続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

感動!

2018-12-06 09:25:55 | 日常

 月初めの魔(?)の水曜日・・・怖いなぁ、歩き通せるかなぁ…不安でいっぱい。
 大船駅集合~大長寺~散在ケ池(昼食)~天園ハイキングコース~獅子舞~永福寺跡鶴岡八幡宮~JR鎌倉駅まで、歩き通せた感動に浸っている。(27.954歩)

 膝関節痛を発症してから約二十年、急激な進行もなく何とか無事に今日に至っているのも、外出嫌いの習慣に、敢えて叱咤し歩こうとしているおかげかも知れない。
 歩けなくなったら《自分の好きなことに支障が出る》その一念。

 71才10ヶ月、時間がないね、きっと。
 何にもないけど人生終盤、すり減った体力をなだめすかして出来ることを重ねている。笑われてもいいから、自分自身さえも笑い飛ばして今日できることを敢行。
 目覚めると、今日も頑張ろうと思う。

 その気持ちを支えてくれる「歩こう会」や「ラジオ体操」に、深く深く感謝している。 


🈞マグリット『自然の驚異』

2018-12-06 07:07:24 | 美術ノート

   『自然の驚異』

 自然の驚異・・・不自然の驚異とでも呼びたい作品である。
 下半身は人類、上半身は魚類、全体の様子は男女に見える。しかし、その質感は肉(有機質)ではなく、石(無機質)である。石(無機質)に情愛は無い。
 海上に浮かぶ帆船の形状は海(海水)で出来ており、液体が固体の態を成している。

 この混沌・・・少なくとも人の常識(観念)の枠を著しく破壊するもので、現実には物理的に成立不可の状況でしかない。

 岸壁の石、海の波状、空と雲に関してはごく自然であるが、これを驚異とは名付けない。この光景に中にある不自然極まる在り様・・・上半身が魚になった人間が寄り添うという精神の形を取っている。アーテストがこの像を造ることは有るかもしれないから肯定したとしても、海(液状)が帆船を作ることは絶対に不可能である。
 物理界に質的変換を起すような驚異の可能性はゼロであると断言できる。

 絶対に100%起こり得ない現象を描いて『自然の驚異』とし、こういう現象が起るものなら、一報願いたいとマグリットはほくそ笑んだのではないか。


(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)


『やまなし』㊱

2018-12-06 06:49:10 | 宮沢賢治

『本当かい。ぢゃ、も一つはくよ。』
『だめだい、そんなにのびあがつては。』
 またお父さんの蟹が出て来ました。


☆翻(作り変える/形を変えて移すと)道(神仏の教え)が逸(隠れている)。
 普く皆(すべて)推しはかる記である。


『城』3084。

2018-12-06 06:38:53 | カフカ覚書

しかし、こんどは軽い叫び声が起った。
 それは、小さな部屋で、幅ひろいベッドが、半分以上もの場所をふさいでいた。ナイト・テーブルのうえには、電気スタンドがともっていた。


☆しかし、今度は先祖の軽い叫び声が起こった。それは先祖の氏族の問題(テーマ)で先祖の請願が広がり場所を二分していた。小舟の側には電気のランプが灯っていた。