サークルの人からお誘いを頂いて久しぶりの観劇。
十年くらい前に劇団河童座の講習会に参加し、このホール(青少年会館3階)で、スタッフとして衣装を担当したことなど思いだした。
演劇空間、架空の異世界を垣間見せることの魔術的手腕。一丸となる協力体制、何が欠けてもいけない集まりの結束。
『伝説の女剣士降臨』は童話『シンデレラ姫』のAnother Stooryという伏線があって、すごく軽快なのりで楽しくも哀しいお話になっており、最後にシンデレラーが「わたしの靴ではありません」と去っていく現代性がカッコいい締め。
力演、好演・・・微妙にコミカル、とっても素敵でした。
小さい時にわたし達のサークルに通っていたkちゃんの成長ぶりにも感動。憎らしくなかったところが(身びいきとしては)良かったかも。
感動と勇気と活力を頂いたことでした!
ところがそのときオツベルは、ならんだ器械のうしろの方で。ポケットに手を入れながら、ちらつと鋭く象を見た。
☆鬼(死者/亡霊)の界(社会)の法(神仏の教え)の趣(狙い)は、新しい。
曵(引きずる)傷(悲しみ)が現れる。
『心臓への一撃』
バラの花、大輪の美しいバラである。ところがその枝分かれした茎からでているのは突先の鋭い短剣という構成。あるはずのない光景・現象である。
もちろん精神的な比喩であることは間違いないが、その重さを考えただけでも決してこのような形に留まることはないし、生えるはずのない荒地(岩)である。
バラの花に差す光と、バラの木の根元の陰翳では微妙に差異がある。(探検や緑葉の描き方で曖昧なムードにしているのはむしろ秀逸なテクニックを感じさせる)
すなわち不条理である。
明度や彩度の高いバラの花の印象が一見華やかに見せているが、この花を隠すとあとは陰鬱な暗い空気感が漂うばかりで海(水平線=真理)さえも半分は暈けている。
美しい花に目が眩み、他が見えなくなるということはある。
即ち『心臓への一撃』である。
バラの花に少し隠れた短剣の鋭利・・・嵐が襲来しそうな周りの気配。
美しいものへの警戒心、バラはただ美しいだけである。
(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より
『さうぢやないよ、僕の方大きいんだよ』弟の蟹は泣きさうになりました。
そのとき、トブン。
☆目(ねらい)は法(神仏の教え)が題(テーマ)であり、底(物事のもとになるもの)を究める。
「だれかね」
こうなると、そのまま出ていくわけにもいかなくなった。Kは、そのふっくらとした、しかし、残念ながら人の寝ているベッドをいまいましい思いでながめちたが、やがて相手の質問を思いだして、名前を名のった。
☆「だれですか」
Kはずっと先を行くこともなく、豊かな様子を不満げに観察していたが、悲しいことに虚しい請願をすることも相手の論及を指定することもなく、名前を名乗った。