中にはひるとそのために、すつかり腹が空くほどだ。そしてじつさいオツベルは、そいてで上手に腹をへらし、ひるめしどきには、六寸ぐらゐのビフテキだの、雑巾ほどあるオムレツの、ほくほくしたのをたべるのだ。
☆註(意味を書き記すこと)を伏(隠して)句(言葉)を章(文章)に修めている。
寸(ごく短く)造(つくること)を、勤(努めている)。
『会話術』(Espsna)
室内から瀕死の闘牛を見ているのだろうか。
二つの時空をずらして重ねている。遠くに見える街、牛は頭部にナイフが突き刺さったまま血を流しながらここまで逃げてきたのだろうか。それともここが闘牛場なのか。
山(丘)の上なのか海の底(水平線の位置が限りなく高い)なのか・・・。
牛は大量の血を流しながら頭部をもたげ、まだ生きている。恨めし気な眼差し。闘牛士のマントが牛の背に掛けられている。彼は未だ側らにいるのだろうか。
一方的な殺傷、殺すべき人と殺されるべき牛。ここに会話は成立しない。強者の傲慢が残るのみである。
牛に生きる権利はないのか、牛は自己主張を伝える術を持たない。遠く観衆の歓声を聞きながら、死を受け入れるしかない牛。
言葉を持たない悲哀。牛は夢を見るだろうか、夢も愛も一撃によって失わざるを得ないこの牛の宿命。
「助けてください!」牛の懇願が伝わることなく、闘牛士の勝利は歓声をもって迎えられる。この不条理に異議を申し立てるものは・・・。
会話のない空虚な空気を、条理を外して描いている。
(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)
『吐いてごらん。おや、たつたそれきりだらう。いゝかい、兄さんが吐くから見ておいで。そら、ね、大きいだらう。』
『大きかないや、おんなじだい。』
☆途(みちすじ)は啓(人の目を開いて理解させる)図りごとである。
兼ねた題(テーマ)は他意である。
Kは、だれかあらわれて、エルランガーの部屋を教えてくれ、こんな冒険をせずにすむおうにしてくれないものかと、もう一度廊下のあとさきを見まわした。しかし、長い廊下は、ひっそりとして、人影もなかった。
☆だれか来ないものか、だれか案内してくれないものかと、先祖の傷痕のあちこちの経過を見ていた。長い経過には活気もなく何もなかった。