『罠』
木製コート掛け、本来壁にあるものであるが、床に固定されているという。
絶対、絶対にあるはずのない物が、フラットな床にあたかも障害物として設置されている、この愚かしさ。
かつて作品は美しい物、感動を呼ぶものとして壁に掛けられていた。然るべき位置は概ね目の高さであり、それよりもずっと下、あるいはずっと上はない。木製コート掛けも然り、設置されるべき場所は決まっている。
使用目的、人の日常的な動きによって、位置は確定される。木製コート掛けを床に置く必然性は皆無であり、床に設置されるという偶然は決して有り得ない。
デュシャンは、決して無い状況を常に探している。決して無い状況は必然性をより強調、思い起こさせる。人の生活における必然を突き詰めて考え、そうあるべきであるという結論に風穴を開けようと凝視している。反目というよりは並べて同じ傾向を打破する、針の孔のような主張を提示している。
異端は正論ではないのか。
矛盾というのでもないとすれば、同列に置く資格はなくもない。しかし、不要、障害は存在しうるという主張は気づき難い。
床に固定されて噴飯物の『罠』(木製コート掛け)は静かに問いかけている。
写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより
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