらしい場所なんてあったかな??
「そこですよ」
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車の向きは逆ですが手前が熱海口
そこは熱海城の急坂を登ってしばらくすると仏舎利塔へと
分かれる道のある所でした。
「少しだけ広くなっているでしょ」
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はぁ・・・
確かに言われてみると・・・
「一つ目はここにあったんですよ。ちょうど分かれ道になっているんです」
かなり以前に廃止となったのだろう。
僅かに広がりがあるだけで何の痕跡も見つからない。
こんな所にねぇ~・・・
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(熱海新聞 昭和41年4月20日)
帰宅後にウィキペディアで調べると一つ目が廃止となった経緯が
書いてあった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E6%B5%B7%E6%96%B0%E9%81%93
↑の概要にある「旧起点」はまさにそこです。
有料道路としての晩年は半分と短くなってしまったのですね。
続いて熱海自然郷管理事務所前にあったという
「新」料金所跡に向かう。
この熱海新道
急坂なのにとても走りやすいです。
坂道はきついけど後続車が殆どいないので非力な旧車でも
マイペースで走れるのです。
しかし「新道」の割には道路脇に雑草が生い茂り
「廃道」っぽくもあります。
途中広場のような駐車場がある。
「何があったの?」と訊ねると
『モーテルがあったんですよ』
ほとんど車が通らないから
無くなってしまうのも無理はない。
なんとも寂しい道だ。
「そこですよ」
何度も普通に通っていたそこは
路面に痕跡がはっきりと残っていた。
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真ん中には徴収ブースの跡と
路肩には支柱を埋めた跡(4つ)が残っていた事から
屋根があったのが容易に想像がつく。
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道路真ん中のブース跡から撮影
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屋根を支えた支柱の跡(4箇所あります)
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手前にポツンと立つ水銀灯も料金所用に造られた
名残なのかもしれない。
通行する車はたまにしかやって来ない。
暑い夏の日曜日。爽やかな青空の下、路肩に座りモータリゼーション華やかりし頃の熱海を思い浮かべる。
充分に休んだ後、車に戻ると
カーラジオのアンテナにはトンボが停まっていた。
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(波さん撮影)
新料金所から玄岳料金所まで後続車はなかった。
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終点
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(熱海新聞 昭和41年7月30日)
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案内してくれた波さんが立つ場所は玄岳料金所手前にある駐車スペース。
記事にある「玄岳付近で開通祝賀式」とは
この場所で行われたのではないでしょうか。
次回は伊豆スカイライン編です。