『現実の感覚』
静かな里山、田園風景に浮かぶ巨大な岩石、その上空には二十六日あたりの月が南中している。
《非現実の光景》が『現実の感覚』であるという。
つまりは《心象風景》である。現実にはあり得ない景であるが、心象を具体化すればこのような現象になり、これこそが「内なる現実の感覚」であると。
重い巨石(不安・危惧の象徴)が常に心の内を動かし難く占めている。見えないはずの月(二十六日の月の南中は明け方は見えても真昼には太陽光によって見えない)を抱く不条理。
風景ではない、感覚である。見えないはずの感覚を具象化すればまさにこの泰然とした不条理極まる景こそが『現実の感覚』になる。心は常に現実(田園風景)から離脱・浮遊し、虚実の交錯した時空がわたくし(マグリット)の『現実の感覚』である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
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