続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

吉川宏志(私的解釈)ここにいたら。

2022-04-24 07:45:56 | 吉川宏志

 ここにいたら苛々すると子は去りぬ小さな池だった四人暮らしは

 ここにいたら苛々すると子は去りぬ小さな池だった四人暮らしは(此処居苛苛子去小池四人暮)はシ・ショ・キョ・カ・カ・シ・キョ・ショウ・チ・シ・ジン・ボと読んで、詞、庶、挙、加、何、詞、許、章、致、詞、腎、簿。
☆詞(言葉)の庶(もろもろ)を挙(企て)加える何かの詞(言葉)を許(認める)章である。
 致(行き着かせる)詞(言葉)の腎(かなめ)は簿(ノート)にある。

 ここにいたら苛々すると子は去りぬ小さな池だった四人暮らしは(此処居苛苛子去小池四人暮)はシ・ショ・キョ・カ・カ・シ・キョ・ショウ・チ・シ・ジン・ボと読んで、死、処、嘘、禍、苛、死、拒、生、知、自、尽、墓。
☆死処(死んだ場所)を嘘(嘆く)。
 禍(不幸)による苛(惨い)死を拒み、生きることを知(感じ取る)。
 自尽(自殺をした人)の墓。(の前で)

 ここにいたら苛々すると子は去りぬ小さな池だった四人暮らしは(此処居苛苛子去小池四人暮)はシ・ショ・キョ・カ・カ・シ・キョ・ショウ・チ・シ・ジン・ボと読んで、資、署、過、貨、始、去、商、質、視、腎、模。
☆資(元手)の署(割り当て)の過(行き過ぎる)貨(お金)で始めると、去(失くしてしまう)。
 商う質(内容)を視(気をつけて見ると)尽(すべて)模(手探り)だった。


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