昨日の続き。
熊野神社から東大路通りを三条方面へ南下。
明眼地蔵菩薩さんの大きな提灯がぶら下がっていたのでお参りすることにした。
正式名称は聞名寺(もんみょうじ)。
京都風光のHPより↓
平安時代の第58代・光孝(こうこう)天皇ゆかりの寺という。
院号を小松院という。明眼(めいげん/あけめ)地蔵は眼病にご利益がある。
時宗遊行派、本尊は阿弥陀如来坐像。
地蔵堂の本尊・明眼地蔵は洛陽第十七番地蔵尊になる。明眼地蔵は眼病平癒の篤い信仰がある。
たくさんのお地蔵さまがおられた。
三条通り手前の満足稲荷さんにお詣り。
節分祭が行われていた。
ウィキペディアより↓
創建の由来は、豊臣秀吉が文禄の役(1592年)の戦勝を稲荷大神に祈願したところ、霊験が著しかったことから伏見城の守護神として稲荷社を祀ったのが始まりと伝える[1]。社名は秀吉が稲荷大神の霊験に「満足」したことが由来だとされる[1]。元禄6年(1693年)徳川綱吉が現在地に移し、法皇寺の鎮守社となった。
明治になって法皇寺は南禅寺に吸収され、当社のみが残った。商売繁昌・五穀豊穣の神として崇敬を集める。
満足マークのお稲荷さん。
くじ引きをやってみた。
自分たちのすぐ前の人が一等賞で鐘がカランコロンと鳴り、金杯をいただいてはった。
こりゃあとははずれかも。
やっぱりはずれでした。
御神木と岩神さんに手を合わせた。
調べてみると満足稲荷さんの節分祭は、午後7時から「ひょっとこ踊り」をやっているとのこと。
三条通を東に歩いて古川町商店街。
「本かしわ鳥寿」さんには大勢の人がおった。
白川に出た。
水車稲荷社さん。
ここには「竹中製麦所」というのがあって、このお稲荷さんの裏手の小川に大きな水車があったとのこと。
この鉄製の橋は「もっこ橋」と呼ばれている。
昔の橋脚が残っていたりする。
岡崎公園では手作り市やパフォーマンスが行われていた。
自転車を置いていた平安神宮に戻ることができました。
7,500歩と自転車で疲れました。