学校で教えてくれない経済学・・・江嵜企画代表
甘やかしの診断はできても、つける薬はないようです。(笑)
ですから、診断即治療は自分でやるしかないようです。
自分に厳しい方から、以下のような原稿が
送られてきましたので紹介いたします。
- 孫をもつある老人のひとり言 -
それは孫や子供に対する無制限なまでの
甘やかし方についてです。
なにもかも子供が要求することを
聞き過ぎていませんか。
砂糖付けのジュースや甘いものを子供の
好き勝手に飲ませていませんか。
子供は我慢することを覚えながら少しずつ
成長して行きます。
子供は親の考えを用心深く観察しています。
ひとの話しを理解しながら巧みに取り入れ
工夫し自らの智慧と機転を利かせて見事に
対応して行きます。
子供は親や友達の行動を実に正確に記憶しています。
神様がそのような資質を子供に与えたのだとおもいます。
我慢する、辛抱する過程が子供にバネをつけ成長させるのです。
しつけ糸の役目がどういうものなのか
考えてみたことはありますか。
しつけとは身を美しくすると書くと昔教えられました。
いまその教育が姿を消しました。
古臭いとむげにされていませんか。
新しい考えを取り入れることは大切です。
しかし昔ながらの伝統的な子育ての中にも
優れた智慧が潜んでいます。
運動会でビデオ撮りに血眼になっている親や祖父母の
目に余る光景を目にしませんか。
わが子、わが孫の姿だけを追いかけていませんか。
まわりが見えなくなっています。
それがどれだけ恥ずかしいことか分からなく
なりつつあります。
洋服、おもちや、本、鞄、靴を次々と
孫や子供に買いあたえていませんか。
親がやらなくても祖父母が孫に買い与えている姿を
これ幸いとばかり親は見過ごしていませんか。
これでは到底親の責任を果たしていると思えません。
ベトナム、アフガニスタン、イラク、コソボの
子供の厳しい現状に思いをはせたことが
ありますか。
先日写真家の大石芳野さんの話を聞いて感動しました。
廃墟の中に立ちすくむ子供の顔の写真が脳裡から
消えません。
麦踏みは将来しっかりと成長させるためです。
足元を踏み固めることにより先で大きく成長させる
ことが出来るのです。
先日の読売 こころ塾で、
オーム入信社者について聞かれた
宗教学者山折哲雄さんは、
子供は自己主張できずに苦しみから泣く。
大人は悲しみから泣くと話していました。
苦しみを子供のときに経験しないで
大人になる人が例えばオームのような事件に
巻き込まれる可能性があるかもしれないと
婉曲に話していました。
今の大人は何を信じて生きていけばいいか
分からなくなっているのだそうです。
職場でもすぐに辞めます。
こらえ性がないのです。
子供は思春期を経て大人の仲間入りを
果します。自由気ままに育てられたらどうなりますか。
のびのび育てることと の方図に育てられるのとは
違います。
自由と放縦をはき違えている人が
多過ぎるとおもいませんか。
放縦とはだらしがないことです。
放縦とは気ままなことです。
自由とは自分の意思で行動することです。
自由と放縦とは違います。
親や祖父母は子供や孫に対して
あまりにも の方図にすぎませんか。
祖母や祖父が孫に気ままに物を与えて
どれだけかわいい孫を台無しにしているかに
ついて真剣に考えたことがありますか。
子供はいったんだらしなく育てられると
それが当たり前になります。
後で気がついてもなかなか修正がききません。
朝顔や胡瓜のつるがそうです。
いったんつるが巻き付いたら元にもどりません。
あれと似たようなものです。
巻き戻そうとしてもどうしても戻りません。
いま好き放題に育てられた子供が日本中に
あふれかえっています。
これはもう罪悪ではないでしょうか。
大人の重大な責任です。
親はすぐに教師の監督責任を叫びます。
家庭での躾を棚に上げて他人を非難します。
責任を自分以外の人に求めます。
日本の将来は一人一人の子供の成長にかかっています。
甘やかしの診断はできても、つける薬はないようです。(笑)
ですから、診断即治療は自分でやるしかないようです。
自分に厳しい方から、以下のような原稿が
送られてきましたので紹介いたします。
- 孫をもつある老人のひとり言 -
それは孫や子供に対する無制限なまでの
甘やかし方についてです。
なにもかも子供が要求することを
聞き過ぎていませんか。
砂糖付けのジュースや甘いものを子供の
好き勝手に飲ませていませんか。
子供は我慢することを覚えながら少しずつ
成長して行きます。
子供は親の考えを用心深く観察しています。
ひとの話しを理解しながら巧みに取り入れ
工夫し自らの智慧と機転を利かせて見事に
対応して行きます。
子供は親や友達の行動を実に正確に記憶しています。
神様がそのような資質を子供に与えたのだとおもいます。
我慢する、辛抱する過程が子供にバネをつけ成長させるのです。
しつけ糸の役目がどういうものなのか
考えてみたことはありますか。
しつけとは身を美しくすると書くと昔教えられました。
いまその教育が姿を消しました。
古臭いとむげにされていませんか。
新しい考えを取り入れることは大切です。
しかし昔ながらの伝統的な子育ての中にも
優れた智慧が潜んでいます。
運動会でビデオ撮りに血眼になっている親や祖父母の
目に余る光景を目にしませんか。
わが子、わが孫の姿だけを追いかけていませんか。
まわりが見えなくなっています。
それがどれだけ恥ずかしいことか分からなく
なりつつあります。
洋服、おもちや、本、鞄、靴を次々と
孫や子供に買いあたえていませんか。
親がやらなくても祖父母が孫に買い与えている姿を
これ幸いとばかり親は見過ごしていませんか。
これでは到底親の責任を果たしていると思えません。
ベトナム、アフガニスタン、イラク、コソボの
子供の厳しい現状に思いをはせたことが
ありますか。
先日写真家の大石芳野さんの話を聞いて感動しました。
廃墟の中に立ちすくむ子供の顔の写真が脳裡から
消えません。
麦踏みは将来しっかりと成長させるためです。
足元を踏み固めることにより先で大きく成長させる
ことが出来るのです。
先日の読売 こころ塾で、
オーム入信社者について聞かれた
宗教学者山折哲雄さんは、
子供は自己主張できずに苦しみから泣く。
大人は悲しみから泣くと話していました。
苦しみを子供のときに経験しないで
大人になる人が例えばオームのような事件に
巻き込まれる可能性があるかもしれないと
婉曲に話していました。
今の大人は何を信じて生きていけばいいか
分からなくなっているのだそうです。
職場でもすぐに辞めます。
こらえ性がないのです。
子供は思春期を経て大人の仲間入りを
果します。自由気ままに育てられたらどうなりますか。
のびのび育てることと の方図に育てられるのとは
違います。
自由と放縦をはき違えている人が
多過ぎるとおもいませんか。
放縦とはだらしがないことです。
放縦とは気ままなことです。
自由とは自分の意思で行動することです。
自由と放縦とは違います。
親や祖父母は子供や孫に対して
あまりにも の方図にすぎませんか。
祖母や祖父が孫に気ままに物を与えて
どれだけかわいい孫を台無しにしているかに
ついて真剣に考えたことがありますか。
子供はいったんだらしなく育てられると
それが当たり前になります。
後で気がついてもなかなか修正がききません。
朝顔や胡瓜のつるがそうです。
いったんつるが巻き付いたら元にもどりません。
あれと似たようなものです。
巻き戻そうとしてもどうしても戻りません。
いま好き放題に育てられた子供が日本中に
あふれかえっています。
これはもう罪悪ではないでしょうか。
大人の重大な責任です。
親はすぐに教師の監督責任を叫びます。
家庭での躾を棚に上げて他人を非難します。
責任を自分以外の人に求めます。
日本の将来は一人一人の子供の成長にかかっています。