続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)58

2020-06-27 09:30:07 | 飯島晴子

   死ぬ人の大わがままと初蛙

 死ぬしかない状況での大わがまま・・・とりもなおさず「生きたい」という望みであり、卵から孵った蛙という小さなものとの対比が切なく辛い。

 死ぬはシと読んで、詞。
 人はニンと読んで、認。
 大わがまま(大我儘)はタイ・ガ・ジンと読んで、他意、画、腎。
 初蛙はショ・ワと読んで、諸、和。
☆詞(言葉)を認(見分けると)他意がある。
 描く腎(かなめ)は諸(もろもろ)の和(調和)である。

 死ぬはシと読んで、姿。
 人はジンと読んで、腎。
 大わがまま(大我儘)はタイ・ガ・ジンと読んで、体、雅、尽。
 初蛙はショ・ワと読んで、諸、話。
☆姿の腎(かなめ)は、体が雅(優美)であることに尽きる。
 庶(みんな、もろびと、大衆)の話である。


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