続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『観念』

2015-07-15 06:36:08 | 美術ノート
 比較的分かりやすい、そのものという作品。(に見える)

 林檎(果実)に被せられた、信仰における固定的・一般的な見解。善悪を知る木であり命の木とされる木の実である。

 人間の宿命、誕生したからには死を免れないものであり、不可逆をたどるという直線的な時空を生きねばならない。

 マグリットは考える。
「存在とは何か」と。神が与え給うものとして信心深く敬虔に生きることの意義。予め用意された思慮・表象を正義として生きることが、果たして現実的と言えるのだろうか。
 観念とは、定型化された同質の頭(知覚)なのではないだろうか。社会に属しその一員たる着衣の上にある頭(想念)の中身を鑑みる。

 恐ろしいまでに画一化された固定観念という束縛、あるいは感化を懐疑する。(滑稽ではないだろうかと)


 観念という常識は、ある種抽象的であって、具体性を持たない。頭の中に教育された不可思議な連鎖を強要するシステム。
 反逆の術はない、しかし、物の有り様は告発する。
 頭部の代りに描かれた果実(林檎)を凝視すると、そこはかとない空虚が漂ってくる。描かれた人間らしきものが、見る者を冷静に観察してる。

 この作品を見る者は、明らかに問われているのではないか。

(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿