続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『花嫁』②

2020-02-18 06:58:22 | 美術ノート

 個々の物、それぞれの部分を見ると具体性がある。しかしそれをつなげて追っていくと殆ど意味は霧消してしまう。作動のプロセスにしては目的物が見えてこない構造であり不思議に重力を感じさせない空間は立体を描いて奥行きを感じさせないという奇妙さを平然と保っている。

 この作品は、上下左右を変えて見ても同じ感慨を抱くように設計されている。つまり捉えようのないこの時空は、動いていると見せかけて止まっているという不思議なムードを醸し出している。

『花嫁』は不特定多数への美称であり、仮装でもそれを認めることの出来る一種の幻想である。現実でありながら非現実の夢想を内包する言葉の不確実性、確定の持続はあり得ないが、祝福と共にのる冠である。
 しかし、この画に歓喜や感動はなく、ひたすら機械的である。
 なぜか。

『花嫁』、存在するが非存在の仮称であり、有るが無く、無いが有るものへの提示である。


 写真は『DUCHAMP』より www.taschen.com


『忘れえぬ人々』90.

2020-02-18 06:40:48 | 国木田独歩

「僕は朝早く弟と共に草履脚絆で元気よく熊本を出発った。


☆目(ねらい)を調べると、双(二つ)の態(ありさま)がある。
 驚くことに総て相(二つのものが互いに同じ関係にある)。
 規約の源の記は、幽(死者の世界)である。
 翻(作り変えて)推しはかるのは初めてである。


『城』3359。

2020-02-18 06:26:27 | カフカ覚書

つまり、お役人がたが部屋から出られなかったのは、あなたがあそこにおられたためです、もっぱらそのためなんです。なぜかと言いますと、お役人がたは、朝の寝起きの時刻にはとても恥ずかしがりで傷つきやすく、わが身を人眼にさらすことができないのです。たとえちゃんと着替えをされていても、裸同然で、とても人前に出られないとお感じになるのです。


☆大勢の人たちが部屋(テーマ/問題)から解放されることがなかったのは彼のためです。モルグ(身元不明者の死体公示所)には浅い眠りの恥ずかしがりやの(死体美氏らに人に)は非難されているのを見ます。まるで裸を周囲に見せるにはそれは躊躇するだろうと、確かにそう感じます。