二次元(平面/絵画)でのみ成立するベクトル。
この図をリアルに立体化することは不可能である。大きさ(想像される質量)と方向に明らかに不具合があるからで、実際の粉砕器を模しながら、決して作動することのない、むしろ崩壊を余儀なくされるものを、思案・熟考して描きあげた図である。
A’はAを模倣しているが、A≠A’である。模倣という手法の最大の特徴はモデルとは同一ではないという点であり、モデルにはなり得ないということである。形態を近似させても、実質は空虚であり、視覚は錯覚に過ぎないことを知るだけである。
感覚における誤作動を生じるが、単に無意味に帰すのではないか。模倣(描写)における努力は歴史上やりつくされている。
伝達・記録はすでに写真というメディアの成功がある。
『チョコレート粉砕器』は静かなる時代の終わり、静かなる破壊の告知ではないか。
自分(デュシャン)は《前衛》であり、叡智(文化)の最先端を行くものとしての表明を『チョコレート粉砕器』に掲げたのだと思う。
宣誓である。
写真は『DUCHAMP』より www.taschen.com
二三歩あるいてはしゃがみ、そしてなにか拾ろっている。自分はこの淋しい島影の小さな磯を漁っているこの人をじっと眺めていた。
☆弐(二つ)の算(見当をつけ)、字で和(調合し)重ねる。
二つの文は倫(人の行うべき道)として問う。
章(文章)の企てである。
霊(死者の世界)を尋ね調べている。
それはね、あの分配がほとんどドアをしめたきりでおこなわれねばならず、お役人がたどうしが直接交渉なさることができなかったという点にあるのですよ。直接に交渉なされば、もちろん、たちどころに話がつくでしょう。
☆あらゆる困難の主な事柄を少しも感じていないのですね。あの分配が閉ざされたドア行われなければならず、大ぜいの人たちと直接行き来することがなかったからです。互いに自然ならば、あっという間に通知することができたでしょう。