「でも、あの子をどうしてつつしみぶかいなどとおっしゃるの」と、フリーダは、執拗に食いさがった。Kは、フリーダがこのように関心を見せはじめたことをいい徴候だとおもった。「ご自分でためしてごらんになったの。そとも、だれかをけなそうとおもって、そんなことをおっしゃるの」
☆「でもなぜ彼女を控えめなどというの?」とフリーダは譲らなかった。彼女の関心はいい徴候に見えた。「自分で試したの?それとも誰かの気持ちを害すためなの?」
きわめて個人的な感想であって、自然の理というわけではない。
不条理を敢えて結論付ける強引さ、決して他人には踏み込まれたくない関係を断ち切ったマグリット自身の《答え》なのだと思う。
棺に納められた最愛の母の死。その衝撃は、棺の板目模様に重なって一つの想念となる。母の死は棺の板目の中に存在しているが、すでに眼差しを交わし手を取り合うことも話しかけられるものでもない。
この近くて遠い距離を埋めるものは、ただ胸の内なるイメージしかない。
女(母)は生きている、しかし、すでに生きている領域を離れてしまったという現実に直面する慟哭。
年月を経てもありありと記憶の底に焼き付く母への想い。母であり、女であったその人を偶像化するのでもなく作家自身のなかのリアルな感想としてこの画に留めたのだと思う。
『発見』とは深層の中に沈み込んでいる母の記憶との一種の決別ではないか。否、切れない絆なのかもしれない。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
冬にきたときとはまるでべつだ
みんなすつかり変つてゐる
変わつたとはいへそれは雪が往き
雲が展けてつちが呼吸し
幹や芽のなかに燐光や樹液がながれ
あをじろい春になつただけだ
☆套(おおった)片(二つに分けたものの一方)を遍く接(つないで)追う(進める)運(めぐりあわせ)である。
転(ひっくりかえし)個(一つ一つ)を究(つきつめていく)。
換(入れ替える)画(映像)を臨(のぞむ)講(話)である。
誦(となえて)易(取り替え)峻(過ちを正していく)
「こんどはお内儀の意見に賛成しておくんだね」と、Kはにっこりしながら言った。「しかし、つつしみぶかいにせよ、恥知らずにせよ、あの娘のことは、もうふれないことにしよう。あんな女のことは、なにも聞きたくないさ」
☆今回は教訓ととるんだね、けれど霊媒だよ。控えめ、あるいは無知にせよ、そのままにしてわたしは知りたいとは思わないね。
『発見』
黒髪、潤む瞳、赤い唇、豊満な肉体・・・生そのものの女性の身体(皮膚)が木目に変容していく。
AからBに変移していく、つまりはAの死であり新生Bへの移行である。
物質は化学変化を余儀なくされる、形・性質を変えて別の物になるというのはごく普通の現象であるが、眼に見えない不可視の現象に至っては証明の手段を見いだせない。
しかし、仮想…つまり心象世界においては可能であり、自由なイメージを駆使することを阻むものは無い。(逝去した人物を蝶など他の生物に例えることはよくある)
《すべてのものは変移する》という前提に立てば、死もまた消滅ではなく、現象としての一つの明滅と捉え得るのではないか。
『発見』とは、棺の中に納まり《死》だと教えられた大いなる虚無感・絶望を、《変移》と解釈したことにあると思う。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
馬車はずんずん遠くなる
はたけの馬は二ひき
ひとはふたりで赤い
雲に濾された日光のために
いよいよあかく灼けてゐる
☆掩(隠した)場(空間)は、字の釈(意味を解き明かすこと)を運(めぐらせている)。
慮(あれこれ思いめぐらし)化(教え導くこと)の考えを釈(意味を解き明かしている)。
橋屋のお内儀も、あなたのことをこう言っていましたわ。〈わたしは、あの人を好かないけど、かと言って見すててしまうこともできない。まだろくに歩けもしないのにとっと先へすすみたがる小さな子供を見ると、たまらなくなってつい手を出さざるをえないものだわ〉とね」
☆決裂したハロー(死の入口)の女主人もあなたのことをこう言っていた。「わたしは耐え忍ぶことができないが、離れることもできない。けれども先祖の氏族の子供を見ると、道を阻み、あえて制御不可能にしてしまうのです。