女は下を見ているように見える。視線の先が太腿を抑える男の手にあるのか、他に思いを馳せているのか、恐怖のためなのかは分からない。
髪の乱れは少なくとも平常心ではないということであるが、男を拒否し離れさせようとしているのか、あるいはこちらへ引き寄せようとしているのかは不明なままである。
観点は女があらかじめ裸体であることで、男を誘い込んだとも思えるし、不用意に襲われているとも思える。逆の観点を双方許容した同等のバランスにも見て取れる。
性を喚起させる光景でありながら、官能的な要素はなく、むしろ強姦のイメージである。
背景は深緑という時代を特定しない時空であり、過去・現在・未来において、いずれの時代にも相当し得る倫理を超えた暴力(セクハラ)があるということではないか。
男の側からばかりでなく、剛腕な女の側もあり得ると。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
パート二
たむぼりんも遠くのそらで鳴ってるし
雨はけふはだいぢやうぶふらない
しかし馬車もはやいと云つたところで
そんなにすてきなわけではない
いままでたつてやつとあすこまで
ここからあすこのこのまつすぐな
火山灰のみちの分だけ行つたのだ
☆掩(かくす/おおわれた)冥(死者の世界)は、有(えいる)存在する)。
魔(鬼のように凶事を引き起こす人)の赦(罪や過ちを許すこと)を運(めぐらせている)。
化(形、性質を変えて別の物になる)で算(見当をつけ)解(ばらばらにし)部(区分けした)講(はなし)である。
だが、出かけていかないと、ぼくにとってはたいへんな-になるんだがね。というのは、きみも知っているように、ぼくが出かけていくのは、きみとぼくの将来をおもうからなのさ。
☆しかしながら向こうへ逝かないとわたしには大きな損失になる。わたしたち共同の来世をどうしたら知ることができるだろう。
歩くのさえおぼつかないわたし・・・ましてポールの上を渡るなんてムリ、ムリ、ムリ。
でも十年前には満潮で、身体を固くしながら死ぬ気(大げさ)で渡った因縁のこの場所、今回は干潮で命拾い。
友人は楽勝、「こういうことはなんでもないの」と涼しい笑顔。(羨ましい!)
『巨人の時代』
一見すると、男が女を犯そうとしている景に見える。
裸婦と着衣の男。
女は男の肩に手を当て、男を押し退けようとしている。欠損しているが、もう片方の手も男の肩に手を当てていると想像することが出来る。腕を見ると相当力を込めていることが分かる。
豊満な肉体の女は男が女の太腿にあてた手の方向を見ている。男のもう片方の手は腰に回しており、明らかに女に抱きつくポーズである。
しかし、二人は立っている。臥せる形で男が女に被さっているわけではない。
男は低い位置にいる、力関係で言えば男の方が力を出し難い絡みである。
女の方が男を強引に惹きこんでいるとさえ言えるのではないか。
性関係において男優位を念頭に置くが、女が男を強引に引きずり込むという、通念を覆す関係を暗示しているのではないだろうか。
あるいは男女平等の示唆かもしれない。
『巨人の時代』は、大いなる男と女の関係、未来型ともいうべき性の指標であり、女の方が男より強く優位になる時代を言っているような気がする。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
ほんたうにこのみちをこの前行くときは
空気がひどく稠密で
つめたくそしてあかる過ぎた
今日は七つ森はいちめんの枯草
松木がをかしな緑褐に
丘のうしろとふもとに生えて
大へん陰鬱にふるびて見える
☆全ての講(話)は空(根拠がない)記である。
終(死)を密(こっそり)化(形、性質を変えてべうの物になる)で混(一緒にして)秘(人に見せないように隠す)
死地は真(まこと)に虚(むなしく)総てを障(さえぎり)黙している。
録(文字で書き)括(ひとつにまとめて)究(つきつめる)
照(あまねく光が当たる=平等)の題(テーマ)は隠して打(ぶつけ)現している。
「どちらでもないよ。あの子をそういうのは、感謝の気持ちからなのだ。つまり、あの子は、こちらがあの子を無視することをらくにしてくれる。また、たとえあの子が何度も言葉をかけてきても、ぼくとしては二度と出かけていく気にならないからね。
☆「どちらでもないよ。わたしがそういうのは感謝の気持ちからで、気持を軽くしてくれる。でも、しばしば話しかけられても再び向こうへ行く気になれない。
昨日まで見慣れた、この先もずっと変わらないと信じていたものが、ある接点を持って消失し不在になるという恐怖、驚愕…哀しみ。
自分の中でどう解釈したら納得できるのか。
答えは見つかるべくもない。
成熟した女の身体である、「お母さん」と呼びかければ開きそうな唇、涙がこぼれそうな潤んだ瞳。
母の突然の死を受け入れられなかったであろう少年の日のマグリット。いつまでも、いつの日も胸に残る疑念は消えず問い続けたのではないか。
存在(生)と不在(死)をつなぐもの。
最後に見た光景は納められた棺のみだったかもしれない。目に焼き付いた棺の木目模様は、母の死と結びついて幻影と化していったと思われる。
背景の淀んだ深緑は現世の空気ではないという律ではないか。
この裸婦は性欲の対象でも神秘化された偶像でもない。ただひたすら温かい肉体が死へと変容していく決別の、マグリット個人の惜別のリアルを凝視したものだと思う。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
それよりもこんなせはしい心象の明滅をつらね
すみやかなすみやかな万法流転のなかに
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
いかにも確かに継起するといふことが
どんなに新鮮な奇蹟だらう
☆真(まこと)の照(あまねく光が当たる=平等)が滅(なくなる)のは、慢(おごり)である。
法(神仏の教え)を留め、展(ひろげる)照(あまねく光が当たる=平等)を願う意(考え)也。
僕(わたくし)は常に平(平等)を本(物事の根本)に書くことを計(はかり)記している。
新しく千(たくさん)の記を積(つみ重ねている)。