続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞デュシャン『ボトルラック』③

2019-06-26 07:11:04 | 美術ノート

 威風堂々とした印象を与える作品(レディ・メイド)である。
 しかし、「これがなに?」という疑問の残る提示でもある。

『ボトルラック』並置でなく逆さに差す、つまりは中を空にするための装置に他ならない。コップ立てに等しい案であるが、この場合ボトルの数が50個差せる物であれば、家庭用とは考えにくい。再利用、再びの製品化を図るためだとすると…不衛生は時を追って露呈するのではないか。
 細菌の繁殖は驚くほど拡大する。

 そのプロセスの警告であり、その見えないものが主眼である。
 見えていないがそのプロセスをたどれば見えるものが現出する。

《見えることとは何か》
 物理的な現象は精神を脅迫する、しかし見えていない状況にあってはそれを予知することは困難であり想定外である。
 経験、実験などのデーターの集積によってそれが判明し、あらかじめ時間の経過によって現出する何物かを見ることになる。

 提示された作品(レディ・メイド)に、鑑賞者はボトルラックの風袋を見る、確かに見るが、その使用による経過…ずっと先の時間までを計測することはない。
 作品とはそういうものだからである。
 切断された(停止された)時間、現今、見えないが、このボトルラックの使用によっていずれ見えてくるであろう現象を予測できず、また予測の強要もない。

 デュシャンは黙って『ボトルラック』を鑑賞者の前に差し出すだけである。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschenより)


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